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インターネット的、長男のお嫁さん

読書の秋。無性に文字を読みたくなっている今日この頃。熱が冷めないうちに、ここぞとばかりに本を注文する。すべては、「イエ問題」に起因する。すべては、「打倒、本家長男のヨメ!圧力」なのだ。
なぜ、斯くも、人はイエに支配されるのだろうか、という疑問だ。支配されると言う表現が正しいかはわからないが、なぜ、自分の人生を生きる上で、優先順位を高く保つことができるのか。一世代、二世代前(それ以前については知識不足)には、あたりまえに長男はイエをつぎ、イエを守ることが当然とされた。支配される、と表現したのはその思考が内面化されているから。
私の祖母のように、そして義父の父や義父母夫婦のように、イエにより自らの居住を決められ、必然的に人生がそこから逃れられないものになっている、という事実。どちらも、共通するのは、一旦イエから離れ、自らの人生を歩めるチャンスがあった、ということだ。祖母の場合は、祖父の自己判断、すなわち「親孝行と思って」という親の願いを聞き入れた祖父が、独断でイエに帰ることを決め、それについていく他なかった、という展開なので、チャンスはなかったとも言えるのだが。しかし、興味深いのは、親孝行といえば、まかり通ってしまう事実。アンビリーバボー!!
現在でも、家長が強い義父母の家では、子どもらがいくつになっても親が一番だ。家族の中に権力構造がある。嫌なことはもちろんあるが、そのことよりも、気になることがある。それは、義父母を一人の人生とみなした時に、「なぜ、自分の人生をかけてまでも、家を守るという選択肢をしたのか、できたのか」という、率直な疑問だ。さらに、今のご時世なら、自分の子どもには、その能力が最大限発揮できるよう願うものではないだろうか。そうではなく、子どもに同じようにイエ及び家(建物として)を、今なお背負わせようとするのは、なぜか?

インターネット的、という言葉は、糸井重里氏の『インターネット的』から借用。読みふけっている本の中の一冊だ。まだ序盤しか読んでいないが、インターネット的を表す要素に、「リンク、フラット、シェア」をあげている。そう、これは、これまで権力構造の中でしか生きていない世代にとっては、肌感覚で理解できないものだろう。
イエ構造は、権力構造だ。インターネット的なこの時代、これからの未来、どのようにイエ問題が解決の糸口を見出すことができるだろう。
全国のイエ問題は深刻だ。田んぼはどうなる?墓はどうなる?家はどうなる?団塊世代が75歳を超え始めれば、医療問題のみならず、同様にこの問題から逃げられない。すでに直面しているのだろうが、家庭のことは表に出にくいため、問題があまり共有されていない。墓じまい、などもあるが、これを我が家の問題と考えている親世代がどれほどいるだろうか。甘くみてはいけない、まだまだイエ問題を自分ごととしている親世代は少なくない、と私は見ている。

そういうわけで、自分のこの先をも左右するイエ問題に、まずは、親(義父母)の半生も含めた観念について、知ってみようと思っているところです。

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