感謝と今後について

前回投稿したお詫びは、誰かに促されたわけではなく、自分の非に気づいて自発的に行ったものであるが、その後ある方(生命科学者)から非常に長いメールをいただいた。その方とは一度お会いしただけで、大変失礼ながらよく覚えてはいなかった。そのメールの前半は、私の新型コロナウイルス起源追究の活動を応援するもので、後半は最近の投稿に対する遠回しでの苦言であった。苦言といっても、かなりやんわりとした表現が使われており、気分を害さないように練られた名文だった。このメールを書くのに、相当の時間を要したのではないかと思う。連絡していいと電話番号が記載されていたので、少しお話をさせていただいた。

私自身、ここ2年の間に攻撃性が増えている自覚はある。そして、その理由も思い当たる。それは、新型コロナウイルスの起源追究の活動である。この件で、私は孤立無援であった。陰謀論と叩かれた。ここ数ヶ月、米国の情報公開で次から次へと、新型コロナ研究所起源を示唆する恐ろしい事実が暴かれている。ところが、日本ではそれに関心を寄せる科学者が全くいない。世界で500万人以上を死なせた原因が研究所の事故かもしれないのに、そしてそれが意図的に隠蔽されているのに、追究せずに放置すればまた同様の事故が繰り返されかねないのに(実際オミクロン株もその塩基配列の特徴から研究所起源の可能性が疑われている)、平気でいられる神経が理解できなかった。それで徐々に精神が病んでいくのを感じていた。

19世紀の医師ゼンメルワイス(センメルヴェイス)は有名かもしれない。彼は、産褥熱が医師の消毒不足を原因とする説を主張したが、当時の医師たちから無視されて孤立無援となった。そのため、徐々に性格の攻撃性が増し、最後には狂って死んでしまった。ゼンメルワイスの説が正しいことが分かったのは彼の死後間もなくのことである。

私自身、このゼンメルワイスに近い精神状態に追い込まれていくのを感じている。私がこの状態から脱する最短の近道は、新型コロナウイルス起源の追及から完全に下りることである。次から次に生命科学者たちの悪魔的行為が暴かれるのを見るたびに、それを何とも思わない人たちに対する苛立ちが増す。専門家が全く信じられなくなる。そうした情報を遮断して見ないようにすれば、精神的に楽になるだろう。だが、この問題の追及に加わる日本人がゼロになっていいとは思わない。誰か代わりの人がいれば、私はいつ下りてもいいと思っているが、誰も代わりになってくれる人がいないのである。

そういう精神状態を察してかどうかは分からないが、私を心配して連絡をくださった方には感謝しかない。ほとんど縁のない私のために、わざわざ多くの時間を割いて下さったのである。これまでの人生において、こういう親切に接した経験はほとんど記憶にない(それが私の性格を歪めている原因の一つかもしれない)。新型コロナウイルスの起源の問題について、私と意見交換ができそうな専門家を紹介できるというお話もいただいた。新型コロナウイルスの起源追究について、私の代わりをしていただけないかという無理なお願いはさすがに断られてしまったが。

新型コロナウイルスが研究室で人工的に作られたもので、それが流出してこのパンデミックが起きたことが事実ならば(現状の状況証拠を見る限り、その確率は限りなく1に近いが)、これは人類史上に残る大きな出来事である。それを追及するという十字架はあまりに重い。その十字架に押しつぶされそうな私は今後どういう道を選べばいいのか。正直、今のところ答えは見つかっていない。

いずれにせよ、新型コロナウイルスの起源を追っている限り、精神的に不安定な状態が続くと思われる。重要な新情報を発信するたびに、反応が薄く苛々が募るという悪いサイクルは断つ必要がある。そこで新型コロナ起源追究の荷が下りる(問題が解決する、あるいは代わりに追及してくれる人が見つかる)まで、SNSの発信はFacebookの友人限定を除いてお休みさせていただこうと思う。その前に、新型コロナウイルスの起源に関心がある方々のため、フォローすべき情報源リストを最後に発信させていただく予定である。