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ピカソと高野豆腐

3歳児から風邪をもらいました。こんばんは、火曜日のnote更新です。

週末にかけて風邪をもらってしまい、しかし外来の当番を担当していたので出勤しないわけにもいかず、風邪の諸症状を抑えるための薬を飲んで働いていた。薬を飲んだらだいぶ楽にはなって働けたのだが、副作用で動悸がひどくなり、動悸を抑える薬を飲む羽目になった。薬漬けの人間が担当する外来…。

Twitterでフォロワー(敬称略)に勧めてもらった本を読んでいる。

『フィフティ・ピープル』。韓国の作家の本だ。何やら私と似たようなことを考えている登場人物がいる(※もっとスマートな勧め方をしてもらいましたが、私が勝手に照れているのでこういう書き方をしています)とのことで、そんな情報を聞いたからには即読むしかなかった。

元々群像劇が好きなのも手伝ってスイスイ読めた。一つ一つの話は短い。登場人物たちは何かしらの形で病院に関わっていて、そういう意味でも自分に近いところにいるので、物語に入っていきやすかった。

韓国の作家さんに対して勝手に社会派のイメージを抱いていたのだが、この本も例外ではない。実際に韓国で起きている社会問題に触れる話も多かった。しかし、深刻さと軽やかさのバランスが絶妙で、かといって取り扱っている問題を軽視しているわけではなく、様々な問題を内包しながらもこうして日常は続いていくんだよなあと思わせるような、そういう作品だった。

韓国に限らず、今まであまり海外の作品に親しんでこなかった。同じ国に暮らしていても理解できない作品がたくさんあるのに、他の文化で育った人が書いたものに果たして共感できるのかという疑問が(はっきりとした言葉にするほどではないものの)心のどこかにあったからだ。

でも、『フィフティ・ピープル』はかなり良かった。病院にまつわる話というのが良かったのかもしれない。病院は生き死にを取り扱う場所だから、そこで働く人たちは皆、国が違ってもおそらく同じものを抱えて生きている。生き死には生まれ育った文化をも飛び越えて共感を呼ぶ。

私と似ていると言ってもらった登場人物はめちゃくちゃカッコ良かったので、流石に図々しさで有名な私も”こ、これは…似てませんね…”と照れてしまったのだが、それはさておき、あっ、これは私だと思うシーンがこの本には沢山あった。母親を疎みながらも憎みきれない娘。夫を失い、子どもを抱えて人生を放浪する母親。置かれた状況は全く違う。国籍も違う。しかし、繊細な感情表現が”私は、この人だ”と幾度も思わせるような、そういう本だった。

作者のチョン・セランさんの本をもっと読みたいな…と思って検索をかけたらこんなアンソロジーが出てきた。私が日本の作家で最も好きな村田沙耶香さんも参加している…。『折りたたみ北京』の作者も参加しており、メンバーが豪華すぎる。発売されたら絶対買います。

国立西洋美術館に行ってきた。企画展が切り替わるたびに訪れているから数ヶ月ぶりだった。ピカソと同時代の画家たちを扱った企画展。ピカソの名を冠しているからかかなり混雑していた。事前にWebで予約して入場した。

入場してすぐ目にとまったのがセザンヌの絵だった。絵がうますぎる。この人の絵、繰り返し見た覚えがあるけれどどこだったっけ…?と覚束ない記憶を辿ると、私のアカウント名の由来にもなっている江國香織の『きらきらひかる』に出てきたのだった。セザンヌが描いた、紫のおじさんが最後の方のページに掲載されている。気になる人は読んでみてください。

国立西洋美術館を訪れる前に、こんな本を読んでいた。タイトルのままの内容ではあるのだけれど、全盲の白鳥さんと各地にある美術館を訪れた筆者が残した記録。目が見えない人に向かって目の前にあるアートを言葉で説明していくという試みが繰り返しなされており、今日の企画展でもこの本のことを思い出した。

この作品を目にした時、私だったらどう説明するかなあと思いを巡らせて、浮かんだ単語が”高野豆腐”だった。ピカソもまさか後世で自分の作品が高野豆腐に例えられるとは思うまい…。言葉で説明しようとしなければ絶対に飛び出さなかった単語だった。

ピカソやマティス、色々な画家の絵があったけれど、クレーの絵画が全体的にすごく好みだったな。夢の中の風景みたいで…。しかし、大戦中の過酷な状況下で描かれた絵も多く、暗い気持ちになりながら眺めた。絵を描くことが慰めだったのかなとも思うし、どんな状況でも描かずにはいられないある種の業のようなものも感じた。

クレーは『忘れっぽい天使』が有名だけれど、私は『鈴をつけた天使』の方が好き。調べてみたら、クレーの天使の絵をもとに谷川俊太郎が詩を作って一つの本にまとめているらしい。

買っちゃおうかな。

Big Love…