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マウイ島の火事 島民の声 隣人とは誰ですか?

マウイの火事で、遠く離れたマウイの人に日本人として、何かしてあげる事はないか?

https://www.akariueoka.net/2023/08/about-maui-fires.html

「隣人とは誰ですか?」
イエス様はこんな例え話で答えられました。「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中で追いはぎに襲われた。持ち物をすべて奪われて、 ボロボロにされたその人はその場へ打ち捨てられました。さて、そこへ 3人の人が通り かかりました。

最初の人は祭司、この人は神殿で祭儀を執り行う宗教的な権威者です。 人々を代表して、神さまに献げ物や祈りを捧げます。祭司は、倒れている人を見かける と道の向こう側を通っていきました。

次に通りかかったのはレビ人です。彼は神殿に仕 える下級の祭司で門番や音楽隊などの役割を負っている人でした。彼も倒れている人を見かけると、道の反対側を通って行きました。

最後に、そこを通りかかったのはサマリア人でした。その人を見ると、近寄って、傷の手当をして、自分のロバに乗せ、宿屋に運び、介抱しました。そして彼の分の宿代をすべて立て替えて、足りなければさらに支払うと約束したのです。

さあ、皆さんはこの譬えで誰が追いはぎの襲われた人の隣人に なったと思われるでしょうか?

もちろん、サマリア人です。

イエス様は、このサマリア 人のように「行って同じようにしなさい!」と言われたのです。

私たちにとって隣人とは誰なのでしょうか?
皆さんは、イエス様が私たちに命じられた最 も大切な掟を御存じだと思います。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを 尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」

この 3人の中でサマリア人が他の二人と違っていたのはどこでしょうか?

祭司とレビ人は同じユダヤ教徒であったのに、サマリア人は異教徒 であったことです。それも、単なる異教徒ではなく、ユダヤ人とはいつも仲たがいをしている、憎しみ合っているような間柄だったのです。

サマリア人とはどういう人達か?
サマリア人はユダヤ教から派生したサマリア教団に属する人のことで、現在も数百人規 模の信仰共同体が残っています。ユダヤ教がエルサレム神殿を中心としたのに対して、 ゲルジム山に異なる神殿を建てていました。
ユダヤ人たちは彼らを異教徒との混血が進んだ、穢れた者たちと蔑み、彼らの大切にしている神殿を破壊したこともあります。

ユダヤ人とサマリア人は良く似た宗教同士でありながら互いに対立を繰り返してきたのです。ですから、このたとえ話の教える「隣人」とは憎しみ合う「敵」のことだったの です。
そしてイエスはそのような憎しみを乗り越えて、困難に陥っている人には手を差 し伸べる「愛」を説いたのです。

パウロはこんな風に言っています。
12:19~21 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
「『復讐はわたし のすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が 飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積 むことになる。」

悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
復讐は神さまに任せて自分で復讐を考えてはならない。
とパウロは教えます。

それが「すべての人と平和に暮らす(18 節)」方法だと言うのです。

マウイ島の人々は日本人の敵でもないし、味方でもはありません。
ただ、マウイの被災者が、苦しみ助けを求めているのに、傍観者として通り過ぎて良いのか?
我々の敵は、この世の神、悪魔サタン、世の支配者です。
天地の主権は、神である主にあります。

エペソ人への手紙 6:12 口語訳
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

サマリ ア人は、その苦しんでいる人を見ると、近寄って、傷の手当をして、自分のロバに乗せ、宿屋に 運び、介抱しました。そして彼の分の宿代をすべて立て替えて、足りなければさらに支払うと約束したのです。

日本人がマウイ島の人々に、何かしてあげる事は出来ないでしょうか?
祈りは誰でもできると思います。

マウイ島の被災者に主の憐みと恵みと救いがありますように。
祈りの中の祈り あ~主よ来てください。


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