ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』より
「ベルクソンにせよカントにせよ、あるいはスピノザにせよプラトンにせよ、あるシンプルな考えを引っ張ってきて、これこそ彼らの思想だ、などと言い立てるとき、私たちはどこか無理してそうしている。つまり、言葉を継ぎ足したところで彼らの思考の複雑さや、背後に広がる豊かな文脈を説明しきれないと分かっている。あるいは少なくともそんな気がする。ところがデカルトの場合は、そうではない。彼のうちには、物事をどこまでもシンプルにしようとするところが見て取れるからだ。それは実際に、彼の主だった、いくつかの考え方のうちに象徴的に示されており、またそのために共感しにくくもなっている。というのも、物事をどこまでもシンプルにしようとする彼の行いは、現実世界とは私たちが表象しているかぎりでのものだというふうに切り詰めていく狙いと結びついているように思われるからである。
なるほど確かに『哲学の原理』の著者デカルトは、自分の形而上学の全体像をたった数行でまとめるということを(その序文のなかで)やってのけた。だからといって、思い違いはいけない。デカルトの幾何学は、直線よりも曲線とその方程式を対象としていたのだから。そして彼にとって哲学上の真理はつねに明瞭なものとしてあり、それゆえ、なんであれ混濁した想像とはばっさり縁を切るからといって、それではこの明瞭さが全くの単純さに行き着くかと言えば、そのようなことは決してない。しかも、彼がそうしたように、人間の認識の基礎が「非常に明晰で」また「いつの時代にも知られる」、最小個の真理に約められるとしても、その一覧表のようなものを作ってしまえばいいということにもならない。むしろ問題は、真理を発見するための道筋を浮かび上がらせることである。そしてそれは必ずや狭き道となる。」
ドゥニ・カンブシュネル『デカルトはそんなこと言ってない』津崎良典訳、晶文社、2021年、15〜16ページ。