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あなたも私も呪われている

質問箱を始めてから、母親として働くことについてどんなポリシーを持っているかという質問が結構な割合で送られてくる。Twitterでも話した通り、私が働く上での方針は子どもを寂しがらせない、ただそれだけで、特に面白みのない回答なのでnoteで長文回答するまでもないかなと思っていた。

でも、子どもを寂しがらせないという方針は私が女子校時代に同級生の女の子から受け取ったもので、その女の子は私にとって特別な子だったから、今週はその子について書いておこうと思う。

仮にその子の名前を桜とする。桜はショートヘアーの似合う、スポーツも勉強も得意な女の子で、立居振る舞いがシュッとしていて格好良かったから、同学年の女の子は桜のことがみんな大好きだった。私は中学2年生の時に桜と席が隣になって、その頃読んでいたファンタジー小説の話で盛り上がって、彼女と友達になった。

彼女は都内の一等地に建つ真新しい一軒家に住んでいて、母親は医師、父親は研究者として働いていた。母親はクリニックを開業した上、当直までしていて、家を2日以上空けることもしばしばだった。父親も研究者として忙しく、帰宅は深夜になることが多かった。桜はエレキギターを練習したり、飼っていた犬と遊んだり、漫画を読んで夜更かしをしたりして学校から帰った後の長い時間を家でひとり過ごしていた。

学年のみんなが格好の良い桜のことが大好きだったが、私は一等彼女のことが好きで、彼女と友達でいられることが幸せだった。メールもない時代だったから、私たちはよく手紙を交換した。帰宅後に自宅で書いた手紙を翌朝学校で交換して、退屈な授業中にこっそり読んだ。帰ってからもその手紙を読み返すと、桜がそばにいる感じがした。今ならメールやLINEで簡単にお互いの生活を覗けるんだろうけれど、あの頃は学校から帰ると友達がどうしているのか知る術がなかった。飼っている犬の様子や、ギターで新しい曲を練習し始めたこと、読んだ漫画の感想なんかが右上がりの綺麗な字で綴られた手紙を眺めている時間は本当に幸せだった。私は帰宅すると自分の部屋で手紙を開いて、いつも一日前の桜と一緒にいた。

手紙に綴られている内容は様々だったが、たまに桜の母親について語られていることがあった。一家団欒するはずの日に、母親の仕事が長引いて帰れなくなってしまった。せっかく夏休みに旅行をしようとしても、母親は緊急の仕事が入るとそっちに飛びついてしまう。お医者さんだから仕方がないけれど…と言いつつも、桜はいつも母親からの愛情に飢えていた。

一方、私は専業主婦の母が常に家にいる生活を送っていたから、母親の不在にまつわる苦痛については今ひとつピンと来なかった。中学生らしい、幼さゆえの想像力の無さで、学校から帰ったら自由に過ごせるなんて羨ましいなあくらいの気持ちでいた。常に家にいる母が、どちらかといえば疎ましかった。桜もそれが分かっていて、彼女の抱える寂しさについて詳しく話してくれることはついになかった。

しかし、高校生になり、私が医師になると決意した時、桜は私の夢を応援するよりも早く、ひどく真面目な顔でこう言った。

”紺、お願い、絶対に子どもに寂しい思いはさせないで”

医師になると伝えると、大抵の人はすごいねとか、大変だと思うけど頑張ってとか、そういう言葉をくれた。でも、桜だけは違った。その頃の私は、将来結婚も出産も絶対にするつもりはなかったから、一も二もなく了承した。一番大切な友人の言葉だから、そうするのが当然だった。

うん、わかった。子どもに絶対寂しい思いはさせない。約束するね。



…そうは言ってみたものの、20年以上が経過し、実際親になってみると、常に子どもに寄り添い続けるのはとても難しいことだった。子どもを預けてひとりで街を歩くときの開放感。ヒールだってフレアスカートだって履ける、身につけるものを他人に左右されない自由。職場にはきびきび働く優秀なスタッフたちが私のことを待っていて、私が何か困っていれば即座に助けてくれる。気に入らないことがあれば泣いたり叫んだりするような人は滅多にいない。こちらが心を込めて話せば大抵の話は相手に通じる。仕事って最高!すぐそばにいる人間に理性があることのありがたみをひしひしと感じた。

それでも私が子どもを持ってからは仕事をセーブするようになったのは、桜の言葉があったからでもあり、桜と手紙を交換していたあの頃、疎ましいと感じていた母のせいでもあった。

私と母はずいぶん性格が違い、具体的には社交的な母と内向的な私、口数の多い母と少ない私、という感じで常に私は母に圧されがちだった。専業主婦で、3食欠かさず美味しい料理を作ってくれたし家の中は常に清潔で、文句のつけようのない良い母だった。

しかし、良い母であるために自身の自由を大幅に犠牲にしており、それ故に私が旅行や遊びなどに出かけているのを見ると強く批判してくるので、子どもの私にとっては窮屈で仕方がなかった。私はもっと母に自由でいて欲しかったけれど、母は良くも悪くもきちんとした母親で、結果として、私は彼女から距離を取るべく実家を出た。

母について私が見習うべきと思っているのは、抜けのない完璧な家事についてではない。思春期という悩みの多い時期、私が何か悩んでいるような素振りをしていると、母は必ず声をかけてくれた。母が私から逃げたことは、20年以上に渡る実家での生活でただの一度もなかった。

普段はあまり仲の良い母娘ではなかった。一緒に買い物に行ったこともないし、物心ついてからは手を繋いだ記憶もない。しかし、私が塞ぎ込んでいる時、何か悩んでいるんじゃない?という声かけから始まる母との会話は、いつも数時間に渡った。家事で疲れの蓄積した深夜だろうと、外出日和の気持ちの良い昼下がりだろうと、私が何かを話したいと思った時、母は決して逃げずに私の話を何時間でも聞いてくれた。

長い時間をかけて話す中で、母からは様々なアドバイスが飛び出した。アドバイスは彼女が好んで読んでいた聖書や哲学書、小説などから引かれ、間違っていると思うことや強引だと思うことも多かった。しかし、与えられるアドバイスの正しさより、私の話は誰かに聞いてもらう価値があるんだとあの数時間の中で思えたことに意味があった。あの時に得られた自己肯定感が、今こうしてインターネットで顔も知らない人たちに向かって物を書くことに繋がっている気がする。

子どもに寂しい思いをさせない、子どもから決して逃げない。つまりそれが母親として働く私の育児に関する方針、ということになるが、これは方針というよりは呪いと表現する方がよほど正しい。大好きだった友人の言葉だから、そして育児に関しては決してその影響から逃れることのできない母が私にしてくれたことだから、子どもに寂しい思いをさせてはならない、子どもから決して逃げてはならないという呪いが私には掛かっている。

子どもが寝た後に、今日は仕事で忙しくて寂しい思いをさせたかなとか、手が離せない色々があって十分に構えなかったかなとか後悔するとき、ああ、呪われているなと思う。きっと全ての親がそうなんじゃないかと思うが、育児に方針なんてない。ただそれぞれに掛けられた呪いがあるだけだと思う。

質問をくださった方々は皆、それぞれに育児のある人生について悩んでいる。仕事を続けるべきか悩んでいる人もいれば、仕事を辞めてしまったことを後悔している人もいる。周囲の環境や子どもの性格、親である自身との相性がそれぞれ皆違うから、全ての悩みに完全に同調することはできない。ただ、私もあなたも同じように呪いの中を生きているというその一点だけで、どこか遠くで悩むあなたの気持ちに私は共感する。

Big Love…