晩秋の妄想②「時代の潮目と選択の賭け」
●風英堂霜月記=晩秋の妄想②「時代の潮目と選択の賭け」
時代の潮目はいつ現れるか分からない。<時代遅れ>の人生だったのか。団塊の世代の背中を見ながら、ある時は尻尾にしがみ付き、後ろを見ずに半世紀以上が過ぎた。生き残るために「真っ直ぐな道をどう捉えて生きていくか」を模索した人生だった。
60年代は<自己感性>を研ぎ澄ましていた。激動する社会を遠目に見ながら、北海道の片田舎で青春を過ごしていた。70年代は東京で<もがき、足掻いていた時代>だった。学生運動に乗り遅れながらも、アルバイトの貧乏学生からラジオ局に入った。
80年代に<時代の尻尾>を少しだけ捉えたと思えた。バブルを体験し、放送局でのイベントプロデュースに活路を見出した。90年代は、公私ともその場に<留まること>も多かったが、新しい息吹も感じた。デジタルを理解しないラジオ局の斜陽化を経験した。
00年代は<時代の動きの速さ>に翻弄された。経営企画を担当、デジタル化など新規事業を計画したが古き経営者の頭を変えられず、ライブドア事件が起きテレビ局に移った。10年代は、海外生活で多くの知見を得られ、やっと<時代の先>を歩み始めた。売り上げ減のフジテレビは封筒の再利用から節約意識を醸成した。そして20年代、<時代の潮目>が変わってきたのであろうか、<時代の半歩先>を歩いているような気がする。
意地悪なもので、時代はいつも<困難と試練>をもたらし、<判断と決断>の勇気を求めてくる。そして、何時の時代でも、自分が大将役なのか参謀役なのか迷い続けてきた。私は管理人が似合うと思うが、総務系に行きたいと思った時は遅かった。見守り役、サポート役が似合うのだろうか。時代に寄り添い、時代に抱かれて生きるのかは分からない。コロナ禍の今、世代論を考えると団塊の世代が過去の栄光に溺れ、老醜をさらしている姿が見える。
今後は個人のパート主夫で、活動する人々を管理人的にサポートしたいと思うのだが、今も中途半端な人生であることは変わりない。そう言えば、高校入学時に<音楽、書道、美術>の選択でクラス分けが為されたが、ついぞサイコロで選んでしまったら、一番苦手な美術クラスを選んでしまった。賭け事はあまりしないが、麻雀は勝負勘がなく下手、競馬は一度惚れると追いかけてしまう。故に賭け事は得意では無い、だからお金には縁が無い。
ゴルフも下手だが、幾ばくかの執念=集中力が持てるようになったせいか、やっとパットは得意だと言えるようになった。人生の選択は戸惑う事ばかりだ。フランスTGV車内でも南仏の風景を眺めるだけだった。