娘の前では醜美の呪いを押し込む

こんにちは。つらつら書きます読んでも何も感想は抱かないで頂きたい。


色々な自分に対する醜美に対する感想を書いていたのが約1年前。自分の娘も気付けば3歳、今年から幼稚園の年少さん。

今の世の中、スマートフォンの普及によりSNS上での他者から自分への醜美ジャッジが若年化していて中学生でも整形が一般化へ移行
正直異常だよね〜生きずらいよ、本当に。

って言っても自分が幼稚園の時でも、今のSNSのように画面越しの全世界からのジャッジでは無いが、幼稚園という子どもが思い、体感している“全世界”からのジャッジはあったと思うんだよね。実際に私は容姿をいじられていた記憶がある。
幼稚園時代、トイレから出てきたら私にデブといった男子や、娘への愛情ゆえに量を多く作ったお弁当を食べる私に「沢山食べるんだね笑」と言ってきた友人のママ。

そんな私も見た目への執着を拗らせ続け整形に手を出し、その費用を稼ぐまで風俗で働きもした。

だけど私は子どもを産んだ。この世で1番可愛くて愛している娘。

でも自分の見た目に同じく執着を持っている人はやはり自分の遺伝子を継がせるということに躊躇いや、嫌悪感を持つ人が多い。でも私は嫌いで仕方ない自分の遺伝子を世界で1番可愛い娘に託してしまった。世界で1番嫌いな自分の遺伝子で世界で1番好きな娘はできている。しかしこれは責任転換しているのでも、自分が叶えられなかった夢を娘に代わりに叶えて欲しいなどでは無い。

ってことで今日書きたいこと、実は自分の顔を自分だけと向き合ってる時はさほど嫌いではないのかもしれないと思ったということ。



子どもを産む時になるべくなら自分には顔が似ないように、旦那に似るように…とクソみたいな賭けをしていた。今思うと本当にゴミクズな考えだと思う。けどその時は本当にちゃんと自分はこれから生まれてくる子どもを、自分の人生を二の次にしてでも必ず幸せにする責任を全うできるのか不安で仕方なかった。産むという決断をしっかり持てたのはノートにびっしり当時の不安を書いて気持ちの整理をした後だった。無責任であることは分かるが、子どもを産んだことも育てたこともない私に出産子育ての善し悪しなんて比較対象がないからわかるわけないし、これからの人生をかけることとなる1イベントに不安にならない人なんて居ないだろうに。

そんな不安からも無事に出産し、その娘が現在3歳。果てしなく可愛い。不安として思っていた部分の結果としては旦那に似ている。正直凄く安心した。
最悪な親だなと思うけど、でも別に娘を世界1可愛いとか世界1愛するとか、そんな所に誰に似てるかは関係なく、ただ娘の生きやすさを考えた時に旦那に似ていた方がこの子のためだろうと、ただ呆然と考えていた。だから見た目の呪いをずっと纏っている、スタートから出鼻を挫いている私よりも遥かに生きやすい人生が確定したのではないかと安心したのだ。



さて現在。
親になって尚、自分の醜美の呪いには相変わらず囚われている。日々しんどくなって新しい化粧品を買えば変わるのではないかという淡い期待を抱き、顔にメスを入れず、何となくこうすればいいのでは無いかという現在の生活での変われる瞬間の希望に毎日絶望し生きている。

でも私は愛娘の前では自分への呪いは無理やりしまい込む。というよりも、娘といる間の私はなぜか可愛いのだ。本当に一瞬だけ娘が通っている幼稚園のママの中では群を抜いて1番可愛いのでは?と錯覚を覚える。てか、親子で1番可愛いし?ぐらいのメンタルになる。

そうか、自分の顔を自分だけで見つめている時はちゃんと可愛いと自分を思え、愛せているのだと解った。

そりゃそうだ、過去の自分と今の自分を比べれば努力をした分だけ可愛くなっているのだ。そんな当たり前のことなのにSNSを見た一瞬で画面越しの全世界の比較対象が目に入ってしまい、また呪いにかけられる。




だから私は娘の前ではこの長い間ずっと私の人生の足を引っ張ってきた呪いをしまい込む。むしろ、娘がいる瞬間だけは呪いから開放されるのだ。

だから分かったけど、たぶん私は私単体で、私の周りの生活圏である小さいけれど大きい私の全世界では自分のことを普通に可愛いと思えていた。灯台もと暗しだよ本当に。しらんけど

私は私を可愛いとは思えているけど、でもSNSの大きな世界ではブスなんだろう。だから可愛くならなくちゃ、同じく画面越しの人に認めて貰おう、それが私の喜びであり生きやすさだと思っていたのかもしれない。


けど違うんだよ、たぶん。
たぶんだけど、なんとなくみんな自分の中で許せるボーダーがあってさ。そりゃ夜職の人たちはそのボーダーが高いよ。自分が商品なわけだしさ。
けどそんなボーダーが高い人の中にも自分だけが思えるボーダーが自分の中にはあると思うんだ。
そのボーダーを超えたところには永久的に天上ってない気がする。だから私も永遠と完成がなかった。生きずらいところまで行ってしまった。

でも今なら思う。自分の中のボーダーには達していたから自分だけの世界では自分には満足してて、だから子どもを産むって言う選択が自分にはあったのかなって。



私は、私の大きな世界では可愛い
今の中学生、高校生も自分の中での世界でなら可愛いって思えててほしい。自分のボーダーを突き抜けたところの正解をSNSの大きな世界に見出さないで欲しい。もちろんこれからSNSに触れるであろう娘にも。

私は私を気付かぬうちに可愛いってちゃんと思えていた。だから私は娘の前では大きな大きな呪いを自分のボーダーの中に押し込んでいく






オチはないよ
起承転結もないよそういうもんでしょ

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