カトリーヌ・マラブー『新たなる傷つきし者』より

「傷を決定する原因的意義の認識は、心に対する可塑的な力を視野に入れることにつながる。この「可塑性」という語について、主たる三つの意味を想起していただかねばならない。まず、粘土などのように、かたちをうけとることのできる物質のもつ能力である。二つ目は、最初の意味とは逆に、かたちをあたえる能力で、彫刻家や整形外科医などがそなえている能力である。そして三つ目は、「プラスチック爆弾plastic」や「プラスチック爆弾による攻撃plastiquage」という語が証言するように、あらゆるかたちを爆発させ破砕する可能性も示唆している。このように、可塑性という観念は、形式の創造と破壊という両極に位置づけられることになる。
 心に対する傷のもつ可塑的力を特徴づけるには、この三つの意味のどれをあてるべきだろうか。たしかに、この力は、同一性の変容が起こるという意味では、かたちの創造力である。新たなかたちの刻印をうけとることができるのだから、この同一性は可塑的といえる。しかしながら、明らかに傷というもの――外傷ないし破局的出来事――は、この用語の肯定的な意味での「かたちの創造者」とはいえない。これは「美しい形態」という彫刻的な枠組みからは、かけ離れている。心の変容の決定因として傷に可塑的な力がそなわっているとするなら、さしあたって可塑性の第三の意味、爆発と無化という意味をあてるしかない。損傷後の同一性の創造があるなら、それは、かたちの破壊による創造ということになる。よってここで問題になっている可塑性は、破壊的な可塑性である。
 このような可塑性は、逆説的ではあるが依然としてかたちの冒険である。例をあげるなら、アルツハイマー病者は、まさに傷の可塑性の典型であるといえる。この疾病のために同一性は完全に崩壊し、別の同一性が形成されるからだ。それはかつての形式を補う似姿ではなく、文字通り、破壊の形式である。破壊が形式をつくりだすということ、破壊がみずから心の生活形式を構成しうるということの証しなのである。われわれがここで考えている、傷のもつ形成し破壊する可塑的力は、以下のように言いあらわすことができよう。あらゆる苦痛は、その苦痛を耐える者の同一性の形成物である、と。」

カトリーヌ・マラブー『新たなる傷つきし者』平野徹訳、河出書房新社、2016年、42~43ページ。

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