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下駄を履きたい人生だった

 人生ガチャ、親ガチャ、子ガチャ。環境を選ぶことはできないので平凡ちょっと下の暮らしをしていた。田舎に生まれたことが幸いして時代遅れの家族形態でもあまり不自由なく生きてこれた。それはひとえに親の財布の紐の硬さ、精神の強さにあったように思う。家族みんなで外食した記憶も、家族みんなで旅行した記憶もない。一家の唯一の稼ぎ頭なのにお小遣い制である理不尽に文句を言わなかった父親、毎日せっせと狭いダイニングキッチンの一口コンロでご飯を作ってくれた母親に尊敬の念を抱かずにいられない。

 子どもの頃、自分の家があまり裕福ではないことをなんとなく理解していた。社会は共働きの体制に変容しており、伝統的な「男は外で働き女は家庭を支える」という家族形態では生活を維持できなくなっているんだなと薄々勘づいていた。そのため、私は親や親類に金を出させるのを極度に嫌い、毎月のお小遣いとお年玉以外の金はできれば貰いたくなかった。おじいちゃんなんて存在は知らないし、おばあちゃんは女手一つで子どもを育ててきたのだからお金なんてないだろうと思った。そもそも、金を強請るなんて乞食のすることだと思ったし、同級生がおじいちゃんにお小遣いを強請りにいくことが理解できなかった。いくら孫とはいえ、扶養内に入りぬくぬく生活を送っている、労働の苦しみを知らないガキに金をくれなんて言われて不快では無いのだろうか?
 高校生のとき、周りの人間がオーストラリアに短期ホームステイに行く反面、私は唯一学校から公式に許されていた年賀状振り分けバイトをした。周りが親の金で1週間オーストラリアに行って得た経験と、私が1週間郵便局で働いた経験、高校生にとってはどちらも同じ、貴重な社会経験である。

 大学に入り、私は平凡より少し下の家庭出身であることを知った。それまで私は国公立大学に入る人間はみんな奨学金を借りて学費免除をしてもらいながら通っていると思っていた。何の気なしに友達に奨学金の話をしたとき、「大変だね~、私借りてないからさぁ」と言われて衝撃を受けた。聞けば両親が共働きで、公務員。他の友達にも聞いたが概ね同じであった。学費免除のために申請書類を書いたり親の源泉徴収票の原本を送ってもらったりしなくていい人間が大多数なのだとそのとき初めて知った。しかしながらそのお陰で、我々のような平凡以下の家庭はほぼ無料で大学に通い学士を得られるわけで、感謝である。たったの30万円で履歴書に書けるそこそこ良い肩書きをくれた国立大学法人には大感謝である。

 「東大生は環境に恵まれている」「成功している美術アーティストは実家が太いから成功した」という論に反論する当事者の方々は、関東のそこそこ名の知れた大学を第1志望にしたら「遠くに行って寂しいから」という理由で親に泣いて止められる冬の高校三年生の気持ちは理解していただけるのでしょうか?経済的な理由で私立大学には行かせられない、国立大学に入っても奨学金は絶対借りてね、授業料免除を毎年申請してねと言われたことはありますか?私だって本当はオーストラリアの短期ホームステイに行きたかった。この歳になって、まだ海外になんて行ったことがない。年賀状バイトをしたのだって社会経験を積みたいからなんかじゃなく財布を買いたかったからだ。親に内緒で、友達にメルカリ代行してもらって買った2万円の財布。それを今年の秋まで使っていた。皆様はきっと、2万円の財布を強請っても買ってくれる家庭で育ったのでしょう。

 別に私は貧乏自慢できるほどジリ貧生活をしているわけではなかった。世の中にはもっと貧乏な暮らしをしている人もいる。ごもっともです。死ぬほど恵まれなかったかと言えば別にそんなわけではない。奨学金だって結局200万しか借りていない。バイトをしまくって稼いだ金で遊び呆ける大学生活を送った。正直家賃分ほどの仕送りもしてもらっていたし、家賃・学費はほぼ無料なので、大学をサボって稼いだ金で好き勝手やって生きたのだ。しかし、家賃くらいの仕送りをしてもらっていることは私にとって負い目であり、大学生になってまで親に金を出させる屈辱と周りの経済的余裕に対する妬みをもってルサンチマンを燻らせていた。
 その一方で周りの人間は親に金を出してもらうことを負い目に感じておらず、むしろ親の金で留学したりスクールに通ったり旅行をしたり院進したり都心で就活をしたりしながら着々と社会経験を積んでスキルを高める。"大学生のうちにしかできないこと"を親の金でおこない、そこで努力をし、成果を出す。そういう人たちが「自分たちは恵まれた環境で生きてきたわけでは無い」と主張し、𝕏の貧困世帯から総叩きに合っているのである。たしかに、海外に行ったらアジア人差別をされたり勉強で躓いたり試験勉強が大変だったことは決して恵まれた経験ではないと思う。そういう努力に付随する苦労を否定されたと感じた富裕層の方々がそう反論したくなるのもごもっともである。でも、そんな反論をされたら貧困世帯がピキるのも理解していただきたい。別にアフリカの子どもと比べろとか言っていないし、貧民からしたら親に金出してと言える環境自体が恵まれてるんですよ。親に金を出させることに屈辱感を抱かず、親も結果を求めることなく快く金を出してくれる。その金を資本とできていることで、すでにそうでない人間より下駄を履いているんだと自覚した方がいい。留年しても卒業するまで1年分の学費を当然出してもらえるんですよね?いいなあ、私も休学したかったなあ……
 「親に学費出してもらってるけど借りてるだけだから、卒業したら返すから」って、貧民の私に気を使って嘘をつかせてしまってごめんね。そういう人って別に返さないと思ってるんですが、返した方います?

 知人が「気軽に海外に行くような人は、もともと家族が気軽に海外に行くタイプの人間なんですよ」と言っていたのだが、本当にそうだと思う。環境ガチャ。私ももう社会人になって同年代の平均くらい稼いでいる。帰省するたびに祖母が年金のなかから五千円札を渡してきて、屈辱感に襲われる。


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