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【第一章】泣き虫少年がゴミ拾い生徒会長になったわけ

こんにちは。北村優斗(きたむらゆうと)です。

様々な方のnoteを拝見して、僕も17歳の今感じたことを未来の自分のために、自分と同じ壁にぶつかるかもしれない後輩のために言葉として残しておきたいと思ったのでここに刻んでいきたいと思います。

まず初noteとなる今回は僕がどんな人間なのか、どうしてこんな人生を送っているのか、17歳時点での自己内省を3回に分けて刻みます。

北村優斗とは

まず北村優斗がどんな人間なのか、簡単に表現すると

「ゴミを拾う生徒会長」

になるんですかね。自分でもなんと表現すればいいのかよく分かってないのですが、とにかく好きなことを突き詰めている人生を送っている17歳です。

泣き虫で人見知りの甘えん坊

2003年3月24日 3810gで誕生。

生まれは長野市ですが、1歳の時に父の転勤で東京に引っ越すことになるので、ここからしばらくは東京でのお話になります。

幼少期の記憶は曖昧なのですが、

「あんなに甘えん坊だったうちの子はどこへいっちゃったのかしら」

と最近よく母親に言われます。北村家にとって初孫だったこともあり、親戚からかわいがってもらっていたため、甘えん坊になり、いつも母の後ろにくっついていたそうです。

それもあってか、めったに怒られることがなかったのでちょっとでも叱られるとすぐに泣いてしまっていた記憶があります…笑

勉強とゲームに目覚めた小学校時代

そんな甘えん坊少年が小学生になり夢中になったのが…

チャレンジ

そう!「チャレンジ」です!なんで始めたのかはわからないのですが、問題を解いて丸を付けてもらえるのが楽しすぎて毎月届いてから3時間くらいですべてのテキストを解き終えて赤ペン先生に出していたのを覚えています笑

今も変わらず勉強は好きなので、この時の体験がかなり大きかったように思います。

そして勉強と同じくらい熱中していたのが…

ポケモン

そうポケットモンスターの世界です!1年生の頃にゲームを買ってもらって以来、おそらく総プレイ時間は3000時間は超えていると思います(笑)特に最初に選んだナエトルが大好きで、今でもナエトルのぬいぐるみと一緒に寝ています!

充実した生活から不登校への転落

勉強とゲームが大好きで、外でもよく遊んで、たくさんの友達に恵まれていた幸せな時間は小学4年生の12月に突如終わりを迎えます。その発端は…

長野への引っ越し

です。両親共に長野出身ということもあり、長期休みには必ず訪れてはいましたが、東京の友達と会えなくなる寂しさ、新生活への不安が10歳の僕にはとても耐えきれず、毎晩泣いていました。

幸いにも新たなクラスメートは温かく僕を迎え入れてくれましたが、どうにも馴染めず、3学期は学校をさぼったり、遅刻を繰り返したりしていました。そんな自分が嫌で、悔しくて、父の転勤をずっと恨んでいました。

勉強と野球に救われた2年間

そんな中、5年生になるタイミングでクラス替えがありました。この時に僕を救ってくれたのがまさに

勉強と野球

でした。勉強がきっかけでテストの点数で対決したり、問題を出し合ったりしたことで友達ができ、学校が楽しくなりました。習い事で野球を始めたことで他校にも友達ができ、毎日放課後は友達と公園で野球をするようになり、僕の小学校生活は急激に充実し始めました。

優等生が問題児に

こうして学校がすっかり楽しくなった僕は悪友とつるみ始めます。

それまでは先生の言うことに忠実に従い、優等生を演じていましたが、徐々に先生に逆らったり、校則を破るようになります。(校則といっても買い食い禁止、学区外への児童だけでの外出禁止など今思うと可愛いものばかりですが…笑)毎日先生から呼び出され、週に一度は家に電話がかかってきていたため、両親には相当の心配をかけたと思います。中でも高原学校の時は、飯綱山の山頂で友達と喧嘩して殴り合いになったり、夜更かししていたことを先生に怒られたのが悔しく2日目の朝に友達と脱走を企てたり…笑

でも、この時期に反抗期を迎えられたおかげで、中学高校では変に抗わなくなったので今ではよかったと思っています。

前代未聞の中学受験

反抗期真っ只中でもチャレンジだけはさぼらずに取り組んでいたため、学力はかなり伸びてきていました。また、5年生のころには一軒家に引っ越すことが決まっており、中学では小学校の友達と離れ離れになるのは確実でした。そこで僕が決断したのは

信大附属中受験

です。信大附属中は信州大学教育学部の附属校で、合唱や生徒会にとても力を入れており、学年の半分が長野高校に進学するという学校です。当時、父のようなサラリーマンになりたかった僕は、とにかく志の高い人たちと一緒に勉強してみたい、学校生活を送ってみたい、漠然とそう思っていました。しかし、両親に相談すると猛烈な反対を食らいました。それまで数々の悪事を犯していたし、そもそも家系の中には中学受験した人はおらず、家から駅までも離れていたため、反対するのも無理はないでしょう。

最終的には幾度の話し合いを経て「自分の人生だから」ということで受験しましたが、周りからかなりの反対を受けながらもそれを跳ねのけ、勉強を続け、なんとか合格できました!筆記試験は微妙でしたが、面接の際に面接官の先生方が僕がしゃべってる時だけめちゃめちゃメモしてたので自信はありましたが…笑

ここまで長文をお読み頂きありがとうございました!

合格してからの話は第二章で書きます!



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