見出し画像

開会式、片翼だけの天使の20年後

●風英堂葉月記=片翼だけの天使の20年後

身障者とエレベーターに乗り合わせることがある。ドアを押さえながら先に乗せるか、先に乗って開閉ボタンを押すか、出来ることだけをすることだ。だが、最近はスマホに夢中になるものが多く、身障者を見ていないのか、車椅子のスペースを開ける人は少ない。欧米ではレディファースト、身障者ファーストが徹底しており、とにかく最優先だ。

8月24日夜、東京パラリンピック開会式では「片翼の少女が最後は空へ飛び立つというストーリー」を様々な演出で表現した<ものの様>だった。だが静寂から躍動、そして静謐に向かう、間を持つリズムらしきものは感じられない。稚拙で余りに単純な演出コンセプトで困惑してしまった。

舞台はエアポートで、片方だけ翼を付け車椅子に乗った少女が映し出され、天使のような少女の心の成長物語なのかと最初は思えた。だが「片翼だけの天使」と言えば、ハードボイルド作家生島治郎の1984年刊行のベストセラー小説で、二谷英明と秋野暢子の主演で映画化もされた。

独身貴族を気取っていた46歳のバツイチ推理作家が川崎・堀之内のソーププランドで、入店1週間目の韓国籍ソープ嬢と運命的な出会い、結婚を誓うまでの物語だ。読んでいなかったが、この作品はシリーズ化され、完結編「暗雲―さようならそしてこんにちは」も書かれた。夫婦生活20年目に妻はホームシックから、2人の韓国人男性とたて続けに不倫、<翼のない悪魔>に変身する。

この開会式の少女は「20年後にどんな人生を歩んでいるだろうか」と思いやる。そして、自助共助ばかりで、公助や国助が全くないこの感染による後遺症は「障がい者となっていくのであろうか」と考え込む。そして外気に当たりながら「月に叢雲、花に風」と呟いた。

ところで、以前に五輪玉の話を書いたが、五輪を中止して<パラリンピック>のみ開催、五輪アスリートが各会場でサポートスタッフとして働くなどがあったら国民に受け入れられただろう。だが、今回も4時間近い掛けてセレモニーが必要なのかと大きな疑問を抱いた。各国の入場行進の途中でNHKは30分近くニュースを流したので、見逃した国があった。

さらに目立つのは女性スタッフの制服、五輪の時は割烹着に見えたが、今回はエプロンなのだろうか。「女性は家事労働せよ」というメッセージなのだろうか。また、ドラえもんのタケコプターを付けた人々、腕に日の丸バンドを付けた出演者も見かけた。シャレにもお洒落にもなっていない。

後半に出てきたのはキンキラと輝いたトラック、70年代菅原文太主演の映画シリーズ「トラック野郎」よりも迫力が無い。大型トラックをステージにする発想はブラザー工業が1980年代に行い、私はその全国展開の運営をしていた。演出家は80年代バブルの申し子なのだろうか。とにかくパフォーマンスショーが多すぎる、次のシーンの準備のために、映像を多用する、ダンスパフォーマンスばかりが目立つ等々「何故?何故?」の言葉がいくつも浮かんできた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?