熊野純彦『ヘーゲル』より

「たとえば、海は海である。また、空気は空気であり、月は月である。そうかたりだすときひとが主張しているのは、ひとつひとつの主語の同一性ではない。言明されているのは、それぞれの主語が他の対象とはことなっていること、同一性のうちにやどる差異の次元にほかならない(『エンチクロペディー』第117節補遺)。他のものからのことなりが、それぞれがおなじものであることの条件となる。差異こそが、同一性のなりたちを裏うちしている(『大論理学』)。「対立するものの一方は必然的に統一それ自身である」。若きヘーゲルはすでに、イエナ中期の論理学構想にかかわる草稿で、そのように述べていた。用紙3ボーゲンと推定されている欠落のゆえに、ことがらを確定的に推測することはかなわない。が、ひどく大まかにいうなら、当時の構想の第一の部分が目標としていたのは、一般に規定が、対立する規定を否定することでなりたち、それをみずからのうちに含んでいるさまを解明することである。かくして、規定の内部で一般に、「絶対的な矛盾が、つまり無限性が定立される」。いま同一性の概念をめぐってかんたんに見ておいたように、こうした発想は、成熟したヘーゲルの論理思想にあっても、その中核部分をかたちづくるものとなったといってよい。」

熊野純彦『ヘーゲル 〈他なるもの〉をめぐる思考』筑摩書房、2002年、161ページ。

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