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月隠記=「不自由な時代の異論」

●風英堂月隠記=「不自由な時代の異論」

◆その1=「異論、折り合い、無視」

12月8日は太平洋戦争の開戦記念日、戦争はそれ以前から始まっていた。
だが、その時代に生きている人々には劣悪な空気は感じられない。
現代の日本に生きている人々も、戦争の恐ろしさが見えない。
現代においては、残された歴史の記録さえも見る人は少なくなっている。
自分の思ったことが言えるようになるためには、
自分自身でいられる環境を整える努力と素養、知識が必要になる。
どんな状況も受け入れ、変化し続けられる強靭な心の筋肉を持ち、
相手の気持ちや心意気を感じていたい。

 相手との会話には言葉が必要になる。
人間の発する言葉は一義でなく、複雑な思いや感情を秘めている。
それを忖度、類推、推し量ることで事実を見極め、
真実に向かう事が大切となる。
異論を非難することなく、一つの反論として受け止め「批評性」を高める。事実に基づかない批判が繰り返しされる社会はであってならない。

異論の許されない社会はありえない、
最近の日本では、足並みを揃えて同じように振る舞わせる。
学校のルールのように、同質な人間にするのが公平性だと思っている。
共通の思考がある人とは、同じ行為を通して会話が成立、見えてくるものもある。
そこで、皆が「違う」と言うことも理解出来る。

多様な人間の存在が存在するが、認め合うことが必要になる。
人間は皆同じだったら社会はつまらない、人間の多様性とはリアルにある。
人種などの違い、社会的ハンデや差別的な扱いをしない「公平さ」と言う。違う考え方や信条がぶつかったとき、納得できる方法を話し合う。
決して好き嫌いに拘ることなく、折り合いの場を見つけるか、認めるか、
その場は無視をする、受け流すことも必要だ。

 ◆その2=「共感覚と呼ばれる人間感覚」

「君の瞳に恋してる」と言う歌とドラマがあった。
瞳の色は鳶色、翡翠、瑠璃、エメラルドなどで表現される。
瞳、眼差しは深くて広いようだ。
目の色のパターンは<黒・茶・青・緑>があり、たまに紫、病気で赤いなど形容される。
さらに「黄色い声援、甘い匂い」と言う比喩的な表現のイメージがある。

 <音に味を><味に形を><痛みに色>を感じることがあるだろうか。
人間の感覚とは不思議なもので、珍しい共感覚があると言う。
「1は赤い。そして世界は緑と青でできている」は、
望月菜南子氏の「共感覚」と呼ばれる感覚を扱った著書だ。
最も多いのは「文字や数字に色がついて見える=色文字共感覚」、
次に「音を聞くと色が見える=色聴共感覚」
「匂いや痛みに色を感じる=匂色共感覚」などがあると言われている。
文字に色を感じる<色字共感覚>は「ド」という文字にはっきりと色が見えると言う。
「文字に色が見える」ことにより、困惑したり、苦しむことも多いようだ。

 <シンパシー=共感>という言葉がある。
<エンパシー>という概念は知的能力・スキルとしての相手を
理解しようとする意味がある。
自分とは異なる考えを持つ相手の立場に立って考えてみるという概念。
<多様性>が問われる中、共感だけでなく<エンパシー>が使われ始めた。
ただ、私はこの言葉を日本語に訳すことがまだ出来ていない。

◆その3=吐く息さえ感じられない不自由さ

君の吐く息を感じたいが、もう何年も逢っていない。
極まり月に、君住む街の冬の幻像が舞い戻ってきた。
<息>とは「自らの心」と書く、と教えてくれた友人がいる。

 「自らに由る」と書いて<自由>と言う。
自由とは、自らの責任で自分を活かし羽ばたかせること。
生きている間の執着は<不自由>になるのも確かだ。
人間は何も持たずに生まれて、死んでいく。
「これでおしまい」と言う奥深い言葉が薔薇の棘のような鋭さを持つ。
人は結局孤立し、孤独の観念さえ失ってしまう。

 <孤独>には「孤独を愛する」などの表現がある。
ただ精神的な要素が強く、孤独を感じない人もいる。
<孤立>には物理的や地理的な意味が含ま、状況を表す言葉とも言える。
<孤高>とは自身の考えや信念を貫き、ただ一人でその道を突き進む事。
妥協や忖度を嫌い、名誉や誇りを重んじる。

 <孤高の存在>は、自分は自分という考えが強いだけだ。
周りとは違う才能や感性があり、集団の中を嫌って一人でいる事を好む。
興味が沸かないことには干渉せず、人を寄せ付けない雰囲気を持つ。孤高は群れるのでなく、気高く反世俗的な生き方で、時には超然として超越する。一寸先は闇、感染症の拡大で人生の先は分からない。
ともかく生きるしかない。

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