見出し画像

民民と、鳴かぬ響かぬ菅蝉の声

●風英堂葉月記=民民と、鳴かぬ響かぬ菅蝉の声

蝉は日本の夏の風物詩、無観客の東京五輪で<ジリジリジリ>と無数の声が響いている。アメリカでは5月頃から「17年ゼミ」と呼ばれるセミが大量発生、五輪取材のアメリカ人も「セミが追いかけ続けている」とうんざり、さらに「東京のセミは板金を歯の中で破砕されているような音がする」とツイートしている。

海外生活が続いた身には陽射しが強くて蒸し暑いのは苦手なので自宅で静かにしている。テレビ観戦している我が耳には<キンキンキン>と五月蠅い声が響いている。そこには<ギンギンギン>とぎらぎらした欲望が見え、<ドウドウドウ>だと、感動を執拗に迫って来る人々がいる。そして競技場の高みには<カネカネカネ>と唱える悪徳虫が蠢いている。秋になったら、赤字五輪の付け払い<ゼイキンゼミ>が大量に襲ってくるだろう。<ゼイゼイ>喘ぐ人々が増えるかもしれない。

東京五輪が無責任体制で進んでいる。地元開催の利で<ジャラジャラ>と湧き出る金メダルは、「キン」でなく「カネ」と呼ぶらしい。五輪憲章で国家間のメダル競争を禁じているが、日本はメダル獲得数が「凄い!」と浮かれる。メダリストは従来から国威発揚やナショナリズム強化のシンボルとして政治利用されている。スポーツの祭典五輪には税金が大量に使われ、この国際イベントが美しい理念や建前をよそに「スポーツを介した戦争」ともなっている。

競技団体やメダリストには報奨金などが出ているおり、アスリートは今やアマチュアの仮面を被ったプロ集団になっている。さらにメディアも流行病や五輪を煽れば煽るほど、儲かる仕組みになっている。<フユウフユウ>と富裕層が高みに浮遊し、風邪か流行禍で肺をやられたか、<ヒン・コン・ヒン・コン>と鳴いて地上に倒れていく光景が浮かぶ。ミンミンゼミの鳴き声を、哀愁漂うスカイツリーを見つめながら慨嘆する。

ところで、蝉の命を人間目線で見たら、長い下積み生活から脱出後直ぐの絶命は「儚い」と見えるかもしれない。蝉の視点では、地下は天敵が少なく大きな環境変化も少ない、土の中こそが快適な暮らしで、成虫になるために這い出すことこそが苦痛なのかもしれない。

中国人ジャーナリストの莫 邦富氏はダイヤモンドオンラインで「中国人が寂しく感じた五輪開会式、過去の栄光に縛られた日本の黄昏」を書いている。
❖<夕陽無限好、只是近黄昏>とは唐の李商隠の詩である。夕日は素晴らしいけれども、黄昏に近い、最盛期が過ぎたという意味だ。東京タワーの美は中国語で言えば「陽剛」の類に入る。スカイツリーは「陰柔」の美を見せる。前者は力強い気概・風格、野性味にあふれた精悍さを表現するときによく使われる。後者は繊細な美しさを表す際に用いられることが多い。成熟した美を見せてくれているスカイツリーには、哀愁が漂っている気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?