見出し画像

久米島ヒストリー2022年7月

●旅空香高堂=久米島ヒストリー
①夏空旅始まる
 2020年3月のマルセイユからの日本帰国、あれから2年と3カ月あまり、初の空旅だった。
 2022年7月4日午後、羽田から那覇経由で久米島に向かった。久しぶりの旅支度は戸惑うばかりで、航空券は持ったか、自宅から箱崎までは、箱崎のバス出発時間は等々確認の連続だった。昼食は羽田で食べることにしていたので、早めに家を出たが、第1ターミナルのレストラン街はまともにやっている店が少ない。仕方なく何故か北海道の弁当を買ってラウンジでビールを呑むことにした
 那覇から久米島行きの予定便はキャンセルになり、代替え便は10分早くなっていたのでカウンターでの席の確保に手間取る。那覇便はほぼ満席と言うことだったが、予定していた席よりも良い席を用意してくれた。航空券確認や預入荷物、手荷物などの方法も忘れ、頭の中はこれまでの手順を思い起こすに手一杯だった。何とかラウンジに入り、一息つき、ビールを飲む。

 今回の沖縄行きの目的は、大病から回復した久米君との再会とダイビング、久米仙グリーンボトル探し、そしてシークワサーを仕入れて帰ることだった。5日6日7日と3日間のダイビング、8日は移動に取られるが、夕方まで戻れる。何より心配だったのは「オス猫Cooの初めてのお留守番」での所業だった。
 まだ夕陽の残る久米島空港に着き、久米君夫妻が出迎えてくれた。ホテルは久米アイランドホテル、JAL系だったが今はIHS運営に変わっている。飛行機はずっとJAL系だが、何故か縁があり、40年来ずっとANAイーフビーチホテルだったが、今や中国系資本に変わっていた。そのため久米君はホテル内のショップを閉め、ビーチ通りにダイビングショップを始めた。初心者でも年寄りでも安心して任せられる人である。
 
②久米仙グリーンボトル
 7月4日夜は泡盛の<久米仙>を求めて、メインストリートに向かったが、何故か看板の灯りが少ない。コロナ禍での影響で閉店したところがあるが、どうやら月曜定休の店が多いようだ。そこに長年続く居酒屋<亀よし>の灯りが目に入った。だが、満席で入れず、一回りして戻るとやっと席が空いていた。まずは定番のオリオンビールから。
 早速、久米仙の<グリーンボトル>を頼むが、<ブラウンボトル>しかないという。泡盛を島の人々は水割りで呑むと言うが、我々は30度の泡盛をロックで、ゆっくりと味わう。<シークワサー>を頼んだが、出回りは9月頃からということで無く、仕方なく原液を頼むことにした。亀よしは明日が休日と言うことでネタ少なし。<グルクンの唐揚げ>を頼んだが、揚げ方が中途半端のため揚げ直しを頼んだ。背骨以外頭から食べるのを見られていたようで、新しいものは背骨以外はしゃぶりつくした。

 久米島の久米仙は、沖縄最大級の生産規模を誇る泡盛の代表格。「久米島の」と付けているのは那覇市に「久米仙」を生産する久米仙酒造があるためと言われている。別会社で主力商品は「久米島の久米仙 ブラウン」であるが、これが不味い。兄弟別れをしたという話も聞いたことがある。久米仙の由来は
■「名水が湧き出す堂井(ドーガー)にその昔、夕暮れ時になると絶世の美女が現れ、野良仕事から帰る若者たちに神酒を振る舞っては、得も言われぬ酩酊に誘っていたという。その仕業が宇江城山に住む久米の仙人によるものという言い伝えにあやかり、久米島の久米仙の名は付けられた。」❖
40年来数十回通い続けてきたが、目の前にグリーンボトルだけが現れ、夕暮れ時に絶世の美女は現れたことは無かった。残ったボトルは毎日の様にスポーツクラブの若者に差し入れていたので、そっちに向かっていたのかもしれない。
 
③南東食楽園の人情シークワサー
 2日目、3日目の夜はホテル近くの<南東食楽園>に予約して赴く。店舗の外見はファミレスの様だが、中は落ち着いており、久しぶりに沖縄の味を楽しめた。ここで、メニューに<久米仙グリーンボトル>を見つけ、やった、やっと呑めると安堵した。人の好げな御主人らしき人に訊くともう生産中止になると言う。
 グリーンボトル談義をしながら、小さなスーパーならまだ手に入るかもしれないと言われるので、翌日午後はスーパー巡りになった。さらに観光協会まで行き、久米仙の工場まで電話を掛けたが、なかなか手に入らない。
 翌日も南東食楽園に出向き、昨日の残りを持参したら「どうぞ、それをまず呑んでください」と言われた。ならばと、在庫がある2本を買うことにした。シークワサーは夏頃からと思っていたが秋だという。ご主人が自宅の庭に<シークワサーの木>があり、まだ小さい実をもぎ取ってきて出してくれた。久米島の人々の心の気持ちは優しさに尽きる。

 さて、メニューを見ると懐かしいヤコウガイがあった。夜光貝と書くが、屋久貝(やくがい)が転じたものと言われており、サザエ類の中では最大の巻貝だ。種子島以南の海域に分布し、比較的浅いサンゴ礁斜面域に多く、ツブ貝とホタテの間のような食感を感じる。
一方、ホールで活発に動く女性二人は手際よく、料理もタイミングよく出て来る。チャンプルーもゴーヤだけでなく、トーフやフーなどメイン食材を変えたメニューになっている。亀よしが昔ながらの島料理なら、ここは素材の味を活かした今時の島料理と言える。厨房に腕の良い料理人がいると見たが、現れてこない。
 
④塩が沖縄料理の基本
7月7日、七夕なんぞは全く忘れて、今夜は何処で食べようかと悩む。それぞれの店の定休日がズレている。食楽園は定休日なので、久米君の友人がやっている創作沖縄料理の<島の猿>にした。ホテルの泊り客が「イタリアンと中華が食べたいがお店が無い」と言っていたが、確かにその文化が見えない。島料理と焼肉が人気の様だ。ここは若い客ばかり、派手な女の子4人が入ってきたが、後からダイビングインストラクター風の男の子二人が来たが、なんとスマホでゲームに集中、ほとんど話をしていない。

 ここでは、塩味の麻婆豆腐があった。沖縄の味は塩の使い方の旨さだろう。出汁は鰹節と昆布を活かすが、鰹節は薩摩藩から中国への密輸品、昆布は北海道~日本海ルートで持ち込まれ、那覇経由で中国へ輸出された。一方泡盛や唐辛子を調味料として使い、炒める、煮る、揚げるなど調理方法は中国的だ。島豆腐を使ったチャンプルーも今はゴーヤだけでなく、お麩を使って調理されている。
 戦後、日本と中国の間で長年生き抜いてきた知恵に米軍が持ち込んだ食材や調味料が加わった。ふと考えるとトマトがあまり料理に使われていないことに改めて気が付いた。観光客のイタリアンと言うのはピザなどのトマト味かもしれない。薄っぺらなシナリオの朝ドラが沖縄そば麺でナポリタンといっていたが、食文化を知らない料理コ-ディネーターがTV界に多くなっているようだ。

⑤サンゴ礁の海とウミガメの死
 まだ8月初めと言うのに今年は蒸し暑い長い、長い日々が続く。乾燥気候で7年近く過ごし、帰国後3度目の日本の夏を過ごしたが、なかなか身体が慣れない。「久米島ストリー」の続編を書こうと思っていたが、頭がとろける様であり筆も進まなかった。
 
 沖縄の8年ぶりの久米島の海は濁っていた。久米島の海を知ってから40年以上経ち、ダイビングを始めて25年ほどが経つ。今回大きなマンタには遭遇したが、珊瑚の種類は少なく、透明度は落ちていた。珊瑚や魚の種類、洞窟、ウミガメ等バランスの良い海だったが、これまで知っている久米の海には程遠かった。沖縄県のサンゴ礁は現在危機的な状況にさらされているようだ。
 「地球温暖化による海水温の上昇など環境ストレス」「海洋汚染による窒素など富栄養価」などの事情が複合しているようだ。珊瑚礁は水質浄化や天然の防波堤としての機能を持っている。多方漁業などの産業資源であり、多くの生き物が住んでいる。小さな海洋生物にとって天敵から身を隠すための場所、藻類や小さな生き物が集まるため、餌とする海老や大きな魚も集まり、多くの生命を育んでいる。
  漁業も盛んになり、人々に食料を提供してくれる場としても重宝されているが、7月半ばショッキングなニュースが飛び込んできた。久米島町の海岸で地元の漁業者がアオウミガメを殺傷したようだ。漁協の組合長は「カメ対策はずっと課題だ。殺すことはしたくない」と保護と漁のはざまで揺れる胸の内を明かしている。海亀に網が破られる被害だけでなく、海草を食べることで「海が砂漠状態」になっているという。
 その影響で砂が動き、珊瑚に覆いかぶさったり、砂が堆積した浅瀬で漁船が航行できなかったりするなどの被害が出ており、海亀が「踏んで歩けるほど増え過ぎている」と語る。天然もずくだけでなく、養殖ものが食べられる被害も発生しているという。だが、事情を深く考えない人々は町や漁協には「旅行を予定していたが行かない」「久米島産の物は買わない」といった抗議や苦情の電話とメールが多数寄せられたようだ。
 
 今時の自分の事しか考えない勝手な日本人行動が垣間見えるようだ。ダイビングは昔、若者ばかりだったが、何故かジジババばかりになっていた。老人ダイバーはルールとマナーを教えられていないようで、ある方は「中世浮力」を知らないのか、小さな棒で珊瑚を押さえながら潜っていた。
さらにカメラを持ったダイバーは我先にと被写体を目指す。水中カメラが出始めの昔は若者の勝手さが目立ったが、今はオジサンダイバーが目立つ。数人のチームで潜っていることを自覚すべきである。自省でもあるが、周りに迷惑をかけないように左右に分かれるか、後から付いていくようにしている。
 
⑥海辺の植物を眺め体力の衰えを感じる
  もう1か月前になるか、7月5日午前、久米島初日のダイビングを終えるが、筋肉痛は無かった。だが、足腰は弱っており、海の中で足を攣りそうになった。3日間で7回潜るが、筋力の衰えは目立ち、潜水前後に約10キロの重い機材を背負うことが難儀だった。潮の流れの強い所ではフィンでの水かきを強めなければならず、結果左足首をかばっての右腰痛を引き起こした。
  東京に戻り、直ぐにカイロへ行ったが、先生は背骨が真っ当にS字カーブしており、分かりやすく、治しやすいと言われた。だが、治まったと思い調子に乗って26日にゴルフに行ったら、スタート直後に雨と雷でバタバタのラウンドになった。スコアだけでなく、右手手首の炎症を引き起こしてしまった。手首を冷やしながらの調理、パソコンもままならぬ日々が続いている。
 
 ならばと、今は自宅箱庭の雑草取りに追われている。この夏の暑さは異常なほどで、花々もハーブ類もバテバテの様だ。久米島では別名でサワフジ(沢藤)、幻の花とも呼ばれる<サガリバナ>をホテルの近くで見つけた。ちょうど6月下旬から7月が開花時期で、蛾を呼び寄せる甘い香りを出す。花は陽が落ちる頃に咲き始め、日の出には散ってしまう。花言葉は「幸運が訪れる」、良き事を期待するのだが、なかなか訪れない。
 
 一方、FBに浜辺の植物の写真をアップしたら、友人の真理子さんが名前を教えてくれた。海岸沿いに植えられる<インドハマユウ>、白いラッパ状の大きな花を咲かせ、受粉すると子房が肥大して球形の果実となり、熟すと厚い種皮に覆われた種子を落とす。この種子が海上を何ヶ月も生きたまま漂流する。また<グンバイヒルガオ=軍配昼顔>はさや状で中に種があり、乾くと裂開し、種子は海水に浮き、海流に乗って分布を広げる。
 
 久米島旅ではずっと海水と泡盛の水に浸っていたが、皮膚筋肉には海水塩水漬け効果があったようだ。ただ、この歳になってもひたすら背中の日焼け痕が痒い。8年前の肝臓がんの手術前に、これで人生最後のダイビングかと思ったが、再び海水に浸かった。これでお仕舞と思うが、数年後にまた最後のダイビングと言っているかもしれない。
 インドハマユウの花言葉は「どこか遠くへ、あなたを信じます、汚れがない」だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?