"What really happened in Wuhan"(武漢で本当は何が起こったか)を読んで(最終回)

23章 ウジ虫の詰まった缶(A Can of Worms)

"What really happened in Wuhan"の中で、最も注目すべき章を一つ選べと言われたら、私はこの23章を挙げる。章のタイトルになっている"A can of worms"という表現は、今年6月のKatherine EbanによるVanity Fairの記事にも登場する。

米国務省高官のThomas DiNannoが、新型コロナの起源について追究しようとしていたとき、政府内部で「これ以上調べるとウジ虫の詰まった缶の蓋を開けることになるぞ」と警告を受けたという話である。米国政府の内部で、中国の工作がいかに深く浸透しているかを象徴するやりとりである。

Christopher Fordを中心とした政府内部の中国擁護派からの抵抗にもめげず、DiNannoとDavid Asherは真相究明の努力を続けた。そして開催にこぎつけたのが2021年1月7日の専門家たちを集めた会議である。これについては上述のVanity Fairの記事にも紹介されているが、この本にはより詳細なやりとりが紹介されている。

Vanity Fairの記事には、この会議に参加した専門家として、武漢ウイルス研究所の石正麗に遺伝子操作技術を授けたRalph Baricのほか, David Relman, Alina Chan, Steven Quayの名前があげられている。この本には、ほかにもRichard Mullerやペンシルベニア州立大学のBob McCreightが参加したと記されている。Baricは当然のように天然起源を主張した。Relmanは研究所起源もありうると主張した。Quayは99%の確率で研究所起源だと言った。

会議に参加した専門家の約半分は、ウイルスに人工的改変が行われている可能性は十分あるという考えだった。だが、Baricは武漢ウイルス研究所はそんなことは絶対しないと言った。

Quayの99%という数字の根拠は彼のベイジアン統計分析に基づくもので、その分析が行われている論文については、本シリーズその3で既に紹介している。

この本では、BaricとQuayの間での激しい議論の応酬が詳しく紹介されている。自然発生説を支持する人々は、Quayの統計の前提が間違っていると主張した。BaricはQuayにこう言った。「そもそも、この世の中にどれだけの種類のコロナウイルスがあるのか君は知っているのかね。何百万だ。」それゆえ、BaricはQuayのベイズ統計の前提の数字が間違っていると攻撃した。

ところが、その会議の12時間後、QuayはBaricがPeter Daszakとのインタビューで、世界でコロナウイルス6000種類あると語っているインタビューを見つけたのである。つまり、Baricは議論に勝つために、その場で出まかせな数字を言ったのである。これは、前回紹介したNature誌のMaxmen記者と通じるものがある。

この世の中には、議論に勝つためなら、その場で出まかせなウソを平気で言う人間がいる。その代表格は中国共産党である。新型コロナウイルスの起源を巡っては、欧米のジャーナリストや科学者にもその種の人間が数多く見られた。Baric, Maxmen, Daszak, Fauciらは皆、そのカテゴリーに含まれる。彼らに共通するのは、ウソがばれても全く怯まないことである。さらにウソを上塗りすることで、自分には全く非がないかのように振る舞う。彼らにとっては権力が全てで、真理などどうでもいいのだろう。そこには良心の影も形も見られない。中国に協力的な人間ほど、その言動が中国共産党に似ているのは、類が友を呼んでいるということかもしれない。

遡ること2014年、この会議に出席していたRalph BaricとDavid Relmanは、機能獲得研究の是非に関する討論で議論を交わしている。RelmanはBaricに対して、SARSウイルスを人間に感染しやすいようにする研究が行われた場合のリスクについて、Baricに質問しているのである。それに対して、Baricは今はそのような能力はないので、それを議論する意味はないとはぐらかしている。しかし、その後Baric, Daszakらは武漢ウイルス研究所と共同でその種の研究を行っていたのである。Baricはここでも平気でウソをついていた。

この討論のモデレーターだったのが、リスク研究分野で有名なカーネギーメロン大学のBaroch Fischhoffである。実は2007年、私はカーネギーメロン大学に一週間ほど滞在し、Fischhoff教授のゼミで研究発表をさせていただいたことがある。その中で、リスク研究では自然災害や人工物(施設)の事故のリスクばかりが研究対象になっており、人間の悪意によってもたらされているリスクに対する研究が十分されていないのではないかという問題提起をしたことを覚えている。

新型コロナウイルスの起源を巡り、利害関係者がこれまでとってきた言動を振り返ったとき、当時の私の問題提起は今こそ取り上げられるべきではないかと思っている。