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地中海北縁記第5章~また旅猫GRISに恋して その4

【地中海北縁記第5章~また旅猫GRISに恋して】
その4 《また旅猫記番外編「僕はトラ、君を守るよ!」》 
2016年12月16日追記

 僕は今、丸い瀬戸物に入ってソファに置かれているGRISを守っている。だって、ペナンから東京、ダカール、サラエボ、マルセイユとずっと一緒だったからね。僕は死ぬことがないから、このまま居られる。主人たちは一緒に僕を火葬しようと思ったらしいが、見守ることを望んだようだね。
僕の名前はトラと言うらしいのだ。主人たちが「トラちゃん」と言うから、そうなのだろうな。僕が生まれたのは1999年、この間亡くなったGRISと同い年でずっと一緒に暮らしてきた。マレーシアで生まれたらしいが、あそこは華僑が多いから、もしかして中国人かもしれない。
 
 GRISは僕と一杯遊んでくれたよ、ぺろぺろと舐めて、甘噛みして痛くないようにするのだ。時折、手足で蹴っ飛ばして遊ぶのだが、ひっくり返ったままになる。そうそう、GRISは鰹節と海苔が好物だったね。主人たちが手のひらに鰹節を乗せると直ぐに飛んでいくし、自分から要求もしていた。ヤマキは嫌いでニンベンしか食べないと主人たちは嘆いていた。

 サラエボの時は大量の鰹節をGRISのために運んでいたようだ。日本製の鰹節はEUに輸入出来ないため、韓国を経由してフランスに輸入しているようだ。ステッカーには「ベトナム製品、削りと包装はイギリス」と書かれ、ステッカーをはがすと漢字で国内産と書かれているのを見た」とご主人が言っていた。もっとも、彼女はもう食べることは出来ないのだね。最後の頃はカリカリ餌に鰹節を混ぜて食べていたね。それにして体液も出さずに動物の鏡のよう立派な死に際だったね。今時の人間たちに見せてあげたかった。僕は最愛の友をこうして見守ってあげるのだ。
 
香高堂=今日のマルセイユ上空は東から西に流れる強い風が吹いている。
風は天に舞うが、もうすぐミストラルが吹き、地に舞う時が訪れる。あれからペットロスなんてものは無いが、また我が人生の先輩が病気で苦しんで亡くなったようだ。先週、風邪を引き、久しぶりに二度寝、三度寝を繰り返した。マルセイユ帰着後に初めてのまどろみの時間、疲れが一気に出たようだが、今は回復している。心に「また旅猫」の教えは生きている。
 
また旅猫記番外編<毎月25日はシャンパンを>
=2017年4月21日追記
 4月26日、朝のマルセイユ、10日にマルセイユに戻って初めての雨空、カランクの山には珍しく雲が漂っている。どうやら風邪を引いたようだが、何とか凌いでいる。昼は暖かいのに夜は一気に寒くなり、1日の気温差が10℃を超えることもある。歯肉炎はまだ治まっていないが、身体や精神に大きな影響を与えた。そこに春特有の<寒暖差>が体には大きな負担になっているようだ。
 GRISの月命日、毎月25日はシャンパンを呑みながら<また旅猫GRIS>を語る。私は決してペットロスではないが、家のカミサマはまだ引きずっているようだ。人間は孤独な存在であり、次への生き方を模索する忙しい存在でもある。留まっている暇はないが、身体が動かない時もある。
 
 沢山の動物愛好家達に語り継がれている<虹の橋・Rainbow Bridge>と言う原作者不詳の詩がある。「天国に続く道の少し手前に草地や丘があり、緑がいっぱいで、いつも暖かく気持ちの良い陽気がみなぎっています・・・」と言うものだが、孤独であっても、こんな癒し系に私は浸ることは出来ない。
 アインシュタインは『人は生まれながら、孤独なのだ』と言い、ラッセルは『人間は半ば社会的、半ば孤独な存在だ』、ドストエフスキーは『人間はどんなことにでも慣れる動物だ』と言っている。瀬戸内寂聴が<経集~孤独を生ききる>で、仏陀を引用して『貪りと怒りと愚かさを捨て、もろもろのしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀の角のように、ただ独り歩め』と言う。
  だが、まだ、しがらみも怖いし、命尽きるのを恐れる。独り歩む気持ちは持つが、その心境には達しきれない。人間の智者を例えに「巧者の手から水が漏る・弘法にも筆の誤り・釈迦にも経の読み違い・上手の手から水が漏る・千慮の一失・知者の一失・念者の不念」と使われるが、何か蔑んでいるイメージを感じる時もある。

 猫ならぬ「猿も木から落ちる」とは、達人でも時には失敗をすることがあるという諺であるが、 同様の意味では「河童の川流れ・麒麟の躓き・千里の馬も蹴躓く・天狗の飛び損ない」と、何故か存在しない動物が使われている。
 

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