失くした分の余白
イヤリングを片耳だけ失くしてしまった。
在宅勤務メインになり、週の大半を家着で過ごす日々になったからか、
都心に向かうというだけでいつもより気合いをいれたくなる。
そんな時によく活躍してくれていた、大ぶりのゴールドのイヤリングは、
3年前の結婚披露宴でドレスとあわせて身につけたものだった。
***
結婚式を挙げるなんて、おそらくは生涯に一度の機会であろうから、
私の大切な人たちが手掛ける、物語あるアイテムを取り入れた場にしたい。
その一点のこだわりに基づき、
ドレスは、カンボジアの女性たちが織ったメコンブルーのシルクで一から仕立て、
打掛には、RICCI EVERYDAYに頼んで制作してもらったアフリカンプリントの髪飾りを合わせ、
ゲストへの引き出物は、プロボノをしているandu ametで制作してもらった。
件のイヤリングはColoridasという知人が運営するブランドのもので、
ブラジルに自生しているという黄金色に輝く植物を編んで作られている。
ただ、アクセサリーについては躊躇もあった。
結婚式や披露宴を催した人は分かると思うが、こうしたイベントというのはこだわり出すと際限なく費用が積み上がっていく。
(最初にプランナーが提示してくる見積が、式を無事挙げる頃には二倍になると見ていいと言われている)
只でさえこだわりを詰め込んで費用が上積みされていく中、私一人が身に着けるものにそこまでかけていいのだろうか…。
結婚式後も続く自分たちの生活や現実的な懐具合を考え、半分は「買わない」選択に傾いていた。
背中を押してくれたのは夫だった。
「ここまで大事な人たちと作ってきた結婚式でしょ?こだわり抜いていいんじゃない?」
「これをつけてドレス着た姿を見たいと、俺は思うよ」
その言葉とともに、2か月早いクリスマスプレゼントとして贈ってくれた。
そして結果的にこのイヤリングは、シンプルなドレスにとてもよく映えてくれて、ゲストの方にもとても好評だった。
そんなひとかたならぬ思い出がこもったイヤリングは、結婚式が終わってからも数えきれないほど活躍してくれたし、
何度となく、耳元で揺れるその存在に元気付けられてもきた。
着ける度、結婚式当日の記憶だけでなく、
素敵な言葉とともにそれを贈ってくれた夫の心遣いを思い出し、
フワッと温かな気持ちになれる気がした。
***
仕事を終えて一息つき、ふと、右耳で揺れるものがないことに気づいてから、
思い当たる先には方々へ電話して尋ね回った。
来た道を戻って探してもみた。
あぁ、でも今回は見つからないかもしれないな。
今日のアポは上手くいったと、高揚していた気持ちが一気に陰っていくようだった。
***
「失くしちゃったんだよね。」
その夜、ぽつんと夫にも報告した。
「せっかくあの時プレゼントしてくれたものなのに、ごめんね」
「そうか、それはショックだったね。」
でもさ、と夫が続けた。
「年齢を重ねるごとに似合うアクセサリーが変わっていくから、
そろそろ別のもチャレンジしてみたら?ってことなんじゃない?
コロナ落ち着いたらまた、一緒にそこのお店行ってみようよ。
出かける楽しみと、今の日香里に似合うやつを探す楽しみができたじゃん。」
思いがけず前向きな言葉が返ってきた。
そうか。
特別な思い出のこもった何かを失うのは悲しいけれど、
新しいデザインや新しいストーリー、新しい大事な思い出、はたまたそれらと出会った新しい自分。
そうしたものを受け入れる「余白」ができたんだと捉えることもできるのかもしれない。
「失くしてしまった」ことの悲しさや悔しさにとらわれていた心が、ふっと緩んだ気がしたのだった。
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