いつかの暮色

ゆく年の寂しさもくる年のめでたさも感じる事なく、1月を迎えた。
私はどうもこういった人工の区切りというものが苦手だ。

12月は新しい曲を作ろうと、年内にはと、期日を決めて取り組んでいた(やはり苦手だ)。
前回作った曲「何度も」は音作りがあまり良くなかったのと、自分で歌うのが恥ずかしかった為Voisonaを使うなどと、割と至らぬ点が多かった。
今回はどんな音があったらカッコイイだろうかと思索を重ね、友人のギタリストにこれはどうだあれはどうだと聴き比べてもらいアドバイスを沢山頂いた。

そうして出来上がったのが「暮色」という曲だ。

シンセサイザーを適当に鳴らしていた時にCmaj7の響きがあまりにも良かったので、その音だけを頼りにメロディを作っていった。
歌詞は最初「真夜中」という曖昧なテーマだけで作っていたが、友人に聴いてもらう際に適当に「暮色」というタイトルを付けた結果そこからイメージが膨らんで少しずつ書いていった。
結局これが真夜中の曲なのか夕暮れ時の曲なのかよくわからない感じになってしまったが、最終的には真夜中に夕暮れの色を思い出している…というイメージになった。

小さな頃から私の祖母の家のすぐそばには送電塔が建っていた。
思えば私が送電塔というものを好きになったのもそこが始まりだったのかもしれない。
彼岸やお盆になると親戚一同が会するのだが、私はいとこと歳が近く仲が良かったので祖母の家に行き彼に会うのを毎回楽しみにしていた。
次はいつかと待ち遠しく思う日々、それが私の中の祖母の家を恋しく思う気持ちの基幹になったのだろう。

その送電塔からは長い長いケーブルが繋がっていて、またどこかの遠くの送電塔へと続いていた。
そのケーブルは何処まで行くのだろうと空想するのが私は好きだった。
同時に少し寂しさもあった。
その行く先の風景を私は知らぬままなのだと分かっていたから。
私にとって送電塔とは恋しさと寂しさの象徴なのだ。

…という送電塔に対する気持ちを込めた歌詞になっている。
少し熱くなってしまった。

私はこうやって曲を作る際に願うのは「できるだけたくさんの人に聴いてほしい」というありふれたものだ。
とはいっても私は名声を得たいわけでもなく、賞賛を得たいわけでもなく、富を得たいわけでもない。
ただたくさんの人が聴いて、それに対して何か思う事だけを望んでいる。
…毎回言っていないか、これ?
まあいい。

宮島達男という芸術家の言葉で…これも何度も話しているかもしれないのだが…「Art in You」というものがある。
作品自体が芸術なのではなく、作品はあなたの中にある芸術を起動する為の装置にすぎない、そういう意味だ。

私はこの考え方に非常に共感していて、自分が作ったものもその装置となってくれる事を望んでいる。
だからこそ私はたくさんの人に触れてもらい、よりたくさんの心を動かしたいのだ。

そういった訳で今年はより多くの作品を作って、聴いてくれる人が少しでも増えてくれるよう活動をしたいと思っている。
今も新しい曲を一つ考えているのだが、テーマが固まりそうで固まらない。

前述の通り私はいつまでに〜というのが非常に苦手ではあるのだが、今年中にEPにするくらいには作りたいと思っているので頑張りたいなあ、と思っているのであった。