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できそこないでもやらなくちゃ

週に3回も書くことがあると思うか?

星野源と匿名ラジオのお二人の鼎談を読んだ。

Twitterにも書いたけれど、星野源×匿名ラジオのコラボなんて読む前から良いのが分かってるんだから、”別に読まなくてもいいか”と思っていた。私にはそういうダメなところがある。物陰から急に飛び出してきて驚かされるような読書体験を常に求めていて、読む前から良いと分かっているものに対してはなかなか食指がのびない。最悪なオタクで、すまない。

しかし、今日自分の中でひと段落ついた物事があり、そのタイミングでえいやっと読むことができた。気持ちが凪いでいる良いタイミングだった。

現在は無料公開されているから、今のうちに皆さんも読んでほしい。そのうち有料になるみたいです。

インタビューの中で恐山さんが、”以前は守りたい自分が多かったが、動画などで自分のしょうもないところがたくさん映るようになって、もういいやという気持ちで突っ込んでいけるようになった”(←かなり意訳しています)みたいなことを仰っていた。

これは自分も最近同じようなことを感じていたので、刺さる文章だった。この年齢になってクイズとかいう遊びに手を出すようになって、干支が一回りくらい下の人間にバンバン負かされている。最下位に近い順位を取ったことも何度かある。

格好つけることも大事なんだろうけれど、他人はそれほど私に興味があるわけでもなければ、私の精神の核になる部分を知っているわけでもない。なりふり構わずにやりたいことをやって失敗したり負けたりしていても笑ってくれる人は笑ってくれるし、案外好意的な目で見られることもあるんじゃないかなあと、最近はそんなふうに思っている。

書いていて気づいたけれど、恐山さんが仰っていることと私が思ったことはかなり違うな。でも、触発されて考えたことなので文章として残しておきます。


ひと段落したのはクイズ関係のことです。ここ何週間か連続で参加していたクイズ会の次シーズン開催が数ヶ月後との告知があった。
毎週勝負しては復習の繰り返しで、最中は忙しくてヒーヒー言っているけれど、シーズンが終わってしまうと非常に寂しい。自分の実力を試す場が減ることへの不安もある。とはいえ、問題の作成と毎週の開催には多大な労力がかかっているだろうから、主催者には感謝しかない。頭が下がります。次のシーズンを楽しみに待ちます。

今シーズンは1回だけ、参加人数が少ない時に入賞できたけれど、人数が多くなると途端に点数も順位も下がってしまった。

かといってがっかりするとかはなく、自分の中では知っていることも増えたし、ボタンを押すタイミングも早くなって来ているという確信はある。クイズのいいところは、勝てなくても楽しいところです。勉強すること、知識を得ることそのものの楽しさがあるから。

先生〜〜 刺繍って孤独〜〜クイズは〜?

クイズは最低三人はいないとできないんですよ。プレイヤーが二人と、読み上げ役が一人。

だから、あんまり孤独じゃないかな。でも、座学の時間は静かで、一人ぼっちで、でも私はその時間がかなり好きです。

Big Love…