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衝動で抱き締められない
今日、異常に寒くないか?どうもこんばんは、木曜日のnote更新です。
子どもに対して可愛いとか大好きとかはいまだによく分からないんですが、圧倒的な祝福は感じる 存在への祝福 子どもが生まれてきて、ここにいることへの祝福は本当に最近よく感じるな いてくれてありがとうって
— 紺 (@aky_synes) December 1, 2022
こんなことをtwitterで書いたんですが、私は娘が4歳になる今も”子どもが可愛くて仕方ない!”とか”大好きだよ、ぎゅっ”みたいなのが分からないままなんですよね。
まあなんか小さいし可愛いのはなんとなく分かる。娘に大好きだよと言われれば”ママも大好き!”と答えてぎゅっとする。でも、自分の胸の内側から湧き上がる可愛さへの圧倒的感謝とか、思わず抱きしめてしまいたくなる抑えきれない衝動みたいなものとはいまだに無縁です。
元々子どもが特に好きではなかったんですが、育てているうちに自分もそういう衝動に駆られちゃうのかな?という期待はちょっとありました。無根拠な母性への期待。でも、結局そうはならなかった。
どうしてこんなことを急に書いたかというと、昨日幼稚園に娘を迎えに行った時、よそのママが子どもをハグしているシーンに遭遇したからです。先生に褒められたらしい子どもを園の前で”●●ちゃん!!すごいねえ!!”なんて言いながら強く何度もハグしていて、私は反射的に”げえっ!!”と思ってしまった。
一応普段は親としての仮面を被っているので、例え心の中でもそういうことは思わないようにしています。でも昨日のハグはあまりに突然目の前で起きたことだったのと、ハグがマジで結構長くて熱烈だったので自分の心がドン引きしていくのをただ他人事みたいに眺めているしかなかった。
なんか、親になればそういうのが平気になると思ってたな。ハグも自分では出来なくても、他人のそういう衝動は微笑ましく感じられると思ってた。
別にどうだっていいじゃん、と開き直れれば良いのに、私は母親失格なんじゃないかと心のどこかでずっと思っている。だから、今までは自分自身のこういう欠損をきちんと書くことが出来なかった。
しかし、最近の娘がどんどん私にとって重要な存在になり、”今後娘と私の間に何が起きようともこのかけがえのなさは失われないだろうな…”という確信が根拠も無しに湧いてきたので、やっとこうして正直に自分のダメさを書くことができるようになった。
4歳になった娘は陰気な親(私)に似ず、歌に合わせて陽気にダンスするのが好きだ。絵を描くのが好きで、私が大好きな文鳥を何羽も描いて見せてくれる。ジグソーパズルを解くのが異常に速い。負けず嫌いで、ゲームで負けると必ず泣く。早く大人と同じくらい大きくなりたくて、毎日”いつになったらママと同じ大きさになる?”と繰り返しきいてくる。
人間になったなあ、と思う。ミルクを飲んで寝ているだけだったのに、もう世界と触れ合って自分の好きなものを見つけ始めている。
毎朝、今日も何か新しくて良いことがあるに違いないと目を輝かせてベッドから飛び出す娘を見ていると、ああ、生きるって素晴らしいんだなあと思う。生きることや他人の存在そのものを祝福したくなるのは、子どもを育てて初めて経験した感情だった。
ぎゅっとしてあげるのが何よりのママの愛情、みたいなアドバイスがそこらじゅうに転がっているから、我が身を振り返って罪悪感に駆られることは多い。私だって、臆面もなくハグできるような人間に生まれてきたかった。
4年もかけてやっとこんなふうに書けるようになっても、自分を完全に許せるわけじゃない。でも、親としての私を許すかどうかは私自身でも内面化された世間の規範でもなく、他でもない娘が決めることだと分かっている。
結論は出ない。同じような思いを抱えている親へのアドバイスもない。ただ、私たち、親になった以上やれることをやるしかないのだ。
Big Love…