二藤拓人『断片・断章を書く』より

「この本論の主張に対して、「はりねずみ」の比喩を挙げながら、細かく砕かれたもの(fragmentum)という断片の語源に沿って、やはり「開放性」の側を読むべきであるという反論が可能かもしれない。確かにこの比喩を手掛かりに、そこに個体(Individuum)や有機体(Organismus)の性質を読み、「発生」や「発展」、「自己生成」といったロマン派のモチーフに関係づければ、外界へ開かれた(はりねずみの)無数の針が受け手へ言語的な刺激を与えている、と捉える解釈も可能である。しかしながらこの比喩もまた両義的で、こうした開放性と同時に完結性の方向も含意している。つまり、外界と触れ合う「はりねずみ」の幾千の針はあくまでこの個体の表層にすぎず、これは針によって堅固に内面を防御する態度、「断片」が「世界」との関係を完全に断ちそれ自体で孤立しようとしている意思を示していると取ることもできるからだ。仮に受容者に向けられた解釈の多義性という、開放性の側面を前景化するならば、例えばロマン派における萌芽(Keim)や種子(Samen / Sämereyen)のモチーフがより適当であったはずだ。その限りで「はりねずみ」の両義性も、文章全体を通してみると断片の完結性の側に寄与していると筆者が考える。」

二藤拓人『断片・断章を書く フリードリヒ・シュレーゲルの文献学』法政大学出版局、2022年、94~95ページ。

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