過去の精算 その3

もう少し書かせてほしい。

私は辛いだけの就職活動を終えた。

そして大学卒業まで、興味のないITの資格を2つ取得した。
なにかに半狂気的に勉強した甲斐あってか、
もう1つは満点で合格した。

そして、都心に引越し、社会人になった時に自分の人生を生きていない感覚に襲われた。
同期にも恵まれ、研修が始まった。
しかし、この時に気づいてしまった。

この仕事をなぜ私はしているのだろう?

全く、商品に興味が湧かなかった。
そして、無価値観に悩まされた。
今自分が働いている理由がわからなくなった。

私は働いていてもなぜが、辛い気持ちが付きまとった。
労働が辛いのは当たり前ではあるかもしれない。
しかし、私は半年を過ぎた時にとうとう吐き気が襲い、めまい、鬱に似た症状が現れた。
客先に出向く事もできなくなった。

適応障害との診断を受けた。
しかし、これは私的に燃え尽き症候群だと思った。病院によっては過労うつと診断したかもしれない。

目的もなく、自分に動機付けもなかった。
そんな私は退職を選ぶ。

私は都心で働き、周りの友人とは違う。

そんな賞賛目的の人生にもともとエネルギーはなかった。ガス欠状態で、重力だけで動いてる車みたいな感じだ。

しかし、この時反省ができなかったのである。

人間、辛い時に人生を左右する判断は絶対にしてはならない。

私は一番辛いときに大切な判断を、退職するという形でしてしまったのである。

私は地元にUターンした。22歳の時である。


そこから私はアルバイト先へ戻った。

やめて1週間だけ休んだ。
アルバイト先で契約社員として、働き始めた。本当はこの時に時間をとって休み、
自分の反省をしていれば良かったんだと思う。

そこで焦りが邪魔をした。自分が社会から何者でもなくなる。それほど自分は見栄っ張りでプライドが高かった。他人を優越し、自尊心を守りたかった。

あんな大変な場所でよく頑張ったんだね。
そんな辛い思いをしながらよく頑張ったんだね。他人から認められたかった。
この時にそんな認められれば、自分は救われていたんだろう。

ちなみにこれを言ってくれたのは今の奥さんだった。私は感謝するべきしかない。

私は十分な過去に対する反省、熟考もなく、
社会復帰をした。何の克服もしなかったのかもしれない。私は心の底から休む事をしなかった。


3ヶ月と間もないうちに正社員登用試験に受かり、昇格試験も合わせて合格した。

そこから前職ではカレンダー通りの休みだったものの、今回は年末年始、休日は殆ど仕事になった。
過去を反省、俯瞰する時間を与えられずに、
私はまた馬車馬のように働いた。
幸い、商品に興味があり、魚が水を得たように働いていた。

Uターンして2年の月日が経った時に、
ライフステージにも変化があった。
彼女と結婚をし、住まいも変えた。ここ1年で私は昇格し、管理業務が増え責任者となり、業務負担、プレッシャーが増えていた。

それでも私は馬車馬のように働いていた。

結婚してから社会的には夫というレッテルが付き、平社員から責任者というレッテルがついた。
さらに働きぶりが認められたのか、
そこでエリアマネージャーの人に目が止まり、
一層忙しい部署に異動が決まった。

目まぐるしく変化していく、環境に私はついていけなくなった。目的すら失ってしまっていた。

新部署では、さんざん今までの日記に書いたが、管理業務が以前にも増して増えた。
部下の人数も2倍になり、売上規模も3倍になった。そんな中で期待され、私は期待に応えようとした。

その期待値は自分をはるか凌駕するほどだった。部下からの信頼が集中し、私は自分の仕事が出来ないことにストレスを感じだ。
プラス、上司から仕事を渡されるのも以前の3倍になった。

自分が率先して楽しみながらやっていた業務を、部下が楽しそうにやっている。
また今まできつそうにやってきた上司の仕事を自分がやるようになった。

私は新部署で既にエネルギーが切れかけていた。
また、そのうちなんの為に働くのか、無意味感、無価値観が自分をまた襲ったのである。
次第に、周囲が嫌になった。
一時期没頭していた仕事が大嫌いになっていった。嫌いを隠す為に、他人に迎合するようになっていった。

そのうちまた前職での症状が出てきた。
働けなくなり、休職している。

私はなぜこんなにも仕事が嫌になったのか。
一時期には大好きで、一時期には没頭できた仕事がどうしてこんなにも、苦しく無価値観に襲われたのか、考える機会を今もらっている。
それは過去も含めてである。



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