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死んで聖人になる

 春になりタナトフォビアが落ち着いてきて、まあ死んでもいいかな〜と思えるようになった。といっても、ストラテラを飲み始めてやたら思考が霧散するようになり、死について考えようとすると脳内でモヤがかかるため冬の時点でタナトフォビアは無くなっていた。ストラテラの効果はよく分からないけれど、抗うつ剤として優秀なんじゃないでしょうか。

 𝕏を見ていると、絵を描く人間の精神異常率は異様である。私の周りの絵描きはかなりの確率で鬱か発達障害である。かくいう私も脳みそガイジである。普通に考えて、いい歳こいて仕事でもないのに絵を描き続けているのはどう考えてもセンチメンタルな心を持っている人間しかいない。かたや丁寧なくらし、かたやゴミ屋敷に生息している。丁寧なくらしをしている人とゴミ屋敷に住んでる人の心がどちらも同じくらいセンチメンタルだと思うとおもろい。
 今は特に、病み=イケてるという価値観が蔓延っているので、どれだけリスカするか、どれだけODするか、どれだけ精神異常者じみた絵を描くかで勝負している人も多いと思われる。どうでもいいけど、リスカ痕って見ててエグすぎるから銭湯のタトゥーくらい禁止にしてほしいんですけどどうでしょうか?自己を主張するグロテスクな傷跡を理解してほしいなんておこがましいと思いませんか?キショいものは見たくないし、ビックリするから隠してほしいというのはグロから守られた現代日本人の甘えでしょうか?

 𝕏に入り浸っていると、おすすめツイートで知らん二次創作絵描きの訃報が流れてくることがある。得意のネトストでツイートを漁るとどうやら鬱持ちだったので、恐らく自殺であろう。私は末期がん界隈を定期的に覗いているので分かるが、訃報ツイートというのはやけに伸びる。大量のお悔やみリプが付き、大量のR.I.P引用リツイートが付く。故人の人生最後の𝕏バズりを見ると、承認欲求を拗らせたメンヘラが虚言狂言自殺訃報ツイートしそうだな〜とよく思う。

 「○○さんの描かれる××が好きでした。すごく悲しいです。」「○○さんのツイートいつも楽しく見せてもらっていました。ご冥福をお祈りします」などと、砂糖に湧いて出る蟻のようにシュバってくる人たちはそのリプライを一体誰に向けて送っているのだろうか?死んだ人に届くはずもないリプライを、本人に伝わるはずもない言葉を発散させて何になるんだろう?
 先日、大森靖子と大槻ケンヂのツーマンライブに行った(敬称略)。そのとき大森靖子が「自分が死んだあとの名誉とかには全然興味が無い」と語っていた。私も死んだあとのことは心底どうでもいいと思っている。死んだら私はレスポンスを返すことができないし、レスポンスが返らないものに壁打ちで言われる言葉にもクソほど興味無いからである。
 葬儀とは遺された人間の心を癒すためにするものであって、もちろんそのリプライをすることで心が癒されるのであれば意義はあると思っている。ただ、それって生きてるうちに言えばいいのに……って思う。本人が聞いたら絶対喜ぶような言葉を生前に言わなかったくせに、訃報を知って受けたショック、悲しみを表明して共感を得たいだけだよね。みんなで悲しくなって気持ちよくなりたいだけだよね。そう思うのは性格がひん曲がっているからだろうか。
 高校のときにある教科を教えてもらってた教師が死んだ。朝イチで体育館に集められて、訃報を知らされて、教室に戻ったあとお通夜になった。50分間みんな泣き続けた。私も泣いた。休み時間、トイレに行って鏡を見たとき、泣き腫らした目に普段平坦な涙袋が爆発してて、今の目可愛いなって思った。

 私も、もし皆に見てもらえるうちに余命宣告とかされて死ぬことになったら、みんなに気持ちよくなれる場を提供してあげようと考えている。「死」という知らん人間史上最大の悲劇のエンターテインメントでカタストロフィーを味わわせてあげたいと思う。もしガンで死ぬことになったら、死ぬ前に急に元気になるタイミングがあることが多いらしいので、そのタイミングに自分で訃報ツイートをしてやろうと思う。生前私に対して1ミリもリプライを寄越さなかった方々が私の死で気持ちよくなって自己陶酔お悔やみリプライを送ってきたり、悲しみの共有で傷の舐め合いをしている姿を見るのはめちゃくちゃ気持ちいいと思う。私はそれを絶対ナマで見たいので、絶対死ぬ直前に自分でツイートします。みんなも私に言いたいことが届いてwin-winだと思う♪ 遅かれ早かれ死ぬんだから、みんなの言葉を絶対に全部見てから死んでやりたい。

 𝕏が先に死んだらつまんないので、未来永劫𝕏が続きますように。

 ノゾミ・カナエ・タマエ、てかレティクル座妄想、発売30周年らしいのでみんなも聞いてみてね☆☆☆


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