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動揺する新時代の黎明期に生徒会長として学んだこととは

こんにちは。北村優斗です。

先日、10月9日の令和2年度第4回生徒大会をもって全日制生徒会長を退任しました。

令和という新時代の黎明期ともいえる今年度に生徒会長を務めさせて頂き、1年前に就任した頃には想像すらできなかった困難と学びが計り知れずあった中で、大きな満足感と達成感を感じて退任させて頂けたこと、本当に嬉しく思います。

このnoteでは、人生の新たな章に向かっていく糧としてこの1年間の経験を精神的価値として整理・蓄積しながら、未来の自分がこの文章を振り返った時に、一種のオーラルヒストリーとして回顧できるように思いを綴っていこうと思います。

原点は生徒会長への憧れ

そもそも僕が生徒会長を目指したのは、自分の手で長野高校をより良く変えていきたいと思ったからです。中学生の頃から生徒会のことを考えるのが好きで、頻繁に全校の前で独創的な意見をしたり、長文投書をするなど今考えると、かなり迷惑なことを繰り返していました。

しかし、役員ではなかったため、いくら意見しても自分の意志で生徒会を動かすことはできなかったし、とても充実した面持ちでせわしなく働く生徒会役員さんを見て、大きな憧れを抱いていました。

それを決定付けたのが、前会長の薛孝豊先輩の選挙演説でした。

「I have a dream.」

その言葉で始まった彼の演説は、この言葉を演説に用いたキング牧師にも引けを取らないほど魅力的で、全校から脚光を浴びていて、まさに僕の憧れの的でした。

それ以来、毎回議案書を読み込んで、生徒大会で意見を欠かさず出したり、直接薛先輩とお話して、そのビジョンを深めていました。

選挙演説は悲惨なものでしたが、なんとか当選を果たし、伝統あるそのバトンを受け取ったのです。

改革の試みと失敗

10月8日に僕が生徒会長として承認されてから実質初めての役員会がありました。
昨年度の役員会を傍聴した時に、会長が「話し合ってください」とか「意見を出してください」と伝えてもなかなか話しづらそうな雰囲気があったり、役員間の親睦が図れていないなぁと思っていたので、もざいくで培ったアイスブレイクやイベント企画力を活かして全員が話しやすい役員会にすることが出来ました!
役員会後アンケートにも「会長の思いに応えられるように頑張りたい」「今後がより楽しみになった」というような感想が書いてあって嬉しすぎました😭
これからももっとがんばります!(2019年10月10日自身のFacebookより)

役員会 SSM説明

役員会 話してる

まず、僕が変えようとしたのは役員間の繋がりでした。昨年度生徒会の役員会を傍聴させて頂いた際に、役員が友達同士で固まり、議論や意見がしづらい環境にあり、生徒会を主導する役員がこのような状態では全校にもこのような空気感が流布してしまうだろうと感じていました。そこで、初期の役員会ではくじ引きによってランダムで席を決め、アイスブレイクを行った後にグループで議論をするというコミュニケーション重視の役員会を行っていました。役員からの反応としては

「中学でやったものとは比べ物にならないくらい有意義だった!」
「自分も意見を出せるようになりたい!」

などと、好感触なものが多く見られ、順調な滑り出しかと思われましたが…

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第1回の生徒大会で

「生徒大会の出席率が文化祭やクラスマッチの結果に影響する」

というような私見にまみれた失言をしてしまい、沢山のご批判を頂き、自らの抱いているビジョンの大きさと技量が乖離していることが露呈し、激しい自己嫌悪に陥っていました。

そんな初めての壁に直面していた10月12日。後に激甚災害に指定されることとなり、大きな被害をもたらした令和元年度東日本台風が長野を襲いました。災害発生から4日後、

1年生の頃、当時の学級長と共に有志で平成31年度西日本豪雨への募金活動をクラス、全校で行った経験を想起し、自分のアクションこそが未来を切り拓くと信じ、急ピッチで準備を進め、校内での募金活動を企画しました。3日間で173825円もの募金が集まり、被災した長野高校生4人と県庁に寄付させて頂きました。

同時に、全校にアンケートを取り、

”私たち長野高校生にできることとは?”

というテーマで意見を募ると、募金以外にも学校単位でのボランティアや災害関連の情報を発信する仕組みづくりなど様々な意見が集まり、次なるアクションを画策していましたが、私たちの技量不足と先生方のご理解を得られずに頓挫を繰り返していました。

かけがえのない生徒会連合での出会い

そんな中で活路を見出したのが他校生徒会役員との意見交換、交流の場である長野県生徒会連合「NaSU」(Nagano Student council Union)でした。

実は会長になる以前の7月頃から西高の文化祭実行委員長と作戦会議はしていましたが、校内での活動に追われていたため、第1回の会合は11月23日に行われました。もしかしたら、「会合」という言葉に厳粛な会というイメージを抱く方もいらっしゃるかもしれませんが、むしろそれは真逆で…

NaSU第一回

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初めて知る自分の高校にはない企画や伝統、謎の決まりなど様々な話に花が咲き、楽しく、何より有意義な会合になりました。

その後も文化祭や復興支援での連携を図り、会合を開くたびに新たな発見とワクワクがあり、校内での活動を他校の仲間に伝えることが1つのモチベーションにもなっていました。

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休校期間中には新型コロナウイルスの影響による文化祭の在り方をオンラインで議論・報告し、お互いの健闘を誓いあいました。例年とは全く異なる状態の中、どの学校でもみんなが工夫を凝らして奮闘している姿にいつも刺激をもらっていました。受験が終わったらまた語り合おう!

不完全燃焼の金鵄祭

6月に休校が解除されてから長野県から文化祭に関するガイドラインが発表され、それに基づいて文化祭の企画をほぼ一から始めました。初めのうちは各係から感染症対策案を出してもらい、金鵄祭推進委員会三役が面談をしていきましがそれらはどれもガイドラインに引っかかってしまうものばかり…「密になって弾ける」という非日常的なコンテンツが特に人気な文化祭にコロナウイルスがもたらした影響は想像以上に大きく、厳しいものでした。

金推三役、本部三役、イベント部を中心に毎日遅くまで残って意見をぶつけ合う日々。みんな日を追うごとに焦りと疲れでイライラが生徒会室に溜まっているのを肌で感じました。一時は全てのコンテンツを体育館からライブ中継するという案も出たほどでしたが、生徒の皆さんのワクワクを最大化するために最大限のことをしよう、ということで雨の懸念もありましたが、「ミスコン」や「長高王」などの企画は整理券制を導入して密を避けながら中庭で開催し、他企画も会場からのYouTubeLiveを各教室に配信するなど新たな形での開催を模索しました。

そして迎えた当日。

金鵄祭 黒板

何が起こるか全く予想できない中でまず僕たちを苦しめたのは機材トラブルでした。ポケットWi-Fiを廊下に設置し、各教室の電子黒板にHDMIケーブルでパソコンを繋ぎ、URLを手で打ち込むという作業がとてつもなく時間がかかり、ただでさえ人手が足りないのにそもそも画面が映らないクラスも出て…一日目の午前中はグダグダの中、終わってしまいました。

しかし、午後の運動会は例年と大きな変更がなかったことに加え、長野高校の誇る高校生落語家「快楽亭幸志」師匠が巧みな話術を発揮し、実況で運動会を盛り上げ、なんとか一日目を乗り切ることができました。

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(実況をされる快楽亭幸志師匠)

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一日目の夜、生徒会室で9時まで話し合った後、LINEで金推副委員長と2時まで綿密な打合せをして、懸念点を洗い出し、2日目を迎えました。

2日目は午後からダンス班の発表やフォーク班の発表が始まり、その後校庭で後夜祭という日程でした。しかし、朝から激しい雨が降り、中庭のステージや校庭が水浸しに…刻々と判断の時が迫る中、金鵄祭役員から

「何が何でも中庭で開催したい!」

との声が多く上がり、機材が許す限り、できるだけ中庭で粘ることになりました。しかし、無情にも降り注ぐ雨。ダンス班の発表が迫り、中庭での開催は断念かと思われたその時…

金鵄祭 晴れた!

なんと、一向に止む気配のなかった雨が奇跡のように止み、太陽が顔を出したのです!

金鵄祭役員が中心になり、ステージの水を新聞紙で吸い取り、なんとかダンス班の発表に間に合いました。この時点で既に涙腺が刺激されまくっていましたが、油断はなりません。いつ雨が強くなったり、密な状況が起こるか分からない状況が続きました。その後、なんとか中庭での企画は終えることができましたが、既に雨は土砂降り状態。後夜祭を校庭で開催するかの判断を迫られました。雨雲レーダーによれば、後夜祭の時間帯に雨が強くなるのはほぼ確実。絶望的な状態に皆、混乱状態に陥っていました。

最終的に僕たちが下した決断はー。

校庭での開催中止

生徒の皆さんを雨に濡らすわけにはいきませんでした。大きなイベントを運営する側の難しさを実感しました。しかし、まだ望みはありました。花火です。業者さんによると、ある程度の雨なら打ち上げられるとのことだったので僕たちは花火を見る位置をクラスごとに決め、なんとか密を避けよう、と方向転換し、その時を待ちました。しかし…

最も恐れていたことが起きます。

なんと、打ち上げ10分前になって大雨警報が発令されたのです。

呆然と佇むことしかできませんでした。

生徒の皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいで、廊下では誰とも目を合わせられませんでした。

金推委員長と生徒会室で涙を流したあの悔しさは今でも忘れられません。

リベンジのクラスマッチ

受験生として、天王山の夏を乗り切った先には秋季クラスマッチが待っていました。ほとんどの3年生が受験勉強に徹する中、始まった準備。

今回は、密を避けるという前提条件のもと、春季クラスマッチが中止になったため、2日間で6種目の競技を行い、2日目の競技終了10分後には集計を終わらせ、閉会式で結果発表をし、その後金鵄祭でできなかったダンスと花火を打ち上げるというかなり無謀に近い挑戦でした。

しかし、情熱的な体育委員長と平和なコアメンバーを始め、本当に多くの方のご協力のもと、終始とても楽しく準備を進めることができ、当日を迎えました。

1日目は開会式の際に若干の機材トラブルが起こったり、競技の時間が押したりはしましたが、なんとか無事終了。

しかし、勝負は2日目でした。

雨予報が出ており、金鵄祭の時の悪夢が脳裏をよぎりました。

いきなり8時ごろから雨がぱらつき始め、僕も出場した校庭競技のソフトボールも何度か中断はありましたが、最後の打席では3ランホームランを放つなど、最後のクラスマッチを存分に楽しむことができました。

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そしてついに後夜祭へ!

結果発表が終わり、ダンスが始まる、というときに大量の人が教室に返ってしまうという予想外のハプニングもありましたが、

みんな思いっきり踊って、歌って、笑って…

金鵄祭の時の悔しさがあった分、何倍にも増して嬉しい瞬間でした。

あの夜、長野高校の夜空に咲いた色とりどりの大輪は今までの人生で最も美しく、幸せな花火でした。

最後に

冒頭にも書きましたが、本当に多くの困難があり、悔しい思いも沢山しましたが、これだけ多くのことを学び、沢山の人と出会うことができた1年間は僕の人生の中で確実にマイルストーンになったと思います。関わってくださった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。

来年度生徒会の発展と、1人でも多くの長野高校生が人生の主人公となり、金鵄として羽ばたけるよう祈っております。

最後に、先日の退任演説を文字に起こしてこのnoteの締めにしたいと思います。

令和2年度生徒会長北村優斗退任演説

長かった夏も終わり、秋風が木々の茂った葉を散らし、冬の面影を感じる今日に、ついに私たち3年生にとって最後の生徒大会を迎えました。昨年度、薛会長からバトンを引き継いでから、いかに生徒会と生徒との距離を縮め、関心を持ってもらえるかを追求して走り続けてきました。今日はその長い走路の中で、僕が学んだことをお伝えしようと思います。

まず、この学校は想像以上に生徒会に支えられている、ということです。

皆さんは”生徒会”と聞いて何を思い浮かべますか?

どんなイメージを抱くでしょうか。

正直、僕は生徒会長になるまで、金鵄祭とクラスマッチ以外何もやっていないんじゃないか、と思っていました。

しかし、考えてみてください。皆さんがゴミステーションにゴミを持っていくと、必ず清掃委員会が受け入れてくれますよね。水道に行けば必ず石鹸が補充されていますよね。

目立たないところに実は役員さんの努力が隠されているんです。

会長になるまでの僕は、それに気付かず、努力している役員さんのことも考えずに批判や悪口を言っていました。しかし、その矛先がいざ、自分に向けられると、ささいなことでもぐさぐさと心に刺さり、何度も精神的に参ってしまうことがありました。もちろん、意見して頂くことはよりよい生徒会に繋がるのでありがたいのですが、感情的になった時や自己満足のために悪口を言うことは、たとえそれが生徒会長だとしても、著名人だとしても決してやってはいけないことだと僕は思っています。

実は、かつて新会長さんもSNSで僕の悪口を言ったり、批判をするうちの1人でした。

しかし、彼女は違いました。

会長選挙に出る前に、生徒会室に来て、それまでのことを謝罪した上で、ビジョンを語ったのです。その中には今年度生徒会の課題と改善点がしっかりと盛り込まれており、その瞬間、僕は新会長の覚悟の強さを感じました。

きっと皆さんの中には、彼女に対して不信感を抱いている方もいると思います。しかし、まずは彼女の思いと活動をきちんと知ってください。その上での批判や不信感は仕方ありませんが、先入観だけで人のことを判断し、時にはそれが相手を傷つけていることに気付いてほしいと思います。

さて、今、まさに1年前に引き継いだバトンを渡そうとしているわけですが、皆さんがこれからの高校生活で学校の中でも、学校の外でも様々な経験をして、多くの人の価値観を知り、身体も心も成熟した一羽の金鵄として長野高校を巣立ってくれることを願っています。

1年間本当にありがとうございました。

(プライバシーの保護のため、一部文章や表現を差し替えました。)

副会長の二人へ

三役 もざいく

手紙にだいぶ書いたから短く書くけど、

大好きで、中学の頃からずっと尊敬している二人と一年間一緒に仕事ができて、二人への尊敬が強まったし、本当に幸せでした。

一年間ありがとう。これからもよろしく。

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