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TOKIMEKIとKAGAYAKIの物語——スクスタよ永遠に

このたび、『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル ALL STARS』(スクスタ)のメインストーリーが53章をもって完結した。キズナエピソードも既に全30人分のストーリーが完結となり、これにてスクスタにおいて展開されてきたスクールアイドルたちの成長物語は幕を閉じることなった。

ところで、筆者のnoteでは、3rdシーズンの感想記事を既に投稿している。

そこで、本稿では、4thシーズン以降のストーリーのあらすじを簡単に振り返りながら考察・感想を述べ、その後でスクスタメインストーリー全体のまとめへと入っていくことにする。

さて、まず結論から言ってしまうと、4thシーズン以降のストーリーは3rdシーズンまでで描かれてきた虹ヶ咲のストーリーの「補完」としての意味合いが強い、というのが筆者の抱いている印象である。3rdシーズンの感想記事でも述べたように、3rdシーズンにおいては「みんなで叶える物語」そして「いまが最高」というラブライブ!シリーズが最も大切にしてきた価値観が深く掘り下げられていた。そのため、3rdシーズンにおいて虹ヶ咲の物語の「核」は描き切っていると言っても過言ではないし、4thシーズン以降のストーリーが3rdシーズンの「補完」になることは必然だったのだ。とはいえ、だからと言って4thシーズン以降が「蛇足」だとは思わない。4thシーズンから6thシーズンまでの終盤のストーリーを一言でいえば、3rdシーズンにおいて同好会メンバーたちが見出した「輝き」の解像度を徐々に高めていく過程だった、というのが筆者の考えである。

4thシーズン(44〜46章)のあらすじ

璃奈、せつ菜、ミア、「あなた」は、高校生ゲームクリエイターコンテストへ出場することになる(44章)。入念な準備を重ねた甲斐もあり、準グランプリを受賞した(45章)。一方、彼方のクラスメイトでライフデザイン学科3年の加藤ツムギは、ライブ会場で偶然出会った「あなた」に対し、スクールアイドルを応援することは自分の気持ちを押しつけるエゴであり、無意味だとの信念を漏らしていた。「あなた」はその後も何度かツムギと話すうちに、ツムギの考えに疑問を抱いていく(44〜45章)。

そしてコンテストが終わった後のある日、同好会が合同ライブを開催していたところに、偶然ツムギが訪れる。ツムギの姿に気づいた「あなた」が声をかけ、会話が進むうちに、ツムギは自身の過去について語り始めた。もともとツムギはとあるスクールアイドルを熱心に応援しており、お菓子作りの腕を生かしてマカロンを作って差し入れたりしていたが、そのスクールアイドルはある日突然活動をやめてしまった。そのためツムギは、自分の応援が気持ちの「押し付け」になってしまったのではないかと後悔するようになり、大好きだったお菓子作りも怖くなってしまったという。

「あなた」からツムギの過去を聞かされた同好会メンバーは、応援の大切さを改めてツムギに分かってもらえるよう、ツムギのためのライブを企画する。ライブを見終えたツムギは、彼方からの言葉もあり、お菓子作りを再開しようと決意。彼方とともに全国高校生No1パティシエ決定戦に出場し、「応援マカロン」を制作して見事グランプリを獲得するのであった(46章)。

4thシーズンについて

3rdシーズンでは、バスケ部部長や演劇部部長といった虹ヶ咲の生徒たちと同好会との交流を通して、スクールアイドルとファンとが相互に応援し合うことで成長していく様子が描かれた。これは「みんなで叶える物語」というテーマを徹底的に掘り下げていった先に現れてくる美しい世界観であるが、2ndシーズンから続くテーマでもあり、そしてアニガサキ1〜2期においても一貫して描かれてきたテーマでもあった(ちなみに筆者は、ブログに投稿したアニガサキ1期の感想記事において、この世界観を事事無礙という仏教用語を使って哲学的に分析している)。

だが、3rdシーズンにおいて描かれたスクールアイドルとファンとの間の美しい交流、相互作用は、互いが比較的近い距離感で応援し合うという、客観的に見れば特殊な環境において成り立っていたものだった。アイドルとファンが同じ学校内で密接に日常生活を共にしながら交流できるという環境は、ラブライブ!シリーズという作品群から一歩外に出れば、たちまち現実味に欠けることになる。そしてアイドルとファンとの間の距離が遠くなればなるほど、両者の間で気持ちにズレが生じやすくなる。すなわち、ツムギが提起する「応援はエゴか?」という問いに迫った4thシーズンは、近くない距離からアイドルを応援するという行為に潜むアポリアに挑むストーリーだと言うことができるだろう。

46章7話

たしかに、愛が重すぎるあまり、自分の気持ちに何の制限もかけないまま過大な感情を相手にぶつけるだけの応援は、ツムギの言うようにエゴに他ならないだろう。だが、最低限度の分別さえ弁えていれば、応援するという行為は、スクールアイドルとファンそれぞれの人格を陶冶する上できわめて大切なことだ。スクールアイドルとファンとの距離が遠くなってしまう状況は往々にしてあるが、応援の大切さは常に忘れてはならない。4thシーズンのストーリーが訴えかけているのは、そのようなメッセージなのである。

41章7話

また実のところ、3rdシーズンの終盤で「あなた」たちが学びとった教訓は、4thシーズンで提示された問いを解決するためのヒントを含んでいたのではないか、とも筆者は睨んでいる。「あなた」は41章において、毎日の一瞬一瞬を全力で生きられればそれでいいのだと気づき、勢いにまかせて新曲『永遠の一瞬』を書き上げた。それにより、具体的な夢も目標もなく、ただスクールアイドルたちを追いかけ続けているだけの自分をありのまま肯定することができたのだ。誰かを応援しているだけの存在にすぎない自分でさえも、誰かを応援することで一瞬一瞬を生きることができ、かけがえのない「個」として生きることができる。41章で「あなた」が見出したこの教訓は、応援もまたかけがえのない「個」の発露なのだと気づけずにいる4thシーズンのツムギへの、何よりのヒントとなっていた。「あなた」が4thシーズンを通して、ツムギに対し真正面から意見をぶつけることができたのは必然だったのである。

実は、これまでのスクスタのストーリーにおいて、似たような状況に陥ったことは他にも何回かあった。かつて「あなた」は、同好会メンバーに全員曲を歌ってほしいという自分の気持ちを「押しつけ」てしまいそうになり、反省するという場面があった(2章)。また、スクールアイドルフェスティバルに臨む同好会メンバーたちへの応援の気持ちが暴走して、歩夢と喧嘩してしまったこともあった(15章)。これらの失敗体験もあってか、ツムギに問い詰められて一瞬動揺してしまう「あなた」であったが、同好会の皆から改めて応援は何よりも大切なものだと諭されてすぐさま考え直すようになったのだった。

さらに、このテーマと同様の問題について掘り下げた他の事例として真っ先に挙げておきたいストーリーがある。それは、アニガサキ2期の5話だ。この回でランジュは侑に対し、「今のアナタは周りに自分の夢を重ね合わせているだけよ。アナタはそれで満たされたとしても、何も生み出してないわ」という辛辣なセリフを投げつける。言うまでもなく、ツムギが提起した問題意識と非常に通ずるものがあるだろう。だが、ファンからの応援をそのままパフォーマンスという形で表現したような同好会のライブを見たり(8話)、一人きりの存在ではないと同好会メンバーたちから説得されたり(9話)したことで、ランジュは自らの考えを改めることになるのだった。

相互応援、切磋琢磨という一大テーマを一貫して描いている点において、4thシーズンは3rdシーズンと何ら変わらない。だが、3rdシーズンで描ききれなかった「応用問題」に対し、3rdシーズンで培った経験を糧にしてどう立ち向かうかを描いたのが4thシーズンであった。その意味において4thシーズンは、3rdシーズンを最も直接的に「補完」するストーリーだったと考えられるのである。

5thシーズン(47〜50章)のあらすじ

学園案内パンフレットの制作を企画中の虹ヶ咲学園生徒会だったが、左月・右月に発想がかたいと言われてしまった栞子は、同好会メンバーにパンフレットに載せる内容について相談を持ちかける。同好会メンバーたちは学園内を数日間かけて歩き回り、学園の魅力を再発見していく。一方、「あなた」は歩夢との会話がきっかけで、他学科の魅力を知る機会があればいいと考えるようになり、さっそく皆に相談する(47章)。

「あなた」のアイデアを聞いた栞子は、在校生が他学科の授業を体験できる「他学科授業体験プログラム」を実施し、他学科の生徒目線で様々な学科の魅力を再発見することでパンフレット制作に生かそうと決める。結局、かすみと璃奈は国際交流学科、エマとランジュはライフデザイン学科、せつ菜は情報処理学科、愛は全学科の体験プログラムに参加し、栞子は皆の感想の聞き取りを実施した(48〜49章)。

体験プログラムが一段落したあと、中庭でいつもと違う動きを見せるはんぺんの様子が気になった一同は、はんぺんの後を追いかける。はんぺんはどんどん遠くの方へと歩いていき、はんぺんの追跡は、皆が思いもよらないほどの大冒険になった。帰宅した愛は、さっそく美里に大冒険の様子を話すが、後日あらためて「あなた」と病院を訪れ患者や看護師たちの前でライブを開催する。ライブを終え、「あなた」が愛に情報処理学科を選んだ理由を訊ねると、テクノロジーには謎が詰まっており、その謎を解き明かすと気持ちがいいからという答えが返ってきた。そして、愛の作った楽しい世界を将来見られるかもしれない、という「あなた」からの何気ない言葉にピンときた愛は、入院していたり自由に動けない人でも自由に行けるような新しい「世界」をテクノロジーの力で実現したいと考えるようになる(49章)。

そのアイデアを聞いた璃奈は、メタバースに近いのではないかとコメント。その璃奈の一言を受けて、メタバースを使ってどんな「世界」が作れそうか考え始めた愛は、試行錯誤の末に、何かを楽しむには「何をするか」よりも「誰とするか」が大事だと気づく。そして、会いたい人と一緒に思い出をたくさん積み上げてこれからも頑張ろうと思えるような、まさしくニジガクみたいな空間、名づけて「愛バース」を作ろうと決意する(50章)。

5thシーズンについて

5thシーズンのテーマは、「学校という場が持つエネルギーと魅力」であると言える。5thシーズン前半では、学校の中を歩き回ってみたり、他学科体験プログラムに参加したりしていくうちに、同好会メンバーは学校の魅力を再発見していく。続いて後半では、愛が「愛バース」の理想形として(特にニジガクのような)「学校」をイメージし、老若男女問わずあらゆる人々が会いたい人といつでもふれあえる「学校」のような場をメタバースで実現させたいという新たな夢を抱くようになる。

50章8話

もちろん、ただ単に「学校というのは良い場所だ」などといったありふれたメッセージを伝えることが5thシーズンの主眼ではない。学校という場が持つエネルギーが、スクールアイドル活動とどんなふうに良い影響を与え合っているのか、という問題に切り込んでいるのが5thシーズンなのである。自分たちはスクールアイドル活動を通して日々輝いているが、そんな眩しい日常生活の根底には虹ヶ咲という場のもつエネルギーがマグマのように伏在している。そして、そのエネルギーのおかげでスクールアイドルとして、そしてまたひとりの高校生として輝きあふれる生活を送ることができている。5thシーズンにおいて学校という場の魅力を再発見した同好会メンバーたちは、そんなことに気づいていくのであった。

50章10話

一方で、完成した学園案内パンフレットを見た一同は、同好会もまたスクールアイドル活動を通して虹ヶ咲が持つ魅力を大きく増幅させているということに気づく。学校と同好会、学校とスクールアイドル、学校と生徒。それぞれが相互に影響を与え合い、発展していく様子を綴った5thシーズンのストーリーは、まさしく学校という場において展開される「みんなで叶える物語」だと表現してよいであろう。

また、5thシーズンに対して筆者が個人的に感じている面白さといえば、やはり今までしっかりとフォーカスされる機会があまりなかった虹ヶ咲学園という環境が細やかに描かれており、そして同好会メンバーたちが虹ヶ咲という場とどのように出会ってきたかという逸話なども色濃く描写されている点と言える。今まで虹ヶ咲というコンテンツを追ってきた身だからこそ感じる、「そんな設定だったんだ……」というような小さな驚きが連続して沸き起こってくるシーズンであり、個人的にはそういう意味での印象深さがあった。特に、愛が情報処理学科所属であるという設定は、スクスタにおいては5thシーズンが初出となった(スクスタ以外の「スクスタ時空」のコンテンツまで入れれば、2020年11月発行のファンブック『みんなへ届け!ニジガクジャーナル』が初出)。あまりにも遅すぎた、とも言えるかもしれないが、愛が情報処理学科に進んだ動機がこれ以上ないほどはっきり語られたことは素直に評価しておきたい。

また、これはセンシティブかつコントロバーシャルなことなので出来れば言いたくなかったのだが、やはり言っておかねばならないことがある。それは、メインストーリーという場において、宮下愛というキャラクターの尊厳を回復させたということだ。

周知の通り、愛は2ndシーズンにおいて完全なる「サイコパス」と化してしまい、多くのラブライブ!ファンから相当な顰蹙を買った。愛の「サイコパス」化は、悪名高い2ndシーズンの中でも最も評判が悪い演出のひとつであり、スクスタから大量のユーザーが「他界」していった要因のひとつと言っても過言ではないだろう。

ところが、49章から50章にかけてのストーリーは、宮下愛というキャラクターに焦点を当て、愛の個性を存分に引き出しながらストーリーの軸とうまく調和させている。入院患者たちをはじめ最も弱い立場の人々への慈悲のまなざしを忘れない愛が、自身の専攻である情報処理のスキルを武器として、あらゆる人々が行き来できる新しい「世界」を作りたいと決意する。その慈愛深い精神は、キズナエピソード『楽しいの天才』編の物語を受け継ぎながら、5thシーズンを貫くテーマにも肉薄しており、よく練られたストーリーだという他ない。もちろん、5thシーズンが如何に素晴らしいストーリーだからと言って、2ndシーズンという陰惨な過去を水に流せるわけでは決してない。だが、その2ndシーズンを生み出してしまったメインストーリーが、曲がりなりにも自らの手で宮下愛というキャラクターの尊厳を取り戻そうとした、という意思だけは少なくとも汲み取る必要があると筆者は思う。

6thシーズン(51〜53章)のあらすじ

μ'sの誘いで、Aqoursと同好会メンバーは神田明神の「だいこく祭り」に行くことになった。様々な催し物への参加を通して、ここはμ'sにとって唯一無二の地元であり、それだけに特別なお祭りなのだということを実感する同好会メンバーたち。しかし、μ'sの地元とは対照的に、お台場には「だいこく祭り」のような地域全体のお祭りが無いことに気づく。改めてお台場の街を歩いてみて、お台場という場所が自分たちにとって如何に大切な場所かを再確認した同好会メンバーたち。そんな中、「あなた」はお台場にお祭りが無いなら自分たちで作ろうと提案する(51章)。

その後、さっそくダイバーシティ東京プラザの担当者にお祭りのアイデアを持ちかけていった同好会メンバーたちだったが、ダイバーシティの担当者の尽力もあって、アクアシティお台場、デックス東京ビーチ、有明ガーデンとの共同開催が見事決定した。続いて、それぞれの商業施設でどんな企画をしようか考え始め、DiverDivaはダイバーシティで「サイバー盆踊り」、A・ZU・NAは有明ガーデンで「A・ZU・NAランド」、QU4RTZはデックス東京ビーチで「巡り合いの灯籠流し」、R3BIRTHはアクアシティで「世界中の料理を屋台で楽しめる縁日村」の企画を担当することに決まり、スタンプラリーや思い出の写真・動画の展示などといった企画も追加決定した。そんな中「あなた」は、「ここで過ごして、ここが大好きで、思い出を重ねてるみんなに向けた曲」というテーマで、同好会みんなが歌うお祭りのための曲を作ろうとする(52章)。

そして迎えたお祭り当日。地元の人たちの全面的な協力も得て、お台場で生まれた絆や思い出をずっと未来へと繋げていくというコンセプトのもと、「第1回お台場レインボーカーニバル」が始まった。μ'sやAqoursも参加して、A・ZU・NAランド、縁日村は大盛り上がりとなる。その後、お祭りも終盤に差しかかり、QU4RTZが企画する灯籠流しが始まった。灯籠流しは、普通の灯籠流しとは異なり、「今までの出会いに感謝して、また次のすてきなことに巡り会えるようにお願いを流す」というもの。μ's、Aqours、同好会にくわえ、他の虹ヶ咲の生徒たちや家族・仲間たちの願いや想いが書かれた灯籠が、東京湾に流されていった。そして、お祭りのフィナーレを飾るのは、ダイバーシティ大階段での同好会のステージ。今日がみんなにとってずっと輝き続ける思い出になるように、との願いを込めて新曲『KAGAYAKI Don’t forget!』が披露され、お祭りは幕を閉じた(53章)。

6thシーズンについて

6thシーズンは、もちろんスクスタメインストーリー全体を締めくくる総まとめの物語でもあるのだが、シーズン単体で見たときのテーマを一言で表すならば「地元という場が持つエネルギーと魅力」という具合になるだろう。思えば、μ'sの物語でも、Aqoursの物語でも、ラブライブ!シリーズは一貫して地元との密着感を大事にしてきた作品だった。地元をリアルなものとして、スクールアイドルたちと密着させて丁寧に描いていくという方針は、原案者の公野櫻子氏が最初にμ'sの物語を構想した段階から貫かれている。一方、虹ヶ咲という作品が地元をリアルかつ密着感のある対象として描くようになったと言えるのは、やはりアニガサキが始まってからだったと言わなければならない。アニガサキが始まってからもスクスタは、臨海副都心という環境の特性・個性を演出上フルに生かす工夫を凝らしてきたとは言い難かった。むしろ、(主にキズナエピソードなどにおいて)スポットライトが当てられがちだったのは、μ'sの地元のアキバやAqoursの地元の沼津のほうだったように思われる。個人的に、その点は残念に感じていたところであった。

だが、筆者が抱いていたモヤッとした感情は、6thシーズンでかなりの部分が雲散霧消することとなった。もちろん、もっとずっと早くこういうストーリーを見たかったということは言うまでもないのだが、それでもスクスタのシナリオ担当者が真正面から臨海副都心の魅力を掘り下げ、物語の大団円へと繋げる「鍵」にしてくれたことに対しては最大の賛辞を贈りたい。

一方、アニガサキは、登場人物たちの繊細な心情描写に加えて、その背景を形づくる臨海副都心の街並みをきわめてリアルに再現した作品である。だが、アニメ媒体ではないスクスタにとって、目まぐるしく場面が変わり、背景がころころと変わっていくようなダイナミックな演出にはおのずから限界がある。そこで6thシーズンでは、登場人物たちが肌で感じた臨海副都心の風景や雰囲気をアニガサキよりも細やかに言語化することで、街並みのリアルな表現を可能なかぎり実現させようとしていたと思う。

53章3話

それでは具体的に、6thシーズンで掘り下げられた地元の魅力・エネルギーとはどのようなものになるだろうか。まず第一に挙げられるのは、商業施設ばかりが立ち並び、そこに根づいている人々の温かみが薄いと思われがちな臨海副都心のイメージを、「第1回お台場レインボーカーニバル」の開催を通して一新しようと試みていることだ。同好会が提案するお祭りのアイデアを親身になって聞き入れてくれるダイバーシティの担当者、お祭りに向けて応援してくれる地元住民など、臨海副都心に在住・在勤しているすべての人々の「温かみ」に焦点を当てていく。さらに、そこで日々を暮らしている人々が、想いを10年、100年先に繋いでいく。荒涼とした海運倉庫と商業施設ばかりが立ち並ぶ「冷たい」臨海副都心ではなく、様々な人々の様々な想いに彩られた「温かい」臨海副都心の光景が、6thシーズンを通して活写されていた。

そして第二に、いろいろなところから新しい人々、新しいものを吸収していく貪欲なパワーが臨海副都心には確かにあって、そのパワーによって地域全体の魅力が底上げされている様子が描かれていることである。51章の終盤で、虹ヶ咲の地元は新しくできた街なので、住んでいる人も少なく工事中の場所もたくさんある、という会話を皆で交わすシーンがある。「それって、ちょっと寂しいことなのかな」と呟く歩夢に、「あなた」は別の見方を提示する。

51章10話

たしかに虹ヶ咲の地元は、人々の暮らしがしっかりと根づいているわけではないかもしれない。しかしその分、様々な場所から新しい人々を寄せつける潜在的なパワーを秘めていると言い換えることもできる。そして、そのパワーこそが、この地域の魅力の源を形づくっている。そのような地域性に対する考察が同好会メンバーたちによって展開されているのは興味深く、また画期的なことである。

そういえば『ラブライブ!』劇場版においても、μ'sの皆が、新しいものをどんどん吸収して変化していく街という点でニューヨークとアキバは似ているという話をしていたのを思い出す。それはきっと、臨海副都心も同じなのだろう。だが、臨海副都心には、アキバやニューヨークとは異なり、伝統らしい伝統というものはない。その分、アキバやニューヨーク以上に、新しいものを吸収するパワーでみなぎっているのかもしれない。こうして考えてみると、新しい人々、新しいものを他のどんな街よりも貪欲に吸収していく臨海副都心の個性は、虹ヶ咲学園という場、スクールアイドル同好会という場の個性とも響き合い調和している、とも言えるのではないだろうか。虹ヶ咲学園、そしてスクールアイドル同好会は、ややもすると杭で打たれてしまうような強い個性を受け入れ、のびのびと成長させる「場」として描かれてきた。「個」を大切にし、成長させるという考え方は、新しいものを吸収して変化していくという臨海副都心の風土と、じつによく調和しているように思えるのである。

そして、地元のエネルギーをいっぱいに浴びて育った同好会が、スクールアイドル活動を通して、こんどは地元にエネルギーを還元していく。

51章10話

地元から与えられ、そしてまた地元に返していく。それはまさしく、「スクールアイドルと地元」という二者によって紡がれる「みんなで叶える物語」なのだ。

さらにQU4RTZは、新しいものの吸収、「個」の尊重というコンセプトを、灯籠流しという儀式によって象徴させようとする。そして、このお祭りというたった一日の、一瞬の出来事を、永遠に昇華しようとする。

52章5話

新しいものが吸収され、かけがえのない「個」が育まれ、それぞれの「個」が抱く夢や願いが次の世代の「個」へとずっと受け継がれていく。そんな同好会の素晴らしさを、虹ヶ咲の素晴らしさを、地元の素晴らしさを、儀式によって賛美して伝えようとする。QU4RTZが企画した灯籠流しには、そんな意味が込められているのだ。

そのようなわけで、5thシーズンでは「スクールアイドルと学校」という二者の間で繰り広げられる「みんなで叶える物語」が描かれたのに対し、6thシーズンでは「スクールアイドルと地元」という更にスケールの大きい二者関係へと焦点を拡大させつつ「みんなで叶える物語」を変奏している、と言うことができる。さらに6thシーズンは、3rdシーズンの一大テーマでもある『永遠の一瞬』を、「今日という一瞬の出来事を、そしてその一瞬に込められた皆の想いを、未来までずっと繋いでいく」という形で受け継いでいる。つまり、「みんなで叶える物語」や「永遠の一瞬」が紡ぎ出される「場」は、

  • 2nd〜4thシーズン:スクールアイドルと友達、仲間

  • 5thシーズン:スクールアイドルと学校

  • 6thシーズン:スクールアイドルと地元

というふうに変化してきたと言える。1stシーズンで培った「自分の大好き(ときめき)を大事にすることの大切さ」を基礎にしながら、物語の「場」を徐々に仲間、学校、地元という順序で大きく膨らませていく。また同時に、一瞬一瞬を夢中で生きていく。スクスタメインストーリーとはそういう物語だったのであり、6thシーズンは、そのラストにふさわしい結末を描き切ったと筆者は思っているのである。

おわりに 〜スクスタ完結に寄せて〜

スクスタがリリースされた2019年9月26日を境に、自分のライフスタイルが変化したという実感がある。それまで、(ライバルグループを除いて)異なるスクールアイドルグループどうしが相互交流する様子を見られる機会は一切なかった。だが、スクスタの登場でそれは現実のものとなり、それから3年9ヶ月もの間にわたり、本来であれば目にできないはずの世界を味わい続けることができた。さらに、メインストーリーやキズナエピソード、イベントエピソード、毎日劇場など厖大な量のエピソードを読み、スクールアイドルたちの未知の魅力に触れることができた。

2ndシーズンという「特異点」

メインストーリー2ndシーズンは、そんなスクスタのストーリーの中における「特異点」だったと筆者は思っている。あのシナリオがどんな経緯で構想され執筆されたのか、関係者のすべてがかたく口を閉ざしている現在の状況からは、確定的なことを言うのは不可能に近い(おそらく、関係者全員が墓場まで持っていくつもりなのだろう)。

しかし、おおよその経緯を想像することくらいはできる。ソロという形式にこだわらざるをえないほど「個」の力が強い虹ヶ咲の物語を描くにあたり、μ'sやAqoursのように和気藹々とした関係性よりも、闘争心むきだしのバチバチとした関係性のほうが、虹ヶ咲の雰囲気としてはふさわしい。おそらく運営はそのように考えたのであり、だから1stシーズンや2ndシーズンは従来シリーズ以上にバチバチとしたストーリーとなったのだろう。そして、その方針「そのもの」は決して間違っているわけではない。その方針を実際のプロットに落とし込む「過程」にこそ著しい過誤があったのであり、それが、2ndシーズンという地獄を現出させたのだ。

その後、さすがの運営も2ndシーズンの大炎上を機に襟を正し、3rdシーズン以後のシナリオ改善を懸命に図ったのだと思われる。それは、2ndシーズンまでと3rdシーズン以降とでストーリーの雰囲気かがらりと一変したことからも、容易に想像がついてしまう。ともあれ、2ndシーズンは様々な歴史的偶然が重なり、(今となっては)和気藹々とした展開のシナリオのほうが圧倒的に多くを占めているスクスタのストーリー全体において、「特異点」と化す運命を辿ったのであった。そう、あくまでも2ndシーズンは「特異点」にすぎない。それだけに、2ndシーズンが生まれてしまったこと、そして2ndシーズンをきっかけに従来のプレイヤーの多くが3rdシーズン以降のストーリーやキズナエピソードを見ないまま「他界」してしまったことは、ますます残念なことだと感じられる。

少しの心残り

スクスタメインストーリーは53章をもって大団円を迎えた。まさしく、大団円と呼ぶにふさわしい圧巻のラストだったと思うし、その感想は既に述べた通りである。だが、53章までに、それまでに作中にて言及されていたすべての課題がわだかまりなく解消したかといえば、100%そうだとは言い切れないように思う。いま思いつくだけでも、未解消の要素は2つある。

5章5話

1つ目は、μ'sの「虎の巻」は結局何だったのか、という問題である。「虎の巻」とは、5〜6章を通してμ'sと虹ヶ咲が繰り広げた9番勝負において、にこがμ'sの魅力の秘密を書き記したとされる資料のことだ。9番勝負では虹ヶ咲が一歩及ばずという結果になったことなどもあり、「虎の巻」の中身は一体何だったのかはずっと明かされずにきた。そして、メインストーリーが完結してもとうとう明かされることはなかった。5〜6章のストーリーを論じるため、ひいてはμ'sと虹ヶ咲の関係性を論じるためにも、このμ'sの「虎の巻」というのは欠かせない重要なアイテムのはずである。せっかく張った重要な伏線なのだから、ちゃんと回収してほしかった。

43章10話

2つ目は、「歌と想いを繋いで日本をひとつに繋げる」企画はどうなったのか、という問題である。これについては覚えている人はほとんどいないかもしれないが、43章でμ'sが熟考を重ねた末に打ち出した「新しい目標」というのが、この「歌と想いを繋いで日本をひとつに繋げる企画」である。42章から続いた「μ'sの新たなあり方」の模索を描いたエピソードの結末として、Aqoursとともにこの企画を実現させようという決意が穂乃果の口から語られたのであった。が、その目標がその後の作中で語られることは二度となかった。せっかく張った重要な伏線なのだから、ちゃんと回収してほしかった(大事なことなので2度言った)。

(伏線がどうという以前にストーリーそのものが支離滅裂だった2ndシーズンはさておくとして、)メインストーリー全体を俯瞰したときに明らかに重大と思われる伏線が放りっぱなしになってしまったように見受けられるのは、個人的には少しの心残りとなっている。

さて、これ以上ネガティブな話を続けていても仕方がないので、そろそろスクスタの物語、虹ヶ咲の物語の総まとめを行い、本稿を締めくくるとしよう。

虹ヶ咲という物語

先述したように、スクスタのメインストーリーは、

  • スクールアイドル自身の心がまえ(大好きを大切にするという姿勢)を培っていく1stシーズン

  • その姿勢を通して、より多くの隣人(仲間→学校→地元)と応援し合い、一瞬一瞬を夢中に生きながら成長していく2nd〜6thシーズン

という基本構成になっている。そしてその構成の基本的な「骨格」は、3rdシーズンにおいて出尽くしている。4th〜6thシーズンは3rdシーズンの「補完」だと冒頭で述べたが、これはそういう意味である。そして言うまでもなく、「蛇足」ではない。

筆者は、この二段構えのストーリー構成こそ、TOKIMEKIとKAGAYAKIの物語と呼ぶにふさわしいと思っている。自分の中に芽生えた「大好き」の気持ち、夢中になろうとする気持ちを大切にしようという「TOKIMEKI」の心。周囲の仲間たちや地元とともに応援し合い、与え合いながら一瞬一瞬を全力で生き抜こうという「KAGAYAKI」の心。虹ヶ咲の物語は、TOKIMEKIとともに走り出し(TOKIMEKI Runners)、KAGAYAKIを忘れない(KAGAYAKI Don’t forget!)と誓って幕を閉じたのである。

生まれたのはトキメキ 惹かれたのは輝き
あの日から変わりはじめた世界
見てるだけじゃ足りない カラダ動かして
できることないか 探してみようよここで

TOKIMEKIを胸に抱いたニジガクは、自分たちのKAGAYAKIを予感しながら走り出した。そして、懸命に毎日を駆け抜けていくうちに、いつしか自分たちのKAGAYAKIに気づくようになった。『TOKIMEKI Runners』の歌詞の冒頭は、スクスタで描かれた虹ヶ咲の物語を一言で表している。

52章10話

さらに、仲間や地元と与え合い、一瞬一瞬の想い出を永遠に昇華しようというKAGAYAKIの精神を、「あなた」は歌にしようと決意する。

そして同好会が新しい歌を披露する、お祭りのラストステージ。その直前に、千歌は自分が灯籠に込めた想いを振りかえりながら、自分たちのKAGAYAKIも追い求めたいと叫ぶ。

53章10話

μ'sの輝きに惹かれてスクールアイドルを始めたAqoursもまた輝きを発し、そのAqoursの輝きに惹かれて虹ヶ咲が自分たちの輝きを発見する。その輝きを見て、Aqoursもまた輝きたいと願う。互いの輝きが互いを照らし合う、万華鏡のような世界を映し出しながら、スクスタのメインストーリー、虹ヶ咲のストーリーは幕を閉じたのであった。

ところで、本ストーリーの主役である虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、あくまでもソロアイドルの集合体である。ソロアイドルはグループを構成するアイドルとしてではなく、ソロアイドルとして描き切らなければ意味をなさない。その意味で、虹ヶ咲にとって本来の「メイン」ストーリーは、「個」の魅力と成長を徹底的に活写するキズナエピソードと言うべきなのである。しかし、キズナエピソードがいくら頑張って「個」を描いたところで、その一つ一つの「個」を受け入れ育んでいく「場」をも描かなければ、それもそれで物語としては味気ない。したがって、スクスタメインストーリーとは、「個」を全体として包み込み照らし出していく「場」の物語だったと言うべきである。筆者は、かけがえのない「個」を描いたキズナエピソードと並んで、「場」の物語としてのメインストーリーを毎回楽しみに追ってきた。そしてそれらの物語は、これからも筆者の心に残り続けるのであろう。

スクスタの物語が描いた軌跡は3年9ヶ月と短く、振り返ってみれば「一瞬」だったような気がする。だが、その「一瞬」は、「永遠」の輝きを放っている。

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