掛谷の論文草稿完成(3/9~3/12)

松本氏が共著に加わることが確定してから、データについて若干の情報交換が行われた。

全てのデータを整理して、できあがった論文の草稿を私から荒川氏と松本氏に送ったときのメールは以下のとおりである。

この論文草稿に含まれていた図表は以下の5つである。

これらの表のうちTables 1, 3, 4は私が作成したもの、Tables 2, 5は荒川氏から提供を受けたデータに基づき作成されたものである(Table 5の検定は私が行った)。最終的に論文誌に掲載された論文と比較すると、Tables 2, 5の表がオミクロン株だけに変更されていることが分かる。以前述べた通り、オミクロン株と武漢株の比較には、荒川氏が求めたプロト配列の代わりに、それぞれ標準的として知られる配列を用いている。それらはあくまで標準的な配列として知られているものであって、荒川氏の配列に近いものを探してきたわけではないことは既に述べた通りである。

オミクロン株のスパイクタンパクで、非同義(N)変異だけが非常に多く、同義(S)変異が1つしかないことは、この件で荒川氏からコンタクトがあるより前の12月初旬から私が知っていたことも既に述べた通りである。また、シトシン(C)からウラシル(U)への変異と、それ以外の変異の比に着目するというアイデアは松本氏より提供を受けたものである。

代わりに用いた配列での比較計算は私が自ら行ったもので、荒川氏はその計算には加わっていない。オミクロン株以外の変異株ついても、一般的に知られる標準配列を使って、草稿のTables 2, 5と同じ結果を出すことは可能であった。それをしなかった理由は、私が荒川氏からのコンタクトを受けるまでに知っていたのは武漢株とオミクロン株の差であって、全ての変異株を並べて比較したことはなかったからである(アルファ株、デルタ株については知っていた)。論文にオミクロン株の解析のみを残したことで、荒川氏への敬意は十分保ったと私は考えている。

以上述べたことから明らかなとおり、出版された掛谷・松本論文には荒川氏オリジナルのアイデアもデータも全く残っていない。もちろん、2月1日に送られてきた荒川氏の論文草稿で引かれていた参考文献は私の草稿でも引いており、そこには重なる部分もある。ただ、他の論文の参考文献リストから情報を得ることを剽窃とみなすことは、学術界においてはありえない。

今回のまとめ

  • 掛谷・松本論文のアイデアとデータは全て掛谷と松本氏によって創出されたもので、そこに荒川氏の貢献はない。

この草稿を送った後、オーサーシップに関して議論が交わされることになるが、それについては次回に詳しく紹介する。