英語はピアノのように

さて、2月も終わってしまいますね。みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

もう、さすがに、受験生の直前対策も終わりかな、という時期になってきました。今年はですね、わたしは、いわゆる「MARCH」、「日東駒専」に加え、理系の学生が受ける「4工大」あたりの対策を一杯担当しました。まあ、大変でしたけど(苦笑)、特に理系の受験はほとんど知らなかったので、色々考えさせられましたね。あとは、帰国生入試とか、慶応の小論文とか、数は少ないながら刺激的な授業もありました。春からね、みなさん、頑張ってくださいよ。特に大学は、「価値観」の幅が大きく広がる時空間ではないかな、と思います。

この時期になると、わたしも、ふたつの春を思い出しますね。高3の3月と、浪人の3月ですね。わたし自身はですね、中高、名の知れた大学の付属校(系属校)に通っていて、半分は進学、半分は受験みたいな環境にいたんですね。で、今思えば単なる無知ゆえだったんですが、そのまま進学してもやりたいことはない、と思い込んでいたんですね(苦笑)。中高、サックスやピアノといった音楽に打ち込んでいて、そういう勉強をしたいと思ってしまったわけです。でも、経済的な事情で私立の音大は進学が難しく、といって東京藝大はレベル的に厳しい。で、色々探して教育系の東京学芸大学のG類ピアノ科というところを受けることにしたわけです。ただそこも、実質的には前期で藝大を落ちたような人が受けにくるようなところだったので、ある意味当然ながら不合格。つまり、わたしの高3の冬は、3月に国立の後期を一個だけ受けて、終わってしまったのでした(苦笑)。

もっと視野を広げられればよかったんですけどね。そのまま進学していても何らかの仕方で音楽の勉強は続けられたし、藝大にしても、「楽理とかどう?」なんて勧めてくれた先生もいたんですけどね。まあ、そんなこんなで、地元千葉の駿台予備校に通うことになり、自習室のブースで伊藤和夫『英文解釈教室』に出会う、という流れになるわけです(笑)。

ただ、今思うと、あの瞬間が決定的だったかな、とも思いますねーーちなみに、伊藤和夫は英語の先生ですが、哲学科出身なんですね。『英文解釈教室』は、わたしの中では、その後大学で学ぶミシェル・フーコーの構造主義なんかと通底しているような気がするんです(駿台の英語は「構文主義」なんて言われますしね)。

しかし、今日はその前史、少し違う仕方で英語にアプローチしてみたいと思います。

『英文解釈教室』は確かに決定的なんですけど、その一年前、高3になった頃に最初に買った参考書のことを、いま、思い出すんですね。それが、安河内哲也『英語長文ハイパートレーニング レベル①超基礎編』だったんです。

いまでも生徒に使うことはありますし、最近、英検対応の『英語4技能ハイパートレーニング』というのも出ていて、そちらもお勧めです。

この問題集、問題部分と較べると5倍くらいの解答・解説ページがありまして、まず構文分析のパートがあり、最後に「速読トレーニング」のページが設けられているんですね。いわゆる「チャンク」に従って文章が「スラッシュ」で切られており、その〈意味のグループ〉に従って前から後ろに、英文を読む練習をするためのものなわけです。付属のCDで音源を流しつつ、自分でも音読するわけですね。ページの下部には「最低10回は音読しましょう」と印字されており(笑)。

要するに、当時ピアノをやっていた自分は、これがすごくピアノの練習と似ていると感じたんですね。ピアノを習ったことがある方はよくわかると思うんですが、「右手〇〇回、左手〇〇回、両手で…」みたいな仕方で、最初は練習していくわけです。ある曲を弾けるようになるには同じものを何度何度も繰り返さなければいけない。その感覚は完全に一緒だなと思いました。印字された記号を左から右に読むのも、楽譜と一緒ですしね。

わたしの場合は、ちょうどピアノをやめたタイミングで、音のない『英文解釈教室』に移行するわけですが(苦笑)、受験英語では昨今また「速読」が重視される風潮があって、そうなるとやはり、『ハイパートレーニング』の重要性を再認せざるを得ないわけです。最近、ほかの長文問題集も音源付きで出版されなおしたりもしていて、受験英語へのアプローチも少しずつ変わっていくだろうな、と(特に、共通テストへのアプローチですね)。

社会人向けの英語でも、少し前に『英語のハノン』というのが流行ったんですね。ハノンというのは、まさに、ピアノの教則本です。「ドミファソラソファミ」のあれですね!

これもですね、要するに、比較的簡単な例文を少しずつ変換させ、瞬時に作文させる「練習」なんですね。別の版元に森沢洋介『瞬間英作文』なんていうのもあって、アイデアは近いと思うんですが、このあたりが英語学習の鍵になりつつある。こういった意味でも、英語は他の受験科目と違って、それこそ音楽なんかと近接性があると言えるわけです。自習室で黙々と問題を解いているだけではだめで、本当は音を出したいんですね。

「速読か精読か?」という話とも繋がると思うんですが、わたし自身はこれをピアノの「練習とアナリーゼ」に譬えてみたいと思います。ピアノもですね、「右手〇〇回、左手〇〇回、両手で…」だけでなく、楽譜を「分析=アナリーゼ」する、みたいな作業が求められるわけです。ただですね、少し思うのは、ピアノの場合は、大抵、子供時代は何も考えず「右手〇〇回、左手〇〇回、両手で…」でスタートするんですね。ただ英語の場合、少し遅く中学からスタートすることもあって、ろくに例文も口ずさまないまま高校に進学し、気が付いたら構文が複雑な受験英語になってしまっている、なんてことがよくあるわけです。極端に言うと、いきなり「アナリーゼ」みたいなことになりかねないんですね。

そういった意味で、少し発想を変える必要があるケースもあるのかな、と思いますね。ただ、『英文解釈教室』不要とか言われちゃうとちょっと寂しいんですが…。

まあ、なので、わたし自身はハノンとは言わずともチェルニーくらいを(笑)、教えるのが自分の仕事かなと。もちろん、いけるひとにはどんどんショパンのエチュードや、リストの超絶技巧に挑戦してほしいですが!

最後に、じゃあ、わたし自身にとってのいまのショパンやリストは何かと言うと、英語を教え始めたのはひとつには詩のためでもあって、やはり最終目標はそれなのかな、という気がしています。ふと思い出したんですが、コロナ禍に、アメリカ在住の詩人・野中美峰さんが自作の英詩を朗読している動画をみて、「Flap-T」の美しさに魅了されたことがあったんですね。


この詩集に所収の「Floating」が朗読されていたわけですが、まずこのfloatingのtが「ら行化」するわけですね。最後-ingでさっとフェイドアウトしていくのも鮮やかです。この作品、奇しくもまたアンドレ・ブルトンの文章が冒頭に引かれていて、物質的な表現の中で自分のアイデンティティを問うーーWho am I?ーー作品なんですが、途中出てくる「東京」も「Tokyo City」なんて書いてあって、英語で聞くとちょっと「ネオ・トーキョー」みたいな雰囲気も一瞬するし、何より、cityのtがまたフラップするわけです。

今日久しぶりに聴きなおして、思わずシャドーイングしてしまいましたけど(笑)。なので、「音読」も色々目的があるわけですが、突き詰めていくと、それ自体が「音楽」にもなるわけですね。わたし的には、やはり、そこが「ことば」というものの面白いところなのかな、と…。

「哲学にしてサーヴィスのことば」、まだまだ面白くなりそうです。

Have a beautiful spring !
栗脇

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