おとこたちのあんな表情は初めて見た
noteを書くために雨の中パソコンを入れたリュックを背負ってカフェに立ち寄ったのに、なぜかスマホでnoteを書いている。
お前はいつもそうだ。どうもこんばんは、木曜日のnote更新です。
大して野球が好きなわけでもないのに、日本が出場したWBCの試合を全網羅してしまった。身体能力の高い、立派な体格の男どもが戦っているのを見るのは面白かった。
最後の試合は仕事中で見られなかったんだけど、録画された再放送を観た。9回オモテの最後の打席、大谷選手の鬼気迫る表情が忘れられない。
絶対に勝ちに拘ると言っていたし、実際あれだけの能力があって、それを発揮することを誰からも期待されていて、どれだけのプレッシャーがあったのだろう。燃えるような気迫を確かに感じるのに、余計な力は全て抜けた静かな表情が印象的だった。
大谷投手をベンチで見守る他の選手たちの表情も印象的だった。打撃陣にできることはもはやなく、全員が祈るような表情でマウンドを見つめていた。たくさんの男たちがあんな表情をしているのを目撃したのは、あれが初めてだった。勝ちに行くのが、戦うのが男だという規範が少なからずある社会だから、あんなふうに無力で、ただ祈るしかない男たちを見るのは私にとっては珍しいことだった。
元ツイートを見失ってしまったんだけれど、WBCを楽しんでいる層は野球が好きなのではなく単に生放送でたくさんの他人と一体感を感じるのが好きなだけ、というようなことを誰かが呟いていて、それは本当にそうだと思った。どこかのチームを応援しながらスポーツを観戦している時、卑小なはずの自己が応援しているチームのメンバーや球場にいるたくさんのファンたちにまでどんどん拡張されていって、その場限りの一体感が生まれる。誰もが人生に対して漠然と感じている寂しさや虚しさがその時だけは吹き飛んでしまう。そういう作用がスポーツ観戦にはあるように思った。
いろいろ書いたけれど、WBCの期間中、かなり楽しませてもらってハッピーだった。選手の皆様に感謝したい。こういうふうにストレートに感想を書けばいいのに、私はどうも思考をこねくり回すのが好きでいけないね。
ここからは最近思ったことを箇条書きで書く。
・せっかく桜が咲いたのに雨が続いている。枝先で雨に濡れる花びらは可憐なのに、アスファルトの上に落ちてべしょべしょになった花弁はみずぼらしい。
・診察室に呼び入れて数分喋っただけで、"この患者さんとは相性がいいな"とか、"この人とはどうもペースが合わないな"と分かるのが不思議だ。性別や見た目、話の内容、疾患の種類はまちまちで、よく喋るか無口かすら、私との相性との相関関係はない。
・最近4歳児が、自分の部屋にこもって一人で遊ぶことが増えた。そういう時、つい様子を見に行きたくなるのだが、ぐっと堪えるようにしている。例え4歳でも、親に干渉されない自分だけの時間は必要だ。
・料理の工程の一部を手伝ってもらったり、食卓に飾る花を選んでもらったりすると、仕事から帰宅した父親(私の夫)に”これ、●●ちゃんがやったんだよ(選んだんだよ)”と必ず報告している。私が一切促さずとも報告する様子を見ていると、母親(私)の干渉を排除した、4歳児なりの自立した選択をする場面が必要になってきたんだろうなと感じる。
Big Love…