モーリス・ブランショ「予言の言葉」より

「だが、かりに予言の言葉がわれわれにまで達するとするならば、その場合それらがわれわれに感じさせるのは、それらの言葉が、象徴も比喩も含んではおらず、語の具体的な力を通して、事物を裸形状態におくということである。それは、眼に見えるがまた見えぬ巨大な面ざしの裸形性にも似た裸形性である。この裸形性は、ひとつの面ざしとして、光であり、光の絶対性である。おそるべきものであるとともに心奪うものであり、親しいがとらええぬものであり、直接的に現前しながら限りなく未知のものであり、つねに来るべきものであり、つねに見出すべきものであり、喚起すべきものでさえあるような、そういう光の絶対性である。とは言っても、これは、人間の顔の裸形性と同様に、読みときうるものであり、つまりそれは、ただこの意味においてのみ相貌〔figure〕なのである。予言とは、生身をもってする物真似である。」

モーリス・ブランショ『来るべき書物』粟津則雄訳、ちくま学芸文庫、2013年、181ページ。

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