休職。過去を精算する時間。その1
お疲れ様です。
夏も終盤にかかりました。
皆さん元気でしょうか。
すこしばかり自分の話をさせていただきたい。
私は先日、職場で休職扱いとなり
人生の休暇が始まりました。
医師診断によると、過労によるうつと診断。
私が初めてこの症状になったかというとそうではない。
高校のクラス替え。
新卒で入った企業。
そして異動先のこの度。三回経験だと思います。
環境変化に対応出来ず、ということだ。
適応障害とも言われる。
適応障害とは、簡単ににいうと、
人間関係や職場に対する過剰適応だ。
過剰に適応しようと、己を犠牲にして頑張るとこの症状になる。
私は今回は、人生そのものを改めるようにされたと思う。
私は馬車馬のように働いていた。
労働時間云々ではなく、バックグラウンドも含めて紆余曲折がありすぎた。
前に述べてが、
これまでの人生を少し振り返る。
私は新卒で都心の高層ビルでサラリーマンをしていた。メーカーの大企業で営業職として働いた。
しかし、そこに辿り着くまでに辛い辛い就職活動があった。
地方出身あるが、県外への面接も10何回行ったし、面接対策も人を頼りたくなかった為、全て自分で対策した。
面接練習はせずに、実践を積もうと自ら色んな企業の選考を受け、面接の話法などを自分なりに研究した。
大学には就職課があったが、
就職活動になると、安易に就職課を訪ねていくシューカツ生に嫌気をさしていたからだ。
それにどこか知らないプライドがあった。
私の事を何も知らない就職課の人に何も言われたくないし、大きなお世話だ。
と思っていた。
本当は自分が否定されるような思いをするのが嫌だった。
就職活動自体は、そんな反骨精神あってか、辞退も含めて20社近く受けて3社ほど内定を頂いた。就職活動して2週間で初めの内定を頂き、自分は今でも社会に通じるんだ、
と有頂天になっていたと思う。
ベンチャー企業1社、大手企業2社の内定を頂いて周りからは、家族や友人から順風満帆に見えたと思う。
本当はここで、つらいのによく頑張ったね。
って言ってほしかったんだと思う。
しかし、誰もそれは言ってくれず、家族からは
順風満帆に決まってよかった、さすがは私の子供だ。云々。
認められるばかりか、周りからの期待が大きくなっていった。
私の心はまだまだ18歳の子供?
いや5歳くらいの赤ん坊だったと思う。
他人にそうやって自分を認めてほしかっただけだったに違いない。
つづく。
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