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整体師で魔女って

わたしは魔女になりたいんだなあ!と思った。

服部みれいさんの『あたらしい結婚日記』を読んでいたら、みれいさんが、自分は健康おたくかスピリチュアルおたくかどの部類に入るんだろうということを書いていて。自分は現代の魔女になりたい、魔女ッ子見習いなのだと。

黒魔術をかけるような方面ではなくて、どちらかというと、少女性が強くて、たくましくて、タフで、チャーミングで、鼻っ柱が強くて、そのくせ涙が出ちゃう、みたいな、そういう、どこかコケティッシュでさえある、だのに、女性や子どもの味方だぞなもし!っていうような、両性具有的な女の子というものを魔女ということばに抱いてしまう。
『あたらしい結婚日記』p118

この「魔女の宅急便」のキキ感。わかる〜と思って、読み進めるとさらにこう書いてある。

 わたしは、どうしたいのか?ただ、からだひとつで、自然とつながって、そして誰とも対抗しない、みたいなふうになりたいのかな。
 軽くなって、あたらしい意識になって、恐怖心や罪悪感をベースに生きていくのではなくて、確かで安心してたのしく、できたら暮らしのそこかしこに愛なんてものを感じたり、配ったりして生きてもみたい。目に見える世界同様、目に見えない世界のことも大切にして生きてみたい。どうせ生まれてきたんだし、おもしろく生きてみたいという欲求みたいなものなのかな?そうして死ぬ時に、「あー、おもしろかった」って死ぬ。思い出せば笑えて、おもしろいこといっぱい。ほんのちょっぴりは誰かの役に立った日もあったかナ、なんて思う、そういう瞬間のために、魔女ッ子は、魔女的なものを、現代ではとりわけ必要としているのかもしれない。何かの秘儀の技術そのものにとらわれているとか逃避しているとかではなくて、もっと、こう、ダイナミックな愛=すなわち自然みたいなものを味わうために、そのツールとして、いろいろなものを試してからだとこころを浄化している。p120

くうううう、となった。悶えた。いや、もうほんとそれ以上の言葉がないくらいに。

それ以上の言葉はないのだ。




みんなにそうなろうよ!と言いたいわけでもなく、ただただわたしがなりたいのはこういう存在かも!と思っただけのこの文章を誰に向けて書いているのか見失ってしまった。よく見失って、結局公開しなかったりする。そんなのが下書きに溜まりまくっている。こういうのを有料にしたらいいのかもしれないな。そうしたら、、うーん、ほんとに?だから紙にペンで書く日記がしっくりきたのか。あそこに書いてあることは、自分のことで、自分に向けて書いていて、読もうと思って写真をひらいた人しか読めない。その距離感がちょうどいい。有料でもクローズドでもない。だけどすこし段差がある感じ。

最後までありがとうございました。