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<鑑賞記録>『A Little Life』

※この記事には、性暴力と自傷行為に関する詳細な描写があります。

ロンドンで上演中の話題作、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出「A Little Life」を観て来たが、この作品が、とても衝撃的だった。というのも、劇中で描かれるレイプとリストカットのシーンが、今まで観てきた演劇作品の中で一番直接的だったからだ。そこで、この公演について思ったことを、記憶が新鮮なうちに書き残しておきたい。

あらすじ

【第一幕】
原作は、ハニヤ・ヤナギハラの小説。彼女の父は、ハワイ出身の日系アメリカ人で、母は、ソウル出身の韓国系アメリカ人。演出のイヴォ・ヴァン・ホーヴォは、ヨーロッパ演劇を牽引するベテラン演出家。また、彼は、自身がゲイである事を公表している。

4人の男達の物語。彼らは大学時代からの親友で、主人公のジュードは弁護士、俳優を目指すウィレム、建築家のマルコム、画家としての成功を夢見るジャン。ジュードの仕事は順調で、マルコムの仕事も順調、ウィレムは俳優として評価され始めていて、ジャンが描いた絵も順調に売れ始めている。彼らは、順風満帆だった。そんな幸せな日々を送っている主人公のジュードは昔、交通事故で背骨を損傷していて、足を引きずっている。

また、ジュードは、頻繁にリストカットをしている。その原因が、幼少期に受けたトラウマであることは明らかである。しかし彼は、親友たちにも、そのトラウマを打ち明けられずにいる。そんな日々の中、ジュードは、知り合いの男にレイプされる。しかしジュードは、「拒否しなかった自分が悪い」と言って、警察への届出を拒む。

ジュードの身体は回復するが、この事件をきっかけに、幼少期、兄弟から性的虐待を受けていたフラッシュバックが、彼を苦しめる。ジュードは昔、兄弟から児童売春を強いられた後、州の児童擁護施設に保護されるが、あろうことかその施設で、今度はカウンセラーの手によって虐待が続けられていた。

思い悩んだジュードは、自殺を決意する。しかし、死にきれなかった。

【第二幕】
ジュードの一番の親友のウィレムは、彼の過去を知る。しかし、ジュードは、児童売春の過去については、話せないままだった。それでも、ウィレムはジュードに対して、自分もゲイであることをカミングアウトし、お互いに、ずっと好きだったことを告白し、二人は交際を始める。大学時代からの親友がカップルになったことが、ジャンとマルコムは嬉しい。そんな幸せな日々の中で、ジュードは、リストカットを止めることができない。

その後、ジュードはウィレムに、「背骨の怪我は、『お前の素行を治す為だ』と言われて監禁された素性の良く分からない男に、車で轢かれた事が原因だ」と伝える。それを知ったウィレムは、ジュードの過去を抱えきれなくなり、彼を忘れたくて、他の女性と『自堕落な関係』を持つようになる。しかし、やがて、彼を裏切った罪悪感から、ジュードの所に戻る。そんな中、ジュードの背骨の状態は悪化し、両足を切断する事になる。それでも、ウィレムと一緒にいられるジュードは幸せで、義足をつけて再び歩けるようにもなった。

ある日、恋人のウィレムは、親友のマルコムと彼の妻を迎えにいった時、飲酒運転事故に巻き込まれ、3人とも事故死。残されたジャンとジュードは、お互いに励まし合いながら生きていこうとするが、ウィレムが居なくなった人生に耐えられなくなったジュードは、絶望のなか、自ら命を絶つ。

感想

まず、この作品は僕にとって、全く面白くなかった。ただ、評価も高く、確かに簡単に忘れられる作品ではなく、色々な事を考えさせられた。

この作品は、開幕当初から話題だった。というのも、主人公のジュードがレイプされるシーンと、彼とウィレム初めてセックスするシーンで、役者は全裸になっているのだが、その場面を観客が盗撮する事件が起きたからだ。だから、開幕直後の劇評は、どれもこれも『不穏な気配』が見え隠れしていた。それらのシーンで前バリを付けるか、上演中は携帯を受付で預かる事になるか、なんて話と一緒に、舞台上の役者のプライバシーや、「観客の加害性」に関する議論が交わされた。この作品は、舞台上にも客席がある、いわゆる「対面舞台」なのだが、結局、自分が行った回では、舞台上の席を予約した客は、係員にしか開ける事ができない袋にスマホを入れられ、その他の客は、受付でスマホのカメラ部分にシールを貼られるという対応だった。

僕にとって、最も衝撃的だったシーンは、1幕中盤で、ジュードがレイプされるシーンだ。今までの演劇人生で、ここまで直接的に性暴力が描かれている作品は見た事が無い。この点、先に書いた「盗撮事件」もあり、役者自身のリアルな心身の安全と、役の状況がオーバーラップしていたことも、この『ショッキングさ』を強めていた。ただし、これらのシーンが、「もう観たく無い」と思うくらいにショッキングであるから、主人公のジュードが、この出来事についても、過去のトラウマについても、誰にも話せない事に納得ができる。つまり、この『ショッキングさ』は、主人公の心情を描写する上で必要だった。

それから、主人公のジュードを演じているジェイムズ・ノートンは、1型糖尿病であることを公表している。だから彼は、体内の血糖値を一定に保つため、舞台上に隠したブドウ糖を、上演中に、定期的に摂取する必要があった。僕は、彼が隠れてブドウ糖を摂取している事に、全く気づかなかった。つまり、ジェイムズ・ノートン自身の「現実世界での営み」は、この作品と、とても高いレベルで溶け合っていたと感じる。このことは、日本の演劇界であれば、話題にすらならない事である気がする。

レイプシーンと同じくショッキングだったのは、劇中で繰り返されるリストカットの描写だ。初めのうちは、「どうやって血糊を仕込んでるんだ?」なんて、ナナメから観ていたが、1幕の終盤、自殺を決意したジュードが、左の手首から肘に向けてカミソリを縦に走らせた瞬間、客席から沸き出た悲鳴につられて、思わず「ウーッ・・・」と声が漏れてしまった。おびただしい量の血溜まりは休憩中も舞台上に残され、トイレから帰ってきても片付けられないままなので「勘弁してよ・・・」と思ったのは、制作陣の思惑通りだろう。

さて、この公演には、インティマシー・ディレクターが当たり前にキャスティングされていた。その他に、身体的暴力を描いているシーンの監修をするファイト・ディレクターや、「義肢デザイナー(Prosthetics Designer)」という初めて見る役職までいた。作中には、足を切断したジュードが義肢を着けるシーンはなかったはずなので、終盤に出てきた車椅子のデザインと、病院での診察シーンなどを担当していたのではないかと思っている。いずれにせよ、スタッフ欄を見るだけで、その「徹底っぷり」が理解できる。この点、これらは全て、慎重になるべきシーンであるからこそ、そのシーンの責任者を雇っているわけだ。日本の演劇界において、この『当たり前』の実現が難しい事は実感しているから、そんなハードルが始めから無かったかのように製作できるウェストエンドの演劇が羨ましい。

ただし、冷静に考えれば、この程度の『グロい作品』は、世の中に腐るほど程ある。また、それが故に世界的に評価されている作品も、数えきれない程ある。つまり、この作品が単純に『グロいだけの作品』だったら、僕は、ここまで深く考える事はなかったはずだ。この点、変な言い方だが、この作品のグロさは、誠実だった。「面白くなかったけど、好きだった」という感情が近いのかもしれない。

2幕、僕は、今までの観劇人生で一度も感じた事が無かった気持ちを抱えていた。先述した、1幕中盤に、主人公のジュードがレイプされたシーンで、ジュードは、割れたワイングラスで背中を切りつけられ、その傷は、彼が着ていた白いYシャツに、大きな血のシミを作る。2幕で彼は、物語の時間軸に関係なく、常にそのYシャツを着ている。つまり、この『血』から彼が逃れる術は無くて、今の彼は辛いし、今までも彼は辛かったし、これからの彼も辛いし、その苦しみを背負わせられながら生きていて、その苦しみが終わる事はない。という事を『白いYシャツについた血のシミ』で表現する切れ味には唸った。物語が進むに連れて、そのシミが、段階的に情報量を増していく仕掛けは、僕が観てきた限り、演劇にしか出来ない表現であるし、その日の血の滲み方じゃないと感じられない事があるかもしれない。

最後に。ゲイであることを公表しているイヴォ・ヴァン・ホーヴェが、この作品の演出をしたという「凄み」を実感している。ちなみに、去年9月に上演された前作「誰が父を殺したか(Who Killed My Father)」の主人公もゲイで、アルコール依存症の彼が、ゲイである彼を蔑んでいた彼の父の『死』と向き合う一人芝居だった。前回は『死』がテーマの一人芝居で、今回は『生』がテーマの群像劇だった。「Who Killed My Father」は、死にたい「彼」が、死んでく父を看取ったことで、生きていく話。今作「A Little Life」は、生きたい「彼」が、愛すべき仲間たちに囲まれながら、死ぬ話。どちらも生で観られた事が自慢だ。

下に貼った舞台写真は、上から3つがアムステルダム公演、それ以下はウェストエンド公演の写真。どれも公式HPから拝借したが、ウェストエンド版の舞台写真は、先述の盗撮事件の影響なのか、あまり多くなかった気がする。ただ、舞台写真を確認する限りでは、どちらも大部分は同じ演出。記事の終わりに、先日受講した『「インティマシー・コーディネート研修」の記録記事』を貼っておいたので、そちらも合わせて読んで欲しい。

以上。

レイプされた直後のシーン。手元に、特殊加工がしてあるように見えるので、おそらくここに血糊を仕込んでいたのだと思う。一階席に座っていたけど、全く分からなかった。
ここからがロンドン公演。
車椅子のデザインがオシャレで良かった。背中の血のシミが、僕には、十字架に見えた。
恋人同士が見つめ合うシーン。すごく印象的で、心に焼き付いている。

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