じんのひろあき短編戯曲集 『マイフェアレディ』

  椅子が二つ、淺越は座り、ソナタはそれに対峙して立っている。
  やがて…
ソナタ「…死ねよ」
  淺越、ゆっくりと首を横に振る。
ソナタ「死ねよ」
  淺越、また、首をゆっくり横に振る。
ソナタ「死んじまえよ」
  淺越、また首を横に振る。
ソナタ「死んじまえって言ってんだよ、そんな奴は!」
  と、淺越、その椅子から地面に文字通り崩れ落ちる。
淺越「いやあああああぁぁ…」
ソナタ「綺麗になりたい…」
淺越「…はい」
ソナタ「女になりたい」
淺越「はい」
ソナタ「私があんたにできることは限られてるよ」
淺越「わかっています」
ソナタ「限られているっていうか、ほとんどない」
淺越「そ、そんな…ソナタさんならわかってくれると思って、決死の覚悟でやってきたんですよ、今日は…」
ソナタ「できることはあんまないけど、教えてあげられることはあるかもしれない」
淺越「なんですか…それは?」
ソナタ「あのね、女だって女になるんだ。最初から女じゃなんだよ。いいか、街を歩いていて汚い女を見かける事はない? お金をかけていないのはもちろんだけれども…手入れをしてない女は…なんでだろう、直感で、うわっ! 汚な! って思うことあるだろ?」
淺越「あります」
ソナタ「あるでしょ? 生まれっぱなしでさぁ、女に生まれて、そのまま何もしないでいるの。汚いっていうか、嫌だなっていうか、そういう女、私、殴りたくなるんだ」
淺越「はい」
ソナタ「男はいいよ、朝起きてそのまま外でていいんだから」
淺越「はい」
ソナタ「女はね…そうはいかないんだよ…わかる? 女はね、素顔ではね、すっぴんではね、外を歩けないんだよ」
淺越「はい」
ソナタ「おまえらの方が、自由じゃん」
淺越「はい」
ソナタ「好き勝手やってんじゃん」
淺越「はい」
ソナタ「なのになんでわざわざこっち来んだよ」
淺越「そっちに行きたい」
ソナタ「そこで、話はまた元に戻る」
淺越「はい」
ソナタ「きて…どうするの?」
淺越「ですよね」
ソナタ「大変だって話はしてるだろう?」
淺越「はい」
ソナタ「わかってない!」
淺越「わかってますって!」
ソナタ「こっちに行きたい、大変だよ、わかってますっておかしいよね(気づいた)わかった!」
淺越「何がですか?」
ソナタ「なんで最初から私がアンタにイライラしてるのか」
淺越「(怖い)…なんでですか?」
ソナタ「こっちに来たって、ただ大変だってだけなのに、それを想像することもしないで、ただ憧れでモノ言ってるからだよ。それが私をイラつかせるんだよ。悪いこと言わない、憧れなんて捨てたほうがいい。あんたが思ってるようなそんな良いところじゃないんだよ、こっちは!」
淺越「そんなことはないですよ」
ソナタ「そうなんですか?」
淺越「はい?」
ソナタ「ここは「そうなんですか?」と聞くところだって、さっきから、何か言えば分かるんだよ! このドブスが!」
淺越「ドブスって言わないで!」
ソナタ「ドブスはね! すっぴんだと、言われるんだよ、ドブスって! 言われてもしかたないんだよ、ドブスは! それがね、私達が生きている世の中ってもんなんだよ。おまえが男なら、そんなことは言われない。言われなかったろう、今まで…」
淺越「はい」
ソナタ「でも、今、女になりたいって言った瞬間から、世の中はおまえに言うんだ、このドブスがよ! って」
淺越「言葉強い! ソナタさんの言葉刺さるんですよ!」
ソナタ「(ドスを聞かせて、怖く)私の言葉じゃない! 世の中の言葉だよ、社会の言葉だよ! 世間ってやつだよ…このルールの中で、私達は生きてるんだよ…なあ、知らなかったろ、男さんよ」
淺越「応えますその言葉。刺さりますその言葉」
ソナタ「…だろ?」
淺越「ドブス…」
ソナタ「え?」
淺越「ドブス…ドブスって言われちゃいますよね、それは…しょうがない、それはしょうがないよ… (と、よくわからないが、最後のほうは笑い出したりしている)あはははは、ドブス…かあ…」
ソナタ「いや、そっちじゃないよ、え? 聞いてた? 今、私の話、今、私が言ったの、ちゃんと聞いてた?」
淺越「(何度も頷いて)聞いてました。受け止めてました…世の中は言うんですよね。ドブスにはこのドブスが! って…」
ソナタ「うん、それで?」
淺越「それは、しょうがないですよね…」
ソナタ「いやいやいやいやいやいやいや、私の話は、その後があったでしょ! すごい良いこと言ったんだよ! (そして、ゆっくり、噛みしめように)今ね、あんたが、女になりたいって、言った瞬間からね、世の中はね、お前に言うんだよ、わかる? このドブスが!」
淺越「わかります! わかりますよ! わかりましたから、そんなに何度も何度も言わないでくださいよ! ソナタさんの言葉はね、私の傷だらけのプライド、粉々にする破壊力があるんですよ」
ソナタ「まだ、壊れちゃダメ!」
淺越「え?」
ソナタ「あんたのその傷だらけのプライド、粉々になるのはまだ早い!」
淺越「(希望を見出した)!ソナタさん!」
ソナタ「世の中は、お前に言うんだよ、ドブスって!これは私の言葉じゃない、世の中の言葉だよ、社会の言葉だよ、世間てやつだよ、このルールの中で、私たちは生きているんだよ! 知らなかったろ、男さんよ!」
淺越「知りませんでした」
ソナタ「だよね」
淺越「知ろうともしませんでした」
ソナタ「だよね」
淺越「これから、知ろうとする…じゃぁ、やっぱり遅すぎますか?」
ソナタ「誰に聞いてんだよ」
淺越「…ソナタさんに」
ソナタ「それは、私に聞くこっちゃない! 自分の胸に聞くことだろうが」
淺越「そうですよね…それはそうですよね、知ろうとするかどうかは、自分の問題ですもんね」
ソナタ「そうだよ、お前の……その傷だらけのプライドが、粉々になった心の奥底で、おまえが両足でしっかりと立って、自分で考えるべきことなんじゃないの?」
淺越「ソナタさん、言われていることがすごく大事で、かっこいい事は分かるんですが…」
ソナタ「うん」
淺越「正直、何言われてるのかさっぱりわかりません」
ソナタ「シンプル極まりないだろうがよ」
淺越「はい」
と、淺越は「もう一回言ってください」とばかりに人差し指を立てて、ソナタが言葉を反芻することをリクエストする。
ソナタ「だからね、どういう女になりたいのか! って聞いてんだよ?」
淺越「…だから…きれいな女に」
ソナタ「馬鹿にしてるだろ? 女を」
淺越「(慌てて)してないです、してないです、とんでもないです、してないです」
ソナタ「(聞く)きれいな女になりたいだと?」
淺越「はい」
ソナタ「(怒る)馬鹿にしてるだろ!」
淺越「してないですって!」
ソナタ「あのなあ、綺麗な女なんかいないんだよ」
淺越「いますよ」
ソナタ「あんたが思う綺麗な女ってのは、綺麗になりたいと思って四六時中努力してる女のことなんだよ。言葉悪いがあれは全部発展途上中の女なんだよ」
淺越「あれで?…発展途上?」
ソナタ「みんなそうだよ。綺麗になりたい、もっと綺麗にならないとって思って、あれこれ工夫して、時間かけて、金かけて、失敗して凹んで学んで、それで辿り着いた場所なんだよ、でも、あの綺麗にしている女達は、そこで満足しちゃいねえんだよ、さらに上を見てるんだよ、そこに行こうと、今、この瞬間だってもがき苦しんでるんだよ」
淺越「でも、ソナタちゃんはかわいいじゃないですか」
ソナタ「それはどうも」
淺越「私、ソナタさんみたいになりたかったなぁ」
ソナタ「ばかああああ!」
  と、ソナタ、強く平手打ちする。
  パーン!
淺越「…だってぇ…せめてソナタさんみたいに綺麗に生まれたかった」
ソナタ「せめて? せめて? 今、せめてって言ったか? せめて? せめてだと? せめてってなんだよ、私はかわいいよ、でもね、でもね、もっとかわいくなりたいと思ってるんだよ、人からはすごいかわいい、すごい綺麗って言われたいんだよ、それをなんだ? おまえごときに、せめてって言われる筋合いはないんだよ。人を謙遜してんじゃねえよ!」
淺越「すいません、私はブスでした」
ソナタ「ばか野郎!」
  再び、ソナタ、平手打ち!
ソナタ「いいか! 自分のことを自分でブスって言うな、絶対に言うな! いいか、絶対だぞ、絶対に自分のことをブスって言うんじゃない、わかったな!」
淺越「でも、ソナタさんは、さっき私のこと、ドブスって」
ソナタ「言ったよ」
淺越「言ったじゃないですか」
ソナタ「言ったよ」
淺越「だから…」
ソナタ「人は言うよ、ブスって…ドブスって…ぶさいくって…だがな、自分では言うな…私、ブスだからって、絶対に言うな…」
淺越「はい、はい!」
ソナタ「わかったな!」
淺越「はい! 私はドブスではありません」
ソナタ「うん?…」
淺越「私はドブスじゃありません! 私はドブスじゃありません! 私はドブスじゃありません! 私は…」
ソナタ「待て!」
淺越「?」
ソナタ「な・ん ・で・私はドブスではありませんだよ! な・ん・で・私は綺麗です! と言えないんだよ!」
淺越「だって…」
ソナタ「だって、なんだよ!」
淺越「だって私は…」
  そ、ソナタ、瞬時に動いた。
淺越「 (と、気づいて)ああ! また叩くでしょう! ソナタさん、今、叩こうとして(叩くほうの)こっちの手と、踏み込む足、準備してたでしょう?」
ソナタ「…だって、なんだよ」
淺越「(叩かれる緊張の中)だって、私は…」
ソナタ「だって、私は?」
私「…ドブス」
  ソナタ、バッ!と、構える。
  淺越、反射的に、
淺越「と、人に言われがちではありますが…」
ソナタ「ありますが?」
淺越「自分では」
ソナタ「自分では?」
淺越「…ドブス」
  ソナタ、再びバッ! と、構える。
  淺越、反射的に、
淺越「だとは全然思っていなくて」
ソナタ「全然思っていなくて」
淺越「だから」
ソナタ「だから?」
淺越「だから」
ソナタ「だから?」
淺越「神様を信じています!」
ソナタ「なんだよそりゃ!」
淺越「信じるしかない…すいません、ごめんなさい!」
ソナタ「信じるしかない、その通りだよ」
淺越「え? あってますか? これで?」
ソナタ「信じるしかない、あってるよ、それで、でも信じるのは神様じゃない」
淺越「え?」
ソナタ「お前が信じるのはおまえ自身だよ、神様信じてどうすんだよ! 神様だと? あいつはなんにもしてくれねえよ! そもそも、あんたはあんたに生まれたんだから、あんたでやるしかないんじゃないかよ!」
淺越「その…自信がない」
ソナタ「泣き言を言うな!」
淺越「生まれ変わりたい」
ソナタ「生まれ変わりたい?」
淺越「はい」
ソナタ「だったらな」
淺越「はい」
ソナタ「死ねよ」
淺越「え! え! えー!」
ソナタ「死んじまえよ」
淺越「またここに戻るんだ」
ソナタ「死んじまえって言ってんだよ!」
  淺越、冒頭と同じように。
淺越「いやあああ」
ソナタ「生きていたいだろう?」
淺越「はい」
ソナタ「おまえ、そんなドブスな自分でも、自分のことが好きだろう?」
淺越「はい」
ソナタ「そんなドブスなおまえを愛してくれるやつがこの世にいるんだ、それが誰だかわかるか?」
淺越「……それは、誰ですか?」
ソナタ「おまえだよ」
淺越「え?」
ソナタ「おまえ自身だよ、お前が愛するしかないだろう、おまえが誰よりも愛するしかないだろう。今の自分を、おまえが誰よりも愛さなくてどうする、そして、愛されるように精一杯努力しないでどうする!」
淺越「だから…頑張りますから…」
ソナタ「頑張る」
淺越「はい」
ソナタ「なにを頑張るんだよ」
淺越「頑張って綺麗になります」
ソナタ「頑張れば綺麗になるのか?」
淺越「今よりは」
ソナタ「今よりも綺麗になる?」
淺越「はい」
ソナタ「おまえの目標はそれでいいのか?」
淺越「…はい」
ソナタ「今よりも綺麗になる、それが目標?」
淺越「いや、違うんです」
ソナタ「違うよな」
淺越「違うんです、ソナタさんがさっきからずっと言ってくれてるのは、そういうことじゃないんです」
ソナタ「そういういうことじゃないよな」
淺越「違います」
ソナタ「じゃあ、なんなんだ?」
淺越「もっと上を、遙か上を目指せと」
ソナタ「そうだよな」
淺越「それでも…そこはたどり着けない場所だから」
ソナタ「そうだよな」
淺越「それをみんな目指しているのだから」
ソナタ「そうだ」
淺越「やるなら、やれと」
ソナタ「そう…」
淺越「ですよね」
ソナタ「今よりも綺麗になる?」
淺越「ちがいます」
ソナタ「じゃあ、なんだ?」
淺越「綺麗になる…圧倒的に綺麗になる」
ソナタ「大変だよ」
淺越「でも、やるからにはそこに行かないと手にすることができないんですよね」
ソナタ「そうだよ」
淺越「一つだけ…あと一つだけ質問させてください…答えてください」
ソナタ「なに?」
淺越「…そこに行けば、私は綺麗になると思いますか?」
  ソナタがこれをどう言うか。
  それはト書きで書きようがない、次の台詞はすべての女に、そして、美しくなりたいと、少しでも思っているすべての男に。
この台詞に根拠などなにもない。
けれども、根拠などなくても必要な言葉ではある。
これは嘘かもしれない。
でも、この嘘があれば、人は生きて行ける。
そんな言葉を、ソナタは発する。
この言葉がまことに人の心を打つ時、物語がそこにある意味がある。
ソナタ「…なるよ」
淺越「…はい」
ソナタ「行けばね。でも…行くのは」
淺越「自分」
ソナタ「だから」
淺越「刺さる言葉が渦巻く嵐の中に…世の中の言葉、社会の言葉、世間ってやつ、そのルールの中、そこで生きる」
ソナタ「そう」
淺越「そこで生きるしかない」
ソナタ「そう」
淺越「なんですよね」
ソナタ「今、私がなにを思ってるかわかる?」
淺越「…すいません、わかりません」
ソナタ「私が今言っていることがいったい、どこまでわかってもらえるだろう、かって」
淺越「はい」
ソナタ「ただ……ただね、これが本当にわかってもらえるのは…いつかあなたが深く深く傷ついた時だと思う。ああ、これか、ソナタが言っていたのはこのことだったのかと、世界に、自分に絶望する時だと思う…ごめんね。でも、私は言い過ぎたとはけして思ってはいない」
淺越「はい」
ソナタ「そして、ありがとう」
淺越「ありがとう?」
ソナタ「私達、女に少しでも興味を持ってくれて…ありがとう」
  唐突に暗転。


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