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好きと嫌い。

わたしは好きと嫌いがあまりない人間と言われて来た。
それは食べ物もそうだし、人間にもにいい顔をして来た気がするし、
敵も余り作ったことがなかった。

作られたご飯だって、
多く食べすぎたり、これが美味しい、
まずい、とか考えたことがあまり無かった。

だけど、それが私が大人になって
苦しめ続けて来た原因ではないかと最近気付くようになった。

理由は、何か普段の生活に、慢性的に息苦しさを感じている。自分が乗りたいボートではなくて、違うボートに乗っているような感覚だ。

世間や親に言われるように流されて来たんだと、悲しくも気付くようになった。
最近、私は自分自身に意思がないように感じた。

全て同じ景色で、
全てが同じ。
仕事にも苦手、得意があるが、不得意分野でも負けないくらいエネルギーを注いでいたと思う。

家選びもそうだ。
便利な所が良いと思い、嫌な大通り沿いに家を構えた。
本当はもっと落ち着いたところが良かったし、
多少離れていても、静かなところが良かった。

仕事もそうだ。
自分の意見をうまく伝える事ができす、
見栄を選んだ。
他人からの期待を優先した。
その結果中心部の一番、忙しく売上の高い店で代行の責任者みたいな感じになっている。

本当はそんなポジションなんて望んでいなかった。
しかし、周りから後押しされ、栄転だといわれ、背く事が出来なかった。

完全に自分が付いて行けていない。
そう感じ、現実に対して受け入れる事が出来ていないのだ。

そうして、私は現実に対して無味乾燥な毎日を送っている。
今自分は生きているんだ!
自分は頑張っている!
というような実存がどこにもない。

わたしは今の部署があまり好きではないし、人間も尊敬できる人なんていない。

そう思うようにしたら、自分を少し労われるようになった。

私は最近、読書と釣りが好きだ。
好きになった。
子供からしているが、釣りをしていた頃の自分が恐らく、好きも嫌いも言える自分だったからだと思う。
戻りたい。

他人に流されている自分に
少しでも、意思を入れていきたい。
意思をいれて豊かな人生にして行きたい。

最近、そう感じている。

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