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【最終章】泣き虫少年がゴミ拾い生徒会長になったわけ

こんにちは。北村優斗です。

3章に渡って綴ってきた僕の歩みの軌跡も、本章が最終章となります。自分の未来のために書き始めたものが、多くの方にお褒めの言葉を頂けて非常に嬉しいです!

今回も等身大の北村優斗で僕の校外活動を始めてからの軌跡を、僕の人生に大きく影響を与えた4人のお話も交えながら文字を刻んでいきます!

最終章ということもあり、かなりの文量になると思いますが、ぜひ最後までお読みください!

暇ならとにかくイベントに参加した草創期

前章で書かせて頂いた2月8日のイベントでの覚醒後、とにかくfacebookでイベントを探し出してとにかく色んなイベントに参加しました。校外活動をする人ならだれもが通る道だと思いますが、この時期に参加したイベントの中でも印象的だった2つのイベントを紹介します。

①おどりばのいどばた

月に一度、西の門ホワイトヒルズで開催されていたこのイベントでは参加者が円になって年齢関係なく語り合うのですが、そこで起こる化学反応が本当に面白くて!更に自分もこんな場を創りたいと思うようになりました。

②ほめゲー

このイベントはボードゲームに沿ってとにかくグループのメンバーを褒めまくり、一番褒められる側にとって嬉しい褒め方をした人がポイントをもらえる!というゲームイベントです。参加者の皆さんがめちゃめちゃいい人達ばかりで、最後にこのイベントに参加してから約1年経ちますが、今でもfacebookの投稿にコメントを下さる方もいて、まさに僕の「大人好き」が磨き上げられたイベントです!

これらのイベントでの経験が僕がその後展開していくこととなる「もざいく」に繋がるのです。そして、この草創期に大きく影響を与えたお二人の方を紹介します!

もざいくの誕生と思想的根幹の育ての親 小林達矢さんとの出会い

小林さんがいなければもざいくは生まれなかったし、今の僕はいないと断言できます。出会ったのは2月8日の翌週のイベントで、そこでユースリーチの話や僕のやりたいことの話をしました。それ以来、色んなことを相談させて頂き、何かやりたいとは思っていたけれど、何もできていなかった僕に毎日「北村君アクションしようよ!」「イベントやろうよ!」と言葉をかけて下さり、この時に小林さんが仕込んでくださった

''思いついたらすぐアクション''

という精神こそが僕の思想的根幹になっています。

校外活動を始めてから約2か月後の2019年4月20日。

小林さんの全力サポートのもと、長野高校の先輩2人と立ち上げたのが

学生団体もざいく

という団体です。当時、僕の周りには「やりたいことが見つからない」「夢がない」という友達が多くいました。でも、絶対に誰にでも好きなことや才能はあるはず、それに気付けていないだけなんじゃないか。つまり、それは心に「モザイク」がかかってしまっているんじゃないか。僕たちがそれを晴らしていこう!ということで高校生・大学生・社会人の縦の繋がりを作り、学生にとっても社会人にとっても自分の秘めたる才能や思いに気付いてもらえるよう、4月から計8回ディスカッションイベントを開催し、のべ150名の方々に参加して頂きました。

この時は同世代に長野で学生団体を立ち上げている仲間がおらず、手探り状態で日々壁にぶち当たっては先輩たちと悩み、小林さんに相談し…孤独な戦いでしたが、自分たちが長野に新たな風を巻き起こし、歴史を刻んでいる実感があったので、日々ワクワクしていました!

初めてファンになってくれた年の離れた同級生 掛川倖太郎さんとの出会い

掛川さんはfacebookで僕たちのイベントを見つけて下さり、初めてもざいくを通して繋がることができた方です。それ以来、もざいくにはほぼ毎回参加して下さり、僕が悩んだ時、迷った時、苦しいときにいつも支えて頂きました。

きっとそれは掛川さんご自身が短腸症候群を患われ、たくさんの辛い思いをしてきたからこそ紡ぐことができる言葉だし、掛川さんの最大の魅力だと僕は思っています。そして、僕が成長していくに連れて、掛川さんも様々なことにチャレンジされていて年は離れているけれど、同級生のような感覚でお話しできる唯一無二の存在です。

活動によって歯車が狂い始めた恋愛

もざいくを立ち上げてから約3か月の間は勉強と班活と校外活動の両立が精一杯で、当時仲良くしていた子との関係にも亀裂が入り始めます。

クラスが違ってもコミュニケーションが取れるように、ということで始めた交換日記も途絶えるようになり、10か月間毎日続いていたLINEも3日に1回くらいの頻度になりました。今考えてみると責任はすべて僕にありました。どうしても悩みを自分だけで抱え込んでしまっていたので、情緒不安定に陥り、重い話ばかりしてしまいました。結局その子は7月の文化祭で同じ班活の男子に告白され、そのまま現在もお付き合いを続けているみたいです。当時は気が動転し、「絶縁」という形で関係が終わってしまったのでとても後悔しています。一緒にいられた時間は本当に楽しかったし、僕のイベント企画力はデートの計画を練っていた時に培われたものなので、あの頃はひどいことを言ってしまったけれど、今ではとても感謝しています。今後接点はないかもしれないけど、夢への挑戦を陰ながら応援しています!

この反省を生かして、勉強にも活動にも恋愛にも全力で打ち込める人間になりたいと思います笑

もざいくは敵だ!中澤貫太の衝撃

恋愛の話はこのくらいにしておいて…

もざいくを立ち上げてから2か月後、ユースリーチの企画会議で衝撃の出会いをします。ほぼ初対面なのに「もざいくは敵だ!」と言い張る高校一年生がいたのです。そう、それが後に最高の仲間であり、最強のライバルとなる

中澤貫太

との出会いです。ユースリーチの町づくり分野に入った彼のことは、はちょっといいパソコンを持っている1年生、としか思っていませんでしたが、この企画会議では他のメンバーとどんどん革新的なアイデアを生み出していき、高校生団体Fourth Placeを立ち上げることとなるのです。正直最初は侮っていましたが、彼らの団結力は凄まじく、小林さんを始めとした今までは僕の活動を評価してくれていた方々がみんなForthPlaceを褒めるようになり、それを引っ張っている中澤くんが羨ましくてなかなか仲良くなれませんでした。

焦りが招いた人生最大の困難

もっとやんなきゃ、もっとやんなきゃ。

勉強、部活、生徒会、校外活動、全てのことに焦りが生じ、ハードスケジュールに自らを閉じ込め、睡眠時間を削っていると案の定、限界が訪れます。

2019年8月13日。

 原因不明の腹痛で長野市民病院に入院することになります。下された診断は

腸間膜嚢胞炎症

というもので腸と腸をつなぐ腸間膜という部分に嚢胞という膿ができてしまい、さらに炎症が起きてしまっているという世界でも前例が100件しかないような稀な病気でした。

「自分は病気なんだ」

この事実を受け入れるのにかなり時間がかかりました。ついこの前までは普通の生活が送れていたのに、一気に病院という狭いコミュニティに閉じ込められてしまい、ただただ絶望していました。収まることのない痛み、食事制限による空腹と筋力の低下、退院の目処が立たない恐怖。入院した当初の記憶がほとんどないのはそのせいかもしれません。

入院して約1週間後、朝の回診で担当医の先生から手術の必要がある、との話を受けました。注射すら刺されるのが大嫌いなのに、メスをお腹に入れるなんてとても想像できず、その場では即断できませんでした。しかし、手術をせずに放置しておくと、痛みが引くかもわからないし、一度痛みが引いても再発の恐れがあるというお話を聞き、腹を決め、手術に臨むことを決めました。

当初手術は3時間の予定でしたが、6時間に及ぶ大手術となりました。後日談ですが、両親は担当医の方に最悪の場合は腸を一部切断し、人工弁をつけての生活になる恐れもある、とのお話を受けていたようで、家族全員が長引く手術時間に不安が募り、泣いていたそうです。

幸いにも手術は大成功!腸は切断せず、お腹に大きな傷跡は残りましたが、再発の恐れはほぼゼロに近いとのことでした!みんなとりあえず安心していたし、僕も喜びたかったところなのですが、本当に辛かったのはここから…

お腹に傷が入っているため、手術前の何十倍にも痛みが増したのです。常時背中に痛み止めの注射を刺してはいたのですが、全く動くこともできないし、何もしていなくても激痛が走る。あまりに辛く、夜遅くに両親に来てもらい、足をさすってもらったこともありました。術後3日間が最も痛みましたが、そこからどんどん痛みが和らいでいき、リハビリをしまくった結果、奇跡的な回復で術後2週間で退院することができました。

入院期間も退院後も、真近でサポートしてくれた家族、お見舞いに来て下さった方々、SNSで励ましてくださったすべての方々のおかげで病気に勝つことができました。本当にありがとうございました!

しかし、退院してから現在に至るまでは病気になる前よりさらに困難道のりが待っていました。

全校がシラケた…最悪の人生初スピーチ

退院してからわずか2日後。生徒会長選挙の立会演説会がありました。

今まで小学校・中学校では生徒会長はおろか、生徒会役員すらやったことがなかったし、イベントの最初などに少しお話するくらいしかスピーチの経験も無かったにも関わらず、誰にも相談せずに臨んだ演説は最悪なものとなりました。

「ウケ」を狙ってしまったんです。

高1の冬頃から生徒会長になりたい!と周りに豪語していたこともあり、期待してくださっていた方も多かったのですが、それを完全に裏切る演説になり、直接は言われなかったものの友達伝いに

「くそつまんなかった」

「あんな人に生徒会長になってほしくない」

との声を聞き、退院してから約1週間後、精神的に参ってしまい、再び絶望の淵に立たされました。

しかし、信任投票だったこともあり、得票率80%後半でなんとか当選を果たしました。当選したからにはこの学校をより良く、よりワクワクする学校に変えていきたい、そう考えた僕はなるべく多くの人に生徒会に携わってもらうため、役員募集の形を大きく変えました。今までは役員募集の紙が配られ、希望する人のみが生徒会室の封筒に出しに行くというものでしたが、各クラスに再び演説をしに行き、「希望する・頼まれたら引き受けたい・希望しない」の3項目に分け、1・2年生全員に回答して頂きました。

すると、昨年は4人しか希望が出なかったそうですが、「希望する・頼まれたら引き受けたい」合わせて80人もの方が希望を出してくれました。立会演説会では失敗したものの、リベンジすることができ、徐々に信頼を取り戻していこう、と意気込んでいました。

過労が招いた前代未聞の失言

その思いのもと、初めての生徒大会に向けての準備が始まりました。

従来の生徒大会では、役員さんが前の方でゴニョゴニョ喋っているだけで、手を挙げてもスルーされることもありました。大半の生徒は単語帳かスマホを片手に下を向いている、という状況でした。この現状を打開すべく、全校の並び方をコの字型にし、前に委員長席を作り、生徒と役員の物理的距離を縮め、役員が発言するときは見やすいようにステージに上るというように改革しました。また、各委員会ごとに年間の活動や役員の名前が議案書とは別にスライドにまとまっていれば分かりやすいな、と思い当日の朝4時までかけて作ってUSBに落とし込み、当日に臨みましたが、機材トラブルでUSBから学校のパソコンに映せないと言われたので、昼休みと5時間目の授業を犠牲にして家にパソコンを取りに行きました。生徒会長が授業サボるってよく考えたらやばいですね(笑)

これなら映せるだろう!と安心していましたが、なぜかパソコンとプロジェクターが繋がらず…結局、僕のスライドにかけた時間は全て水の泡となりました…さらに、副会長にも相談せずに

「議案書アンケートの回収率(=生徒大会への出席率)が文化祭のクラスポイントに影響する」

などという失言もしてしまい、その後のアンケートでかなり多くの批判を頂きました。せっかく一度取り戻しかけた信頼をまた自分で手放してしまった…とかなり反省し、落ち込み、それ以来、慎重な行動を心掛けるようになりました。生徒会の世界では”思いついたらすぐアクション”していては信頼を勝ち取れないということにも気付きました。

校外活動復帰と中澤くんとの和解

そんな中、僕たちの暮らしが大きく変わった10月12日。

令和元年度東日本台風が長野県を襲い、千曲川堤防が決壊するなど大きな被害を及ぼしました。

そこで、ボランティアしている大人と高校生を繋ごう!ということでForth Placeが始めたのが「高大生災害情報共有会議」です。

前述したように、病気からは復活したものの生徒会長に就任したばかりで、大事な班活の大会も多く予定されていたので校外活動からは約3か月間遠ざかっていました。勉強と班活と生徒会の両立すらかなり厳しかったので、もう校外活動はやめようかな…と思っていた時に中澤君に誘われたのがこの高大生情報共有会議だったのです!

このイベントで学校外の人と繋がり、語り合う楽しさに改めて気付き、僕は校外活動に本格復帰することになります!つまり、中澤君は僕の救世主なのです。そしてここから急激に仲良くなり、もざいく×Forth Placeのクリスマスパーティや江の島、諏訪湖、犀川など色んなところにイベントやゴミ拾いしに行く仲間になりました!

なぜか色んな所で不仲説が出回ってるみたいですが、コロナ期間中に学校再開やユースリーチのことで大喧嘩したのに、2人とも翌朝にはケロッと一緒にミーティングしているくらいなのでおそらく不仲ではないでしょう笑

目指す世界は違えど、これからも共に切磋琢磨してお互いのやりたいことを極めよう!

台湾でのプレゼン覚醒

校外活動に復帰した僕でしたが…

生徒会での出来事を振り返ればわかると思います。この当時、僕は人前でしゃべるのが本当に下手でした。苦手ではないのです。下手なのです。伝え方や言葉選びが猛烈に下手でした。しかし、そんな僕を覚醒させたのが…

台湾の高校生への英語のプレゼン

このプレゼンに向けて、

「どうすれば伝わりやすいんだろう」

「どんなスライドだったら国が違ってもわかりやすいのかな」

などをひたすら考え、Tedなど多くの人のプレゼン動画を見て練習しまくりました。

この努力が実を結び、なんとプレゼンでは…

堂々のクラス1位を獲得することができました!この時に培ったプレゼンスキルがその後、立教大学や上田高校でのプレゼンで高く評価して頂くことになります。

ゴミ拾いの楽しさに目覚めた妹との新潟旅行!

校外活動に復帰し、プレゼンのスキルも上がり、徐々に今の僕に近づいてきていますが何か忘れていませんか?

そう、ゴミ拾いです!

最近は北村優斗=ゴミ拾いという自動変換がなされるくらいですが、ゴミ拾いの楽しさに目覚めたのは意外にも2019年末、妹と2人で行った新潟旅行でのことでした。

もう来年には大学進学で家を出てしまうこともあり、妹との思い出作りのために2人で上越市立水族博物館うみがたりに行くことになったのですが、水族館だけじゃ時間余っちゃうのでどうせならゴミ拾いしよう!ということで谷浜に行くことになりました。(僕が海洋プラスチックごみ問題に関心を持ち始めたきっかけは来週公開予定のnoteで刻む予定ですのでもし興味があればご覧ください!)

この時点ではゴミ拾いは僕にとってただの「義務」でした。

少しでも海に流出するゴミを減らさなきゃ!

その使命感のもと、今回も拾おうと思っていたのですが…

こんな風に木の棒を使ってカップラーメンのゴミを手繰り寄せて…

こんな風に取れたのがめちゃめちゃ楽しくて!

実はこのカップラーメンのゴミが落ちていたところは沼のようになっていて、素足で入ると足を取られて出られなくなってしまう可能性があったため、本来なら拾うことのできなかったゴミなのです。それをすこし知恵を使って拾うことができた、その達成感を感じた瞬間が僕がゴミ拾いの虜になった瞬間でした。

それ以来、どこかに出かける時や通学路では必ずゴミが落ちていたら拾うようになり、現在に至ります(笑)

初めて全国レベルを体感…BLAST! SCHOOLキックオフイベント!

ゴミ拾いの魅力に気付かされてから1週間。

中澤君と共に参加した2020年初イベントが…

そう、僕と中澤君のターニングポイントとなった「BLAST! SCHOOL」のキックオフイベントです!

「東京のイベントに行ってすごい高校生と会えたらいいなー」

そんな軽い気持ちで午前中は江の島でゴミ拾い、午後はそのおまけみたいな感じでイベントに行こうと話していましたが、イベントを終えてみると…

全国ってやばい!!

その衝撃と危機感とワクワクで僕と中澤君はかなり興奮していました。

自分の知らない世界でこれだけ活躍している高校生がいる、自分たちの世界はまだまだ狭いんだと痛感した瞬間でした。

2020年の始まりにこのイベントに参加できたことで、僕たちはその後プロジェクトやイベントを進める時に妥協せず、さらなる高みを目指していくことができたと思います。しかし、その衝撃はコロナウイルス感染拡大防止対策の休校期間に更に塗り替えられることになります。(休校中の軌跡は近日公開予定の別のnoteに刻みます!)

毎日進化し続ける人生の道標 渋川駿伍さんとの出会いと憧れ

全国のレベルを体感してから1か月後の2020年2月9日。

校外活動2年目の始まりの日に、前章で書いた僕が校外活動を始めるきっかけとなった「意識高い系から意識高いヤツに!」の進化版「信州高大生応援フェス」に運営側として参加させて頂くことになります。1年間で参加側から運営側に変わったことで自分の成長を感じた瞬間でした。

このイベントにゲストとして登壇されたのが何を隠そう僕が最も尊敬している渋川駿伍さんです。

渋川さんが高校の頃から様々な壁にぶつかりながらも自分で道を切り開き、自分の好きなこと、やりたいことを極めていることをとても楽しそうに、ワクワクしながら語る姿が本当にかっこよくて、

「この人みたいになりたい!」

と17年間生きてきて最も強く思いました。

迷った時や壁にぶち当たった時に、渋川さんの過去のfacebookの投稿やnoteを読めば読むほど、自分との共通点が見つかり、もやもやが言語化されていき、失礼かもしれませんが、まるで当時の渋川さんが僕にヒントを与えてくれているような感覚になります。生徒会長としても学生団体の代表としても全力投球している今の自分と同じ境遇を乗り越え、今も進化をし続ける渋川さんはまさに僕の人生の道標です。

これを読んでくださっている皆さんにも渋川さんの魅力を知って頂きたいので、僭越ながら僕なりに尊敬するところを2つに絞って書かせて頂こうと思います。

まず、渋川さんは人に思いを伝える力がすごいんです!渋川さんが大好きなポップコーンについて語る時のワクワクに満ち溢れた姿が僕にとっては最も理想のプレゼンなので、ポップコーン協会のYouTubeで渋川さんが話しているのを聞いて、よく参考にさせて頂いてます。また、思いを言語化して文章に綴る力も本当に凄くて…表現の仕方や言葉選びがいかに機知に富んでいて、刺激的なのかはあなたもこの動画を見れば分かるはずです!

そして何より、渋川さんの質問は鋭くて物事の本質や真意を突いてきます。

僕もこのイベントで渋川さんの前で自分の一年間の活動についてプレゼンさせて頂いたのですが、

「北村君があと3年間高校生として活動できるとしたら何をする?」

という質問に対して、目の前のことにしか視座が及んでいなかった自分は

「ゴミ拾いロボットを作りたい」

などという今考えると的外れな答えをしてしまいました。しかし、あれからその問いが僕の中では一つの考え方の基準になっていて、

高校生というブランドを最大化して活用するために今できることは何だろう

という問いに変換して、日々自分に投げかけています。

先日、渋川さんに「noteにお話を書かせて頂きたいのですが…」とお願いしたところ、快諾してくださっただけでなく、このnoteを読んでくださっているという想定外の事実が判明したのでこの場をお借りして、今まで恐れ多くてお伝え出来なかった僕の思いを書かせて頂きました。いつか渋川さんと同じ舞台で夢を語り合うことのできる日を夢見て、これからも頑張ります!今後ともよろしくお願い致します!

ここまでお読みいただいた皆さんへ

第1章からここまでお読み頂いた皆さん、本当にありがとうございました。これが今の僕を創ってきた17年間の軌跡です。最終章である本章は8600字にも及ぶ長編になってしまいましたが、僕が今まで言語化してこなかった思いや感覚をこうして刻むことができてスッキリしています。

これからも進化し続け、自分からワクワクの輪を広めていけるように激動の時代を駆け抜けていこうと思います!応援よろしくお願いします!

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