小倉百人一首イラスト(11~20)(残0)

画像1 小倉百人一首 第十一番 参議篁(小野篁) 隠岐の国に流されける時に、舟に乗りて出で立つとて、京なる人のもとにつかはしける わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟(『古今和歌集』・羇旅・四〇七) 【通釈】 隠岐の国(島根県隠岐の島)に流罪になる時に、舟に乗って出発する時に、都にいる人の許に送った。「広い海原をたくさんの島々を目指して漕ぎ出してしまったと、都にいる人に伝えておくれ。漁師の釣舟よ。」
画像2 小倉百人一首 第十二番 僧正遍昭 五節の舞姫を見て詠める 天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ(『古今和歌集』・雑上・八七二) 【通釈】 五節の舞姫を見て詠んだ。 「空を吹き渡る風よ、雲の通い路を閉ざしておくれ。天女の舞姿をしばらくこの場所にとどめておこう。」
画像3 小倉百人一首 第十三番 陽成院 釣殿の皇女(みこ)につかはしける 筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがわ) 恋ぞつもりて 淵となりぬる(『後撰集』・恋三・七七八) 【通釈】 釣殿の皇女(光孝天皇皇女・綏子内親王)に送った。 「筑波嶺の峰から流れてたぎり落ちてくる男女川の様に私の恋心は積もり積もって深い淵の様になってしまいました。」
画像4 小倉百人一首 第十四番 河原左大臣(源融) 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに(『古今集』・恋四・七二四) 【通釈】 陸奥のしのぶもぢずりの乱れ模様の様に、他の誰のせいで私の心は乱れはじめてしまったのか。私のせいではないのに…。 (すべてあなたのせいなのです)
画像5 小倉百人一首第十五番   光孝天皇 「仁和のみかど、みこにおはしましける時に、人に若菜たまひける御うた」 君がため 春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪は降りつつ『古今集・春・22』 【通釈】「光孝天皇がまだ親王でいらっしゃった時に、人に若菜をお贈りになった時の歌」 あなたのために、早春の春の野に出て、若菜を摘んでいる私の袖に、雪が次々に降りかかってきます。
画像6 小倉百人一首 第十六番 中納言(在原)行平 016_在原行平_立ち別れ_w (クリックすると拡大します) 立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む (ここで今、あなたと別れて、任国の因幡の国に下っていくとしても、 その因幡の山の峰に生えているという松という名の様に、 あなたが私を「待っている」と聞いたなら、 すぐに帰京するつもりです。
画像7 小倉百人一首第十七番   在原業平朝臣 「二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風にたつた河にもみぢながれたるかたをかけりけるを題にてよめる」 ちはやぶる 神代も聞かず竜田川  からくれなゐに 水くくるとは 『古今集・秋下・294』 【通釈】 「二条の后(=清和天皇皇后、藤原高子)が春宮の御息所であった時に、竜田川に紅葉が流れている屏風をかけているのを題にして詠んだ」 神々の霊威で不可思議な事がいくらも起こった神代にも聞いたことがない。竜田川の水を美しい紅にくくり染めにするとは!!
画像8 小倉百人一首第十八番 藤原敏行朝臣 「住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目 よくらむ」 (住吉の海岸に打ち寄せる波のように、夢の中の私のもとに通う路の、夜でさえも人目を避けているのだろうか、あの人は現実でも、夢の中でも私のもとへ通ってこない。)
画像9 小倉百人一首第十九番   伊勢 難波潟 みじかき葦のふしのまも あはでこの世をすぐしてよとや『新古今集・恋一・1049』 【通釈】難波潟に生える短い葦の節の間のように短い間でさえもあなたとお会いしないまま、この世を空しく終えてしまえとおっしゃるのですか!?
画像10 小倉百人一首 第二十番 元良親王 事出(こといで)きて後に、京極御息所(きょうごくみやすんどころ)につかはしける わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ(『後撰集』・恋五・九六〇) 【通釈】 情事が発覚した後に、京極御息所(藤原褒子。藤原時平の娘。宇多法皇の妃。)に送った。 (あなたに逢えなくなってわびしい気持ちなので、今となってはもうこの身を捨てたのと同じことだ。 難波にある「みおつくし」ではないが、私の身を滅ぼしてもあなたと逢おうと思う。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?