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ノンフィクション作家の北康利氏と出会う

香高堂=ノンフィクション作家の北康利氏と出会う
  歴史探偵を名乗った半藤一利氏が亡くなった今、北康利氏は歴史ノンフィクション分野では保坂正康氏共に、透徹した人間視点を持って社会を分析し、日本の近現代史を俯瞰できる数少ない作家であろう。そして「本多静六 若者よ、人生に投資せよ」を出版した。本多静六は東大教授にして蓄財の神様、日本の公園の父と言われている。

 私が青春時代を過ごしたのは北海道釧路市、この本の第3章に本多静六が作った「釧路公園」に関する記述がある。高校時代を過ごした頃は春採公園と鶴ヶ岱公園に分かれていたが、元々は繋がっていたと書かれている。高校は当時春採湖を望む高台に建てられており、建て替えが行われた先は鶴ヶ岱公園の高台にある。春先から晩秋まで釧路川を渡り、下駄を鳴らして高台に通学していた。休日は自転車に乗り、双方の公園を通り抜けて暫し走ると南は太平洋、北側には釧路湿原を眺めることが出来た。
 
 11月17日の「日比谷公園で本多静六に近づく~公園ウォーク」と題された会合があり、その後の茶話会で自然を愛でる北康利氏の熱気あふれる語りが溢れた。彼は富士銀行へ入行後、資産証券化の専門家として活躍、現代社会やビジネスシーンで生き抜くものを書いている。白洲次郎、福沢諭吉、松下幸之助、吉田茂、安田善次郎などの評伝をライフワークとする作家だ。
北康利氏を初めて読んだのは2005年に出版された「白洲次郎 占領を背負った男」、白洲次郎を「プリンシプルを持った生き方」と分析している。

 プリンシプル=principleは「主義、原則」と訳されるが、揺らがない、譲ることのできない自分の筋や哲学を持っている人となるだろう。一方、「ノブレスオブリージュ」という言葉がある。「noblesse(貴族)」と「obliger(義務)」を合成した言葉で、19世紀にフランスで生まれ、財力や権力、社会的地位の保持には責任が伴うことをさす。社会的優位性を持つものは果たさねばならぬ社会的責任と義務があると言う欧米社会に浸透する基本的な道徳観である。
 
 本多静六は日本初の林学博士として日比谷公園の設計、明治神宮の造林に携わり、関東大震災後には東京復興計画の策定にも関わった。北康利氏はこの会合で、今計画されている「外苑再開発の不都合」を鋭く指摘した。また、本多静六は大投資家として巨億の財産を築きながら、そのほとんどを寄付し、若き世代を育てる礎としたが、その存在を現代の日本人にあまり知られていないと嘆いてもいた。
 
 人生を爽快に生きる真の一流人とは、どんな人なのか。自然を育て、金融投資をしながらも最後は社会に寄付をする。そんな本多静六の生き様を淡々と書き記している。ドイツ文学者でエッセイストの池内紀氏の著書に「2列目の人生」と言う本がある。南方熊楠の陰にいた植物学者・大上宇市など、トップに出ることなく、常に二番手に生きた16人の生き様を追って本当の人生の意味を問うている。

 一方、会合の話の合間に「本多静六は、戦後の商社出身で銀座を徘徊した作家、樋口修吉の博打打ちにも似た人生に影響を与えたのかもしれない」との思いがずっと浮かんでいた。ところで、北康利氏には、竹中平蔵に始まるここ20年の金融投資社会をどう思っているかを聞きたかったが、時間がなかった。
 
◆本多静六 「若者よ、人生に投資せよ 」
単行本 – 2022/9/20北 康利  (著) 実業之日本社
プロローグ<永遠の森> 第一章<勉強嫌いのガキ大将> 第二章<暗い井戸の底をのぞき込んだ日> 第三章<飛躍のドイツ留学> 第四章<緑の力で国を支える> 第五章<日本の公園の父> 第六章<人生即努力、努力即幸福> 第七章<若者にエールを送り続けて> <あとがき><本多静六関連家系図><本多静六関連年譜>

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