連作一人芝居『我々もまた世界の中心』『灰は灰に』

  それほど高所にはないマンションの一室。
  庄野久(14)の勉強部屋。
  今、梨本慎吾(22)が家庭教師に来ている。
  昼下がり。
  後ろには何らかの遮蔽物が置いてあり、後でわかるがその後ろに天体望遠鏡が置いてある。
  梨本は久の横で漫画の本を読んでいる。
  時々、隣で勉強している久の方を見る。やがて。
「できた?」
  しかし、返事はない。梨本、久の顔をのぞき込む。
「できた? 
 できたら見せて?(と、ノートを奪い取ってみる)は~ん、できてんじゃない…テストの範囲ってどこまでだっけ…」
  と、また久の方をのぞき込む。
  返事はない。
「この教科書のページのところに丸がついてるってことは、ここまでなのかな…」
  その返事を待つ梨本。しかし。
「(あきらめた口調で)どうしても、俺と口をききたくないってわけだ」
  そして、もう一度、彼の顔をのぞき込み。
「(思いつめたように)でもねえ…俺ねえ…(優しく)全然平気。気にしないよ。俺は待ってるからね。久君がいつか口をきいてくれるその時まで…」
  と、ノートを見て。
「やればできるじゃない……
 なんで試験の時しか学校行かないの?
 学校行けばさあ…友達が(と、ノートの間違いを見つけた)あ、ここ、マイナスのはずでしょ?(自慢げに)すごい?
 ぱっと流して見るだけで、気がついちゃうんだよ…
 何でだかわかる? 俺が家庭教師さんだからだよ。
 ここでマイナスになるとね、答えが…
 あれ?
 答えはあってるな…あ…ここだ。ここでまたプラスとマイナス間違ってるから…裏の裏は表ってね…」
  でも、全然反応のない彼。
「家庭教師、ずいぶんクビにしたんだって?
 お母さん言ってたよ。
 俺もクビになっちゃうのかな…
 でも、ほかの奴ってあれだろ、自分からやめさせてくださいっていうんだろ?
 最近の若いやつは根性ないね…
 俺、自分からやめさせて下さいなんて言わないからね…
 だって、俺ねえ…普段無口なんだもん…だからね、沈黙に対して、全然平気なんだもん」
  と、梨本、彼の顔を見たまましばし黙る。
「ね…沈黙に対して免疫ができてるっていうか…
 でも、何でこんなに喋るかっていうとね、家庭教師としてくるとね、こんなに喋っちゃうのね…
 ここにいる俺はさ、俺なんだけど、俺じゃないの。
 家庭教師の俺なの。
 だってさ、俺なんか、もともと人に物を教えられるような人間じゃないもの…
 どきどきしたよ、イトーヨーカドーの伝言板に家庭教師やりますの紙張った時は…
 人間変わっちゃったもんな、家庭教師やるようになって…
 明日の期末テストちゃんとやれよ…
 ま、今回の成績悪くても、俺のせいじゃないから、いいんだけどね…
 一、二回、勉強教えて、成績がどうのとかいわれてもね…
 次のテストんとき、上がればいいんだからさ…
 でも、悪いより、いい方がいいもんな、世の中…(と、時計を見て)疲れた? 
 久君…疲れたんなら…
 疲れたかどうかも言いたくないわけね…
 俺はちょっと疲れたなあ…
 (弁護するように)漫画読んでても疲れるんだよ、先生は…
 ほら、家庭教師っていう役割を演じてるわけだからさ…
 お母さん、買い物? 帰ってこないね…
 あと、十分か…どうする?
 やめる?
 やめちゃおっか…今日の勉強はこのへんで…そんな期末テスト中にあがいてもな…」
  と、ノートをぱたんと閉じる。
「でも、ここでやめちゃうと、俺は家庭教師という役柄から解放されて……
 いつもの無口な俺に戻っちゃうわけだ…」
  と、彼に向かって微笑みかける梨本。
「気まずい十分だな。そりは…
 うそだよ。
 そんなわけないよな…
 俺はあの玄関を出ていくまでは、家庭教師の俺なんだから…」
  と、家捜し、し始める梨本。
「ファミコン…いっぱいあるねえ…
 これ、全部やったの?
 うひゃー、こんだけやったら、学校行く暇、ないよね。
 友達いらないもんな、ファミコンあったら…」
  と、別の棚も見た。
「あ、クアドラもある…この部屋から一歩も出ない時もあるだろ…
 あるよ…絶対あるよ…
 『スト2』いつもなにで戦ってんの?
 俺はチュン・リーだけどさ…
 リュウとかケンとかでやるやつってさあ…
 (別に気にしていないように)そうか…趣味の話も駄目か…
 (部屋の他の方面を見回して)久君ちってさあ…お父さんの気配がないよね…」
  と、久と目が合ってしまった…
「(へたくそにおどけて)おやおや…
 まずい事聞いちゃったかな…
 いや、聞いたわけじゃないんだよ…うん、ただつぶやいただけなんだよ。
 まずい事つぶやいちゃったかな…おっとっと…
 人のご家庭の、ダークゾーンに足を踏み入れるところだったよ…」
  と、ついに天体望遠鏡を発見する梨本。
「あれ、天体望遠鏡だ…
 天体望遠鏡持ってるんじゃん…
 へーえ(本気で)いいなあ…
 俺さあ…
 昔、天体望遠鏡すっごい欲しかったんだよ。
 子供の時にさあ…
 何か物欲しがる気持ちって、ハンパじゃないじゃない。
 欲しいって思ったら、もうそればっかりなんだよね…
 なんかさあ…
 (と、感慨にふけるあまり、しばし沈黙に陥る)おっと…
 またひとりの沈黙の世界に入るところだった…
 なんかさあ…
 初恋の人に出会ったら…
 埃だらけだったなんて…
 この望遠鏡、もう物置と化してるな。
 (あまり頼み込む感じじゃなく)あのさあ…久君さあ…この望遠鏡(こっちに)出していい?
 (やや頼み込む感じで)出していいよね…返事がないってことは…」
  と、彼がノートを梨本に差し出したよう。
「なに?
  できたの?
 まじめだねえ…
 (と、ノートを見る)あらら…
 ちゃんと出来てるじゃない…
 俺さ…
 さっきさ、そこでノートパタンと閉じて『もう今日の勉強、終わりにしようか』って言ったんだけど、全然聞いてなかったみたいだね…
 (ダメ押しの)だね…
 人の事聞いていないから、返事ができないのかな…
 (ノートの計算が)合ってる、合ってる…
 ありゃりゃ…全問正解じゃない…俺の教え方がうまいのかな…
 なんちゃって…」
  と、時計を見て。
「今日はもう終わりだな…
 久君、まだやめないの、勉強?
 久君、あれだね…
 俺が家庭教師の役割を演じている以上に、君は家庭教師に教えられる生徒の役割を演じてるよね。」
  と、言いながら、天体望遠鏡を出してくる。
「よっと…
 よっと…
 よっこらしょっと…」
  天体望遠鏡をとりあえず窓際に持ってくる梨本。
「久君、いっつもなに見てんの、これで。
 星なんかさ、見えないでしょ、この辺じゃ…
 マッキントッシュのソフトにあるじゃない、プラネタリウムみたいなやつ。
 あっちの方がさ、ずっときれいな星空だよ、きっと…
 ああ…
 ここからじゃ、対面のマンションを覗き見るくらいだねえ…」
  と、望遠鏡を微調整していく。
「でも、考えてみりゃ、俺が望遠鏡欲しがってた頃だって、夜の空って汚かったもんなあ…
 俺はあんなに天体望遠鏡欲しがってたけど、手に入れた時いったい何を見るつもりだったんだろうね…
 今となっては、誰に訊いてもわからない、永遠のなぞだね…
 俺、天体望遠鏡ねだってさあ…買ってくれないじゃない、親ってそんなに簡単には。
 でね、こう家庭の中でさりげなく天体望遠鏡の話題が出るようにって、ちゃぶ台の上にパンフレットを広げておいといたんだよ。
 でね、オヤジがそれを手に取ってさ、ちらっと見たのね。
 チャンスだと思って、俺こういうのが欲しくってさあ…って言おうと思ったら、オヤジがいきなりそのパンフレットの上で爪切り始めちゃってさあ。
 俺、いまだにあの時のオヤジの行動は許してないけどね」
  と、また望遠鏡を覗いている。
「あ、なんか、こっち見てる奴がいるぞ」
  と、久君に望遠鏡覗いてごらんよと誘う。
「双眼鏡で…覗きだよ、覗き。
 うわあ…なに考えてる奴なんだろうね…」
  でも、久は覗かないよう。
「男だろうな…あれは…
 昼間っからなにしてるんだろう…
 久君、覗かない?
 (返事なし)覗かないか…覗かないね…
 俺と一緒に覗かなくっても、これ、久君の物だからねえ…
 俺が帰った後で、ゆっくり一人で覗けばいいもんね…
 なんか(その対面の奴に)信号送ってみようか?
 タオルかなにか振ってみるとかさあ…
 気がつかないかな…
 こっちに…
 タオル振ろうよ…
 いや、もっと目立つもんがいいか…赤い物とかさあ…
 久君…じゃあ、俺帰るから…
 だって、時間だからさあ…
 ビジネスライクだろ…俺って…
 今日これから会うんだ…
 彼女に…
 いるんだよ、俺にも…
 メシでも食って…それから…
 久君…
 世の中ってさあ…楽しい事いっぱいあるぜ…」
  と、また望遠鏡を覗きに行く。そして。
「寂しそうだな…
 あいつ。
 俺、あの頃、女の子のおっぱいがあんなに柔らかいものだって知ってたら、天体望遠鏡なんか欲しいって思わなかっただろうな…
 久君、期末テスト頑張れよ。
 また来るよ」
  と、天体望遠鏡の側を離れて。
「また来るよ。
 久君に嫌われても来るからね。
 俺、バイトしなきゃなんないんだよ。
 金ないから…
 彼女に会ったりすると、結構なんだかんだかかるからね…
 そのために少しね。だからまた、家庭教師に来るからね…
 じゃ、久君、またな。
 おまえの天体望遠鏡、大事にしろよ」
  と、出て行く。
  暗転。

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