プラハ旅行をした話 その4 〜裏切られる固有名詞との契約〜

ギャラリー「World of Franz Kafka」にカフカはいなかった。

「Pamětní deska Franze Kafky (フランツカフカ記念板)」、フランツカフカの痩せこけた顔が浮き彫りにされている(と言うよりカフカの顔が飛び出ているかのように板金にくっつける形で鋳造されている)プレート、自身の小説の主人公がしていそうな疲れたカフカの目が24時間休みなく見つめている町役場前の交差点「U Radnice」、カフカの生まれた家があるその場所では四方全てかと思われるほどにたくさんFranz Kafkaの字を見てとることができる。寒い春先の空気の中、少しだけ差し込み始めた太陽の暖かさを噛み締めながら見渡した通りの中の一軒、地下への入り口の上に掲げられた「カフカの世界」の文字につられてわたしは扉をくぐった。
展示に見られるカフカとの一致性は作品のタイトルだけで、有象無象の映像作品、インスタレーションが地下の薄暗い、時として赤黒く照らされている空間を埋め尽くしていた。名を冠しているのであればいずれカフカの影は約束されているのだろうと信じていたわたしが中途半端にしかわからないドイツ語、英語、まったく意味のわからないチェコ語の解説文を眺めてもその中、ましてや作品そのものにもどこにもカフカの面影はなく、どこか裏切られ、プラハの街の中で狐にばかされたような不条理な感覚を覚えながらわたしは地上へと出てていった。
とてもkafkaeskだなとわたしは自分に向かって愚痴を言っていた。

その足でわたしはカフカミュージアムに向かっていった。

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