2021年3月1日(月)

スキマスイッチのライブが衝撃的すぎて日記サボりまくってしまいました。ほぼ知らない曲でしたが一生スキマスイッチのこと好きでいようと思えるライブでした。

俺のTwitterはYouTubeから大好きな歌を引っ張ってきて後からグフグフ見返すための場所と化しているのですが、気を抜くとスキマスイッチだらけになりそうな勢いで好き。

歌の中の「おーおぅいぇい」みたいな部分をフェイクって呼ぶんですが、このフェイクが素晴らしい歌手は総じて神様です。スキマスイッチの大橋さんは神様の一人です。

神様は、本当に音楽を愛してて音楽に愛されてるなって思えるフェイクを生み出します。

俺は音楽を愛してたつもりですが、作曲家の千原英樹さんに一度だけ合唱を指導していただいた時、「無理だな」って諦めてしまいました。俺の中に音楽は無いって思ってしまいました。

自分に才能が無いって言葉は嫌いです。才能がモノを言うのは本当の本当に最高峰の世界の話で、そこまで努力し尽くしたと自分で思える時まで口に出しちゃいけないと思うんです。

大学で合唱に出会って、遅ればせながら音楽を愛していこうと思っていましたが、自分の限界まで努力するのが怖くて、ゆっくりゆっくり逃げてしまいました。

何より、音楽のために頑張れない自分に出会うことが怖かったんです。

頑張ろうと思って始めて、すぐに頑張れなくなってあっという間に逃げ出してしまう人生です。

自分のそういう所にとっくに失望してるので、本当に大好きなものが出来るたび、いつか逃げ出す自分が怖くて早いうちに見切りをつけて逃げ出す癖がついてしまいました。

何かを愛するためには、どれだけ裏切られても失望しても努力し続ける覚悟が必要なんでしょうか。それが未来の自分の内から生じる最低な裏切りであっても。

だとしたら俺はまだ何かを愛せるほど強くないです。死後は虚無だと信じていて、物心ついた頃から辛くなったら自分を消して逃げてしまえるし、と開き直る癖までついてしまってます。

だからこそ、アーティストにせよ学者にせよ為政者にせよ、何かを愛し通して殉じることのできる、偉人と呼ばれる人たちが俺にはとても眩しいです。

彼らの何が偉大って、その覚悟が偉大なのでしょう。狂ってるように見えて、愛するものの為には狂わない。凄まじい重責を抱えながら自分の覚悟に報いる姿は何より偉大です。

ぶっ飛んだ奴なんて、って言葉から始まるアフロのMCは最高です。ぶっ飛んだ奴らにずっとぼんやり憧れてた曖昧な自分に、きっちり頑張ろうと思える力を初めてくれました。

躁鬱の後ろ向きな方の涙が来るたび、お酒とアートと愛に酔わされて助けられています。

きっちり頑張ろうと口では言いますが、何かに酔わないと生きていられない弱い人間なので。本当、こうして酔えるようになっただけ、成人する前に死ななくてよかったよなと思えます。

それでも、あの時消えてしまえても別に良かったよな、と思えてしまう自分がずっと心の中にいる、そういう弱くて曖昧な人間です。

そして、俺はやっぱり自分のそんな所も愛していて、母方の親戚は享年90歳オーバーの化け物だらけで、俺の身体は母方の血を誰よりも色濃く受け継いでいます。これからもなんだかんだ死ねずに長生きしてしまうのでしょう。

こういう空っぽさを抱えたまま、自分の人生は続いていくと思うので、せめていつかの誰かの為に真摯な言葉を残したいですね。

あんまり関係の無いオチですが、言葉はその人の人生そのものだと思うんです。7年前、リルケが若き詩人へ宛てた手紙を読んだ時、そう思いました。

そんな日記でした。飲み過ぎたな。

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