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忘却の彼方、汚れつちまつた悲しみに

●風英堂葉月記=忘却の彼方、汚れつちまつた悲しみに

8月15日は終戦では無く「敗戦記念日」、降り続く雨の日の朝、何故か「汚れつちまつた悲しみに」と言う言葉がふと思い浮かんだ。作者を思い出そうとするが、立原道造、三好達治、石川啄木、宮沢賢治ではない。

ああそうだ、中原中也だ。明治40年山口県生まれ。昭和12年、結核のため30歳で死去。志半ばにして亡くなった叙情詩人。「汚れつちまつた悲しみに……」は詩集『山羊の歌』に収められている。「何が、なぜ、誰が悲しいのか」、小雪の降る日の人間の微妙な心の移ろいが詠われている。

汚れつちまつた悲しみに  今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに  今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは  たとへば狐の皮裘(かはごろも)
汚れつちまつた悲しみは  小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは  なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは  倦怠のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに  いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに  なすところなく日は暮れる・・・・・

また、この詩集には「汝 陰鬱なる汚濁の許容よ、更めて われを目覚ますことなかれ!」と言う一節がある。誤魔化しや嘘で汚れた気持ちを受け入れて許すこと、今はそんな気持ちは閉じ込めたい。「汚濁を許す弱い自分を目覚めさせるな」と言うことであろうか。

「忘却の彼方に」、人間の記憶の低下は止まらない。不正行為は隠蔽、証拠文書は改ざん、虚偽答弁は当たり前、データを捏造し、忖度が横行する。忖度しない公務員は追放、メディアは恫喝し、検察や警察など捜査機関は手なずける。追及されても答えない、はぐらかす。後は国民が忘れるのを待つ、そこに日本人の無知・無魂・無涙が見え隠れする。

お願いと要請ばかりの流行疫病、天災は忘れた頃にやって来ると言ったのは寺田寅彦、最大級の災害と言ったのは百合子さん、戦争も同じくやって来る。人々の心が「汚れつちまつた悲しみに」にならないことを願って。

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