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私が好きなのはお赤飯ではなく、ごま塩でした。

こんばんは。
先日『はるちんがnoteを更新するのは酔ってる時』と断言しましたが、今夜は酔ってないです。まだ。書き終わるころにはフラフラでしょう。

寝落ちしないように眠気に耐えて子どもたちを寝かしけた後にパソコンに向かうので、どうしても頭が妙に冴えてしまうんですよね。
「寝酒はよくないよなぁ」と頭では理解していますが、寝付けないんだよなぁ(プシュッ)。

そろそろ朝の冷え込みも落ち着いてきたので、朝活にシフトしたい2023年です。ミーティングさえどうにか、どうにかしたい。

さて、今夜もダラダラとひとりごとにお付き合いいただけると嬉しいです。

それでは聞いてください。
「私が好きなのはお赤飯ではなく、ごま塩でした。」

毎年この時期になると食べたくなるお赤飯


卒業のお祝いと進級のお祝いを込めてだろうか、私が通っていた小学校では、3学期の終業式の日にお赤飯をお土産に持たされていました。

食中毒予防のためか、いつの間にかなくなってしまったこのお赤飯お土産制度。大人になってからも、毎年このくらいの季節になると「あ、お赤飯食べたいな」とふんわりと思い出します。

今ではコンビニのおにぎりでも手軽に購入できるお赤飯。
うちの子どもたちも大好きです。自分で炊くのはちょっと手間なので、いつも何かしらで購入しています。今年は炊いてみたいですね。

お赤飯のお供といえば、ごま塩。

小学生だった私にとってのごま塩は、『お赤飯についているもの』でした。高校生になって、自分でお弁当を作るときにスーパーのふりかけコーナーに『ごま塩ふりかけ』が並んでいるのを見て驚いたのは今でも忘れません。

「ごま塩……おまえ、ふりかけだったのか」

その時はただ驚いただけで、白いご飯にごま塩をかけて食べるという段階までは頭が回りませんでした。「お赤飯食べるときに買おう」と、その時はおそらく、のりたまふりかけを購入したと思います。

(本当に余談ですが、私はのりたまふりかけと、唐揚げのマリアージュがこの世で一番好きなお弁当だと思っています。異論は認める!)

息子が選んだふりかけが私の認識を変えた

そして、それから数年後。
長男の遠足でお弁当を用意する機会がありました。

それまでの我が家のふりかけの定番は

  • ベビー用ふりかけ

  • のりたまふりかけ

  • キャラクターものの小袋に入ったふりかけ

  • ドライ納豆が入った納豆ふりかけ

のいずれかでした。
遠足のおかずの材料を購入するタイミングで、長男にふりかけを選んでもらったところ

「これがいい」

と、買い物カゴに入れたのは『ごま塩ふりかけ』でした。

「お赤飯を炊くのはちょっと大変だし、白いご飯にかけるのでもいい?」と息子に聞くと、「大丈夫」とのこと。
このとき初めて私は「ごま塩ふりかけは白いご飯にかけてもいい」と気が付いたのです。固定概念とはなんと恐ろしいものよ。

私が好きだったのは…

さっそく、その日の夕食で出した白いご飯に「ごま塩かけて!」とお茶碗を手にニコニコの息子。

私も初めてそこで『白いご飯にごま塩をかけて食べる』というチャレンジをしました。

すると、なんということでしょう。

私が好きだったのはお赤飯ではなく、ごま塩だったのです。

もちろん、お赤飯のもちもちとした食感や、時々口の中でモソモソする小豆も好きです。口の中に広がる風味も、見た目も。

しかし、味という点だけでフォーカスしたとき。

私が求めていたのは、ごま塩ふりかけの味そのものでした。

「え、白いご飯で全然いいじゃん……」

と、長年の憑き物が落ちたような感覚になりました。

なにが好きなのか、理由を探ること

思い返せば、全体として好きなのはもちろんだけれど、その中でも『とくにこれが好き』というものを見失っていることは多くあります。

例えば私は服が好きですが、その中でも気が付けばシャツばかり持っているということに気が付きました。これは、『服が好き』と思っていたけれど、実のところは『シャツが好き』だったことを見失っていたのかなぁと。

Webデザインを勉強するにあたって、好きなデザインを片っ端から集めて、『好きだと感じた理由を言語化して書き留めておくこと』をよくしていました。

何が言いたいのかというと、この『好きな理由を言語化して書き留めておく』ことはデザインだけではなく、何事にも大切なのではないかと感じています。

「これいいな」と思ったものには、誰かが絶対に関わっています。

先日も触れた『褒められログ』には、「特にここがすごく好き」と褒めていただけたものもあり、私はそこに一番こだわっていたので「伝わってよかった!」と心から嬉しく思いました。

モノや情報がものすごいスピードで消化されてしまう現代だからこそ、「これいいな」でなんとなく終わらせてしまうのではなく、「これの、ここが、特にすごくいい」というところまで考えられないといけないなぁと私は思っています。

AIによる効率化は目まぐるしく、生身の人間にしかできないことは、幸か不幸か、どんどん減ってしまいそうですよね。

クリエイティブを続けるモチベーションを保つためにも、まずは自分から『好きな理由とその言語化』をし、積極的に発信していく。
ということを心がけていきたいな、と思う深夜のひとりごとでした。


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