パリグループ会議後から最初の草稿受け取りまで(1/23~2/11)

2022年1月のパリグループの会議の後、荒川氏から次のようなメールが私に送られてきた。

そして、予告通り約1週間経った2月1日に、論文の草稿が荒川氏から私に送られてきた。そのときの荒川氏のメールは以下のとおりである。

この後、忙しいので返事に時間がかかるとの連絡を一回入れた後、私から荒川氏に送った返信は以下のとおりである。

前々回の記事

で述べた通り、もともと論文をサイドバイサイドで別々に書く選択肢は荒川氏から提示されたものであった。その選択肢をとった理由を私のメールでは「完成度が高い」からと書いている。実際には、1月中旬に私から荒川氏に送ったデータが一切無視されていたからというのが本音であった。

共同研究で論文を共著したことがある人なら分かると思うが、共同研究について論文を執筆する場合、事前にデータが送られてきているならば、それを反映するように論文を書くのが普通である。あるいは、論文草稿にスペースを空けて、そこを埋めるように依頼するという形もある。ところが、荒川氏から送られてきた草稿は、私が送った計算結果は全く存在しないかのように書かれていて、それで全体が完成形に近いものであった。そこに私の計算結果を入れようとすると、論文の構成全体を練り直さなければならない。であれば、私のデータや計算結果は別の論文にした方がいいと考え、荒川氏が当初提案していたサイドバイサイドで別の論文を書くという選択をしたというのが経緯である。

今回のまとめ

  • 私が荒川氏の論文と別に論文を書くことにしたのは、私が事前に送ったデータや計算結果が荒川氏の論文草稿で無視されていたからである。

なお、私のメールの最後に2月のパリグループの会議での発表について触れている。そこに書かれているように、荒川氏と私に与えられた時間は合わせて20分であった。この点も、荒川氏のnoteの記述の矛盾を示すものになるが、この点は次回で詳しく述べる。