畏れを抱けば従順になる
そんなに毎日書くことがあると思うか?こんばんは、日曜日のnote更新です。
noteは”自分で決めたことだし、見てくれている人もいるから…”という強制力を発動させてなんとか更新を続けている。やれやれ、今日も書くかぁ…と重い腰を上げて机に向かうたび、何年間もほぼ毎日欠かさず投稿を続けているTwitterというSNSが恐ろしくなってくる。誰に強制されたわけでもなく、毎日投稿すると決めたわけですらないのに、手が勝手に動いて水色のアイコンをタップしている。
やりすぎだろ。Twitterを…。
質問に答えるぞ。
はぁ〜、こんな立派な方が私のnoteをご覧になっているとはねえ…。ありがたすぎるね…。
あなたは本当にちゃんとしたお医者さんなんだと思う。勤務医が全員あなたくらい真面目だったら日本の医療は安泰でしょうね。
そんなあなたに、私が教えられることなんて何もない。なので、あくまで私の昔の経験の話をします。大きめの病院に勤めていた頃、私もあなたと似たような経験をしました。
大きめの病院を仮にA病院とします。地方の病院で多岐に渡る手技やしんどすぎる当直で修行を積んだ後に私はA病院に配属されました。
A病院はとにかく給料が安く、その代わり当直は少なく、難しい症例をたまに担当したりして深夜まで帰れなくなることが稀にあるものの、緊急入院が日常茶飯事の地方病院に比べるとかなり平和な環境でした(同業ならどんな病院か大体察しはつくと思います)。
A病院は抱えている研修医の数が地方病院と比較すると段違いに多く、そのため、後輩の教育がA病院においてはかなり重要な仕事でした。
私は5年目でA病院に配属されたので、研修医に加えて、専門に入ったばかりの3年目の医者の面倒も見る必要がありました。面倒を見るといっても大抵私より優秀でやる気もある人たちだったので、私が教えることはそんなになかったわけですが…。
実際配属直後の4月当初、私の下についた3年目のB先生は歳も2つ違うだけで、部下というよりは友達みたいな感じでした。
医局(医者が詰め込まれるタコ部屋)で深夜までうだうだ喋ったり、一緒に飲みに行ったこともありました。あの頃はまだCOVID-19も流行していなかったから、遅くまで働いた後病院の近くの居酒屋で一杯引っ掛けてから帰る、みたいなイベントが頻繁に発生していました。伝染病の流行で完全に死んだ文化ですね…。
B先生は数ヶ月私の下にいましたが、時折質問を投げかけてくることがあるものの、先輩である私を立てようとして質問してくれているのかな?というくらい優秀な先生でした。人当たりもよく、間違いなく患者さんにも信頼されるだろうなという感じのキャラクターで、教育担当の私も常に左団扇でした。
しかし、A病院での1年間の任期のあいだ、段々上司が部下である私たちのキャラクターを把握するようになり、潮目が変わっていきました。
恥を忍んで申し上げますが、私は後輩の不出来さを咎めることもせず後輩の仕事を全部肩代わりしてしまうような、教育能力に欠けた上司でした。
今思い返してみても、色々な後輩がいました。
カンファレンス(治療方針を決めるための会議。当日までに受け持ち患者さんの病態をまとめた詳細な資料を作っておく必要がある)の前日夕方5時になると決まって親族が体調を崩したと申告して早退する研修医、やっておいてねと言われたことを忘れているのかやる能力がないのか絶対にやろうとしない後輩、そういう人たちが私の下にもつくようになりました。
B先生のように、能力もやる気もある後輩を教育するのは簡単です。ちょっとした声かけで彼らは伸びるし、教えているこっちも手応えを感じて嬉しくなる。
問題は完全に臨床を投げてしまっているような後輩で、こういう人たちって誰にとってもお手上げなんですよね。
優秀な人間を上につけても意味がないし、むしろ自分自身が真面目で優秀であればあるほど彼らのような後輩の存在が理解できなくて苦しむことになる。質問をくださったあなたのように、まともな神経の持ち主であればあるほど懊悩することになります。慢性的に人手不足の医療現場にとってはとんでもない損失ですね。
なので、そういう後輩の仕事を肩代わりすることについて特に何も感じず、彼らを叱ることもない私は、教育係としてうってつけだったのかもしれません。叱らなければパワハラで訴えられるリスクもないですから。
カンファレンスでボスに質問されても全く答えられない後輩の代わりに全て私が質問に答えたこともあったし、カンファレンスの前日5時に資料も作らず早退した後輩が”これは自分が作った資料です”という顔でプレゼンしていても、特に怒りを感じることもなかった。患者さんが不利益を被るのが一番嫌だったので、プレゼンが過不足なく終わるといつもホッとしていました。
質問をくださったあなたは、自分の所属している組織にちゃんと愛着を持っていらっしゃる。持続可能な組織の形を模索していらっしゃるし、勤務環境を改善したいと思っている。
それに比べて私は自分のことしか考えていない。私は人間ができているから耐えられたわけではなく、組織に対する愛着が皆無だったから耐えられたんだと思います。
そんな私は現在、新たな職場で部下を教育する必要に日々迫られて苦しんでいます。要職に就いてから1年以上が経過しますが、他人を動かすのって本当に難しいなと痛感しています。A病院で教育義務を放棄したツケがきっちり回ってきており、”因果応報…”という言葉が常に脳裏にチラついている。
全部自分で仕事を肩代わりしてツンとすましていたあの頃の自分は、上司やボスの苦労、すなわち後輩教育の苦労を知らないバカだったなと今更ながら反省しています。
でも、教育が通用するのは相手がある程度まともであることが必要最低条件だと思うので、仕事を投げて帰るような人間につける薬はないだろとも思う。今A病院に戻っても同じことをやるだろうな。私はそういう人間だから…。
質問をくださったあなたに対するアドバイスとしては、適度に仕事を肩代わりしてプレッシャーをかけてみてはいかがでしょうか。私は一度も恩着せがましい顔を後輩たちにはしなかったのですが、怒りもせず黙って仕事を肩代わりし続けるその姿勢に恐怖を感じたのか、後輩たちは皆私に対しては極めて従順でした。人は理解できないものに対しては畏れを抱くのかもしれない…。
今日の回答は以上です。質問は常に受け付けております。回答するかどうかは時の運次第ですが、全ての質問に目を通しています。いつもありがとうございます。
Big Love…