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【地中海の北縁の旅と生活】第3章 サラエボ生活3年記⑤

【地中海の北縁の旅と生活】第3章 サラエボ生活3年記⑤《笑顔がきこえるサラエヴォな人々》
 
 旅立ちにまだ少し早い8月24日、顔馴染になったサラエボの人々にボスニア語で書いた1枚の御礼の手紙を渡して、お別れの挨拶を行った。もちろん言葉は話せないので身体言語を交え、挨拶文はGOOGLE翻訳であるが、どこまで通じたか分からない。
・毎朝のミルクティーに合う紅茶を黙々と選んでくれた紅茶屋のおじちゃん。
・近所の小さな商店のおばちゃん、会うといつも店を飛び出し手を振ってくれた。
・ミシン1台で営業のおばちゃん、スラックスの直し代は大体600円程度)だった。
・肉市場で1件しかない豚肉屋、とんかつ用に骨を切り落としてもらうことも。
・牛肉屋では2キロ近くある牛ヒレ肉を半分で売ってもらえるようになった。
・最初の頃に通った坂道途中にあるカフェ、お洒落で若い夫婦の姿は見えなかった。
 
 また、毎日のように足を運んだ街中の人々にも、会釈だけでもと挨拶を交わした。
・近所の三軒長屋のレストラン<ザチン>、マスターらしきおじさんは去年 病気をしたが、今もウケないジョークで歓待してくれる。
・野菜果物のマルカレ市場では、最初はぼられた様な気がしたが、地元産と輸入物の値段の違いを教えてもらった。
・イカ、タコ、エビを買うため魚屋にはよく足を運んだが、最近はボンゴレ、ボンゴレと騒いでいた。
・サラエボ中心部の<COCO>パン屋、フランスパンが買える唯一のお店、チキンハムサンド、クロワッサンなどが朝食の友であった。
・バルカン半島のワインの種類を教えてくれたワイン屋、赤は少し甘め、白はきりりと美味い。
 
 サラエボでは晩春になると、カフェやレストランは屋外に椅子やテーブルを出して営業する。その年は曇りや雨の日が多く、そのタイミングがなかなか計れないようだ。だが、稼ぎ時なので準備は怠りない。晴れた日には、真夏にはまだ早いが半ズボン、Tシャツで歩く若者が目立つようになる。大きな交差点4つ角では、停車中の運転手に新聞を売るおばちゃんがいる。フランスパンの美味しい店の軒先では椅子や修理が行われ、顧客の到来を待つ。街中の公園の一角、普段は駐車場だが4か月ぐらい野外カフェに変身する。スーパーの地下駐車場では、カート道に堂々と駐車する人々がいた。
 
 1979年~80年からのニッポン放送のキャッチコピーは「笑顔がきこえる」、ラジオ局ならでは感性がまだ生きていた時代であった。
 この地には貧しくとも生活する、一所懸命働く、時には道を占領して話の花を咲かす。鈍感なほど周りの動きに配慮しない、我こそすべてと動く、様々な人々が共存している。
 買い物のために毎日のように通ったサラエボの街、笑顔で迎えてくれるおばちゃん、おじちゃん、お兄ちゃん、お姉ちゃんがいた。笑顔でなくとも、一所懸命働く姿からは笑顔が聴こえてくるようであった。

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