『見ろよ、あれがチョコレートファクトリーだ』「To SING」

 二人芝居の連作を上演していた『メトロポリスプロジェクト』の時ずっと客入れは同じ曲が流れていた。
 『Aquarius』という曲だ。
 歌っているのは林田里織。
 我々は彼女をダリンと呼んでいる。
 最初は林田を音読みして、リンダ、リンダと言っていた。
 だが、彼女はある日、「ミュージシャンって言葉をひっくり返して言うじゃない、メシのことをシーメとかさ、女の子のことをナオンって言うじゃない。だから、リンダっておかしいと思うんだよね」と言い出した。
 「だから、今日からリンダをひっくり返してダリンって呼んでくんないかな」突っ込みどころがありすぎて、誰も相手にしなかった。
 わかった、わかったと、みんな普通にダリンのことをダリンと呼ぶようになった。
 というわけでダリンはダリンになった。
やがて、ダリンはじょじ伊東という男とバンドを組んだ。
バンド名はもちろん『ダリンとじょじ伊東』。
時々、忘れた頃にライブをやるバンドだった。
「私はゲール語で歌を歌いたいんだ」
ダリンがいつ、こんなことを言い出したのか覚えていないが、ひどく暑い日だったことだけは覚えている。
 いつかの夏だった。
「アイルランドの曲が好きだったの。一番好きなのはね、フェア・グランド・アトラクションっていうので、だいたい自分の好きな曲を並べていったら全部アイルランドの曲だったの。アイルランドの曲ばっか。みんなゲール語なの」
「ゲール語?」
「じんのさんだって聞いたことないでしょ、ゲール語なんて」
「ないね…ゲール語ってなに?って感じだもの」
「ケルト言語の一つなんだけどね。私もね、よくわかんなかったんだけど、調べたの」ダリンは言った。「そしたらね、ゲール語って今ではもうほとんど話されることのない言葉で、元々はスコットランドで使われていたらしいんだけど、1746年にイングランドとの戦争に敗れて、キルト着用、バグパイプの演奏と一緒にゲール語で話すことを禁止されたんだって。だから、スコットランド諸島と西海岸、グラスゴーっていうところを中心に、今ではもう5万人くらいしか話すことができないらしいの。しかも、例えば、ゲール語をお父さんが話すことができたとしても、お母さんが知らなかったら、家族の中の話にゲール語が出てくることはないから、子供は当然、ゲール語なんて知らないってことになっちゃって、どんどん今、ゲール語を話す人がいなくなっちゃってるらしいの」
 絶滅していく言葉。
 それがゲール語だった。
 そして、今、ダリンはその消えつつある言葉を憶えなければならないことになった。
「でも、やるしかないからさ、それをやらないと先に進めないんだから、私、それをやらないと、自分の好きな歌、歌えないんだからって、そう思ったらもうやってやるよって」
 そして、冒険へと旅立っていった。
 その冒険の報告をしに来た時には年を越していた。
 これは、私がまだ人形を作るためにマンションを借りていた頃、屋根裏の三角の部屋でダリンと茶を飲みながら話したことだ。
 私はこれを、書いて残しておかなければならないと思った。
 「じんのさんだから言うけどね」ダリンはいつも私に話をする時、必ずそう前置きしてから話を始めた。
 それは秘密にしておいて欲しいという意味ではない。
 だいたいにおいて、ダリンは何を言っているかわからないが、慣れてくると言わんとしている事はなんとなく理解できるようになる。
 言葉をあまりコミュニケーションの道具として使わない人だった。
 だから、本当の意味で「じんのさんだから言うけど」とダリンに言われたのは、後にも先にも一度だけだった。その話はまたあとで話す。
 「最初はね、じょじとライブをやったんだよね、1年半くらい前かな。東中野の小さなライブハウスで…」ダリンは話し始めたが、ここで書かれているように整然と話したわけではないし、私は私で自分の記憶に基づいて整理整頓して書いている。
 二人の会話はこんなふうにスムーズには進んだわけではない。
 が…
「それでね、その本番で、私、初めて歌っている時に雑念が入ったの。お客さんがガーッと襲ってくるっていうか、とにかく歌以外のことを歌っている時に思ったの。そんなの生まれて初めてだった。だから歌っている最中に『ダウト!』って叫んだの」
 ダウトォ! 
 ダリンはその時の気持ちを再現して見せたかったのか、拳を勢いよく宙にあげて叫んだ。
「ダウト!ってなに?」
「ん?意味はよくわかんないけど、ダウトォ!って感じだったのよ」
 ダウトの意味は私にはわからなかったが、ダリンの言う「ダウト!」の気持ちはわかった気がした。
 そう、不思議なことにダリンはどんなに間違った言葉、意味不明の言葉を使ったとしても、その時の気持ちを正確に人に伝えることができる人だった。
「とにかくね、いやだーって思ったの。なにか間違ってるーって。もうそのライブ自体はね、最悪。自分でも『わかりました、最低です。ごめんねー、来てくれたみんな!」って思ったの。
 でも、やっぱり見てくれた人の中には初めて見てくれた人もいて「よかった」って言ってくれる人もいたんだけど、でも、自分がダメだと思ったらダメなのよ。
 だって、私、生まれて初めて人に意見を求めたもん。
 この私が。
 この私が。
 だってそれまでは『歌』ってさ、歌って終わったら、それまででしょ。
 それが『歌』ってもんじゃない。
 だから終わった後で人の意見とか聞くのって意味ないって思ってたの。
 でもね、その時は聞いたの。
 さんざんみんなが言うわけよ。
 それがさあ、全部当たってるんだよね。
 そうなの。
 だって、ダメだったんだから。
 わかるでしょ、じんのさん、一つしか取り柄がなくて、ただ一つ愛しているものがあって、その一つがダメで、愛せない時、どんなにつらいか。どんなに哀しいか。どんなに情けないか」
 じんのさんだから話すと言ったのはここの部分のことだったんだろう。
 「わかるでしょ、じんのさん、一つしか取り柄がなくて、ただ一つ愛しているものがあって、その一つがダメで、愛せない時、どんなにつらいか。どんなに哀しいか。どんなに情けないか」
 「うん、それでどうしたの?」私は先を続けるよう促すだけだ。
「その時、朝までぐだぐだして、結局、私の中になんにもなくなっちゃったわけよ。でね、そのなんにもなくなっちゃった私に、じょじが『まあまあ』って言って、慰めてくれるんだけど、誰もさあ、そんなふうに歌がダメだって思っている私なんか見たことがないから、どんな言葉をかけていいのかわからないんだよね。慰める言葉がなくてそれで結局「寿司おごってやるから」って朝7時に回転寿司に連れて行かれたの。それでじょじが回っている寿司を取ってくれて「もうダリン、気にすんなよ」って。
 でも、おごってくれたわけじゃなくて、割り勘だったんだけどね。
 じょじは回っている寿司を取ってくれただけだったんだけどね。
 それでさ、寿司がさ、ずーっと去っていくわけじゃない、目の前から。その去っていく寿司を見て私、決心したの」
 ダリンはそう言い切ってまっすぐに私を見た。
「何を決心したの?朝の回転寿司屋で?」
「去っていく寿司を見てね…私も行こうって」
「行こうって、どこに?」
「今、こうやって帰って来たから言えることなんだけどね。あたしがその時思ったのは『音楽を愛しても罪にならない国に行くんだ』って決心したの」
「音楽を愛しても罪にならない国? 日本はそうではないの?」
「うん、私はね、ただ、音楽が好きなの。歌っているのが好きなの。それでどうこうしようとか、売れるとか売れないとかね、すぐそっちに行っちゃうでしょう。売れないとダメみたいなところがあるでしょう。売れることを考えないと、お金にすることを考えないと、その歌っていること自体がダメって思われちゃうじゃない。でもね、本当はちがうの。歌っている私がいて、それにはそれ以上の意味なんてないの。だから、意味なくってもいいよって言ってくれるところに行きたくなったの」
 それからダリンは、自分のアパートの荷物を少しづつ友達の家に運んで行った。
「押入、4分の1貸してって、四人のところに行けば、押入に入っている物がとりあえずなくなるでしょう。実家に送れる物はこっそり送るでしょう」
 とにかく計画的にできるだけ短期間でダリンは体ひとつにならなければならなかった。
 もちろんお金も貯めなければならないから、バイトもしながらの話だ。
 彼女の友人達はそんな相談をダリンが持ちかけたとしても、わけを聞かなかった。
 どこ行くの? 
 何しに行くの?
 何の為に?
 とか、そんなことは誰も聞かなかった。
 「それでね、押入空けてくれて「帰ってきたら連絡ちょうだいね」って言われた。みんなわかってるたんだ。私が体ひとつでどこかへ行こうとしていることを。それでインターネットで音楽のサマースクールを検索したの。いっぱいあって、もうそれだけで嬉しくなっちゃったんだけど、でも、日本からどうやってそこに通えばいいのか、なんて書いてないのよ、そこには。まあ、当たり前なんだけどね。官公庁でも調べてみたんだけど、ありきたりな留学しかなくて。私がみんなの押入をちょっとづつ借りているのは、留学するためってのではないんだよね。行ってみたいの、それで歌を習いたいの、そこで歌ってみたいの。それって留学? ちがうよね。そんなの留学って言わないよね。それをなんていうかわかんないけど、とにかく私はアイルランドに行きたかったの。もう行くしかない。行きたい。でも、アイルランドだよ。普通に考えて、どうやって行けば行けるんだろうって…」
 普通に考えればダリンが言っていることは無茶苦茶だった。
 いくら東中野のライブハウスで失敗しても、いくらアイルランドの音楽が好きでも、いきなり、方々の友達の家に荷物を預けて、誰一人知り合いのいるわけでもない、アイルランドに行って歌を習い、歌いたいとは言わないものだ。
 これを冒険と言わずして何を冒険というのか。
 そう、この時、ダリンがやったことは『冒険』だ。
 フィクションの中で冒険する話などいくらでもある。
 でも実際、こうして『冒険』という言葉に値する行動をとった人の話を聞くのはそうそうあることではない。まわりにそうそう『冒険』をしたことのある大人がいるものではない。
 『冒険』をしたことのある大人を知っていることすらない。
 ダリンはその『冒険』をしてきた数少ない人だった。
「それでアイルランドにどうやって行ったらいいかわからないから、とりあえずオランダに行ったわけよ。オランダにね、前に『ロッキー・ホラー・ショー』に一緒に出てた女の子が住んでるのよ」
 昔、ダリンはアマチュア劇団が上演した『ロッキー・ホラー・ショー』に出たことがあった。
 冒頭、お米を投げられる花嫁の役だった。
 この『ロッキー・ホラー・ショー』は元々舞台であったが映画化されカルトムービーの代名詞となったものだ。
 他のミュージカル映画と決定的に違うのは、黙って椅子に座って見ていなくてもいい映画ということだ。普通、映画館に行くときちんと膝を揃えて座って、映画が始まったら、他に見ている人の邪魔にならないように最後まで静かに見ていなければならない。
 けれども『ロッキー・ホラー・ショー』は映画が始まったら映画に出てくる人達に向かって、かけ声をかけてもいいし、ダンスが始まったら客席の通路に走り出て、映画の登場人物達と一緒に踊ったりしても構わない。
 映画の途中で見ている人達のために映画の中でダンスの振り付けを教えてくれるコーナーもあるので、特別に振りを憶えていかなくても、ほんとにその場ですぐに踊れるようになる。
 だからみんなダンスのシーンになると、映画館のステージに上ったり、通路に出たりして画面の人物達と一緒に踊り始めてしまう。
 それともう一つ大事なことは、この映画を見るために持って行かなければならない物がいくつかあるということだ。
 お米に新聞紙、ライターやクラッカー。
 さっき『ロッキー・ホラー・ショー』の冒頭に結婚式のシーンがあると書いたが、外国では教会で結婚式を挙げると、新郎と新婦が教会から出て来るとき、お祝いにお米を彼等に向かって投げるものだ。
 だから、映画の最初の結婚式の場面で見ている人達はみんな、お米を投げるのである。
 もちろん、映画館のスクリーンに向かって投げるわけだから、画面の中の新郎新婦に届くわけはない。
 投げたお米はスクリーンに当たるだけだし、ヘタに一番前の席に座ったりしてしまったら、後ろの人が投げて来るお米が降ってきたりもするのだ。
 その場にいあわせないと、よくわからないかもしれない。
 世の中にはこんなふうにして見てもいい映画があるのだ。
 お嫁さんと花婿さんでドライブしていると、雨が降ってくる。
 客席で見ているお客さんはこの雨をしのぐために新聞紙を広げる。
 客席中が新聞紙だらけになるわけだ。
 映画の中の雨に降られる二人が人気のない山道で困っていると、遠くに屋敷の明かりがぽつりと見える。
 その時、お客はみな手に手にライターをつけて、その光を見せてやる。
 映画館の客席の中にライターの火が一斉に灯る。
 そして、屋敷に入ることができた二人の前にこの映画の本当の主人公ともいうべき、ドクター・フランクが現れる。
 ここがクラッカーの鳴らしどころだ。劇場の客席のあちこちからパン! パン! パン! パン! パン! パン! 劇場中に火薬の匂いがして、短い紙テープが宙を舞うのだ。『ロッキー・ホラー・ショー』は映画であって映画ではないのかもしれない。
 だから、本当に普通に映画を見ようと思って来たお客さんは、この『ロッキー・ホラー・ショー』の楽しみ方を知っているお客さんに驚く。
 そもそも映画というのは始まったら他の人たちの迷惑にならないように、黙って見ていなければならないものだと、みんな小さな頃に教わっていたはずなのに、だ。
 客は映画に向かってお米を投げたり、通路に出て踊りだしたり、クラッカーを鳴らす。
 でも、それが『ロッキー・ホラー・ショー』の正しい見方だ。
 そうやってみんなで騒いで見る映画、それが『ロッキー・ホラー・ショー』なのである。
 こんな映画は滅多にあるものではない。
 だから、みんな『ロッキー・ホラー・ショー』を大事にする。
 そして、それとは別に、元々が舞台のミュージカルだった『ロッキー・ホラー・ショー』を舞台版のまま上演しているところもあった。
 その最初にお米を投げられるそのお嫁さん役をダリンはやった。
 映画ではスーザン・サランドンがやっていたジャネットという役だ。
 ダリンと知り合ってすぐの頃の話だ。
 そのただでさえ騒がしい『ロッキー・ホラー・ショー』をなんと年越しライブでやった事があって、それを私はダリンに誘われて見に行った。
 私はその時、初めて彼女が歌っている姿を見た。
 そこには普段、顔を合わているシャイな林田里織とは別人のリンダが歌い、踊り狂い、シャウトしていた。
 ピンクのレオタードを着て両胸に鏡餅を二つ入れていた。
「なんだこれは?」と訊いたら「グラマラスでしょう?」と言っていた。
 話を元に戻そう。
 ダリンがそうやって貯めたお金はそれでも最終的に40万ほどだった。
 40万からまず、オランダまでの飛行機代14万を引くと残りは、26万。
 そこから旅行に必要な物を買わなければならない。
 「んで買って、変圧器やらなんやら、いろいろ揃えていたら結局、手元には13万しかないの。
 13万よ。
 13万しかなかったら、日本でだって1ヶ月暮らせないのに、私はもう行くと決めたから、その13万を持って、オランダへ飛んだの」
 ダリンはオランダで日本人が集う焼鳥屋でバイトをしながらまた金を貯め、3ヶ月後にようやくイギリスにたどり着いた。
「バスに乗ったの。
 バスはねヨーロッパ・ユーロラインって、すんごい激安でどこにでも行けるの。
 すごい時間かかるんだけどね。
 だってロンドンまで行っても6000円くらいなんだもん。
 それでまた飛行機のすっごい安いやつでようやくイギリスまで来たのよ。
 でもさあ、こんだけ苦労しても、まだイギリスなんだけどね」
 イギリスに入国する時、ダリンが書いた出入国カードに記入漏れがあり、入国管理官が訊いた。
「なんのためにこの国に入るのか?」
 ビジネスか、留学か、観光か、どれかをチェックすればいいだけの項目だ。
 しかし、ダリンは記入するのを漏らしたわけではなく、記入できなかったのだ。
「だって、ビジネスでも、留学でも、観光でもないんだもん」
「なんのためにこの国に入るのか?」彼女は答えた。
「To SING」
 歌うために。

 そして、ロンドンにたどり着いた時、教会の前にホームレスが並んでいた。
 ご飯がもらえるという。
 ダリンもその後に続いて、並んで待った。
 そして、プレートにご飯をよそってもらって、食べていたら、隣のホームレスがそのご飯が「まずい」と言って残したのだという。
 ダリンは怒って「こんなにおいしいものをタダでもらって残すとはなにごとだ」と英語を駆使して説教したらしい。
 それでも、そのホームレスが反省する気配がないので、ダリンは彼が残したものを全部目の前で食ったそうだ。
 それをたいらげた後で、「ほら、こんなにうまいんだ」と言ったそうだ。
 そういう人だった。

 アイルランドの学校に辿り着き、夜はパブに入り浸った。
 ゲール語を話すおじさん達のたまり場。
 おじさん達はダリンのことをおもしろがった。
 遙か東の果ての国からゲール語の歌を習うためにやってきた女の子がいるのだ。
 そのおじさん達に向かってダリンは言った。
「私は黄色いエンヤになりたいんだ」
 それを聞いたあるおじいさんがダリンにいっぱいおごってくれて言った。
「私はそのエンヤの父親なんだよ」

 そして、ダリンが帰国した時、私は、『メトロ』で役者で出て欲しいと言った。
 具体的な日程も決まり、チラシを刷るかという時のことだった。
 ダリンから電話があった。
 「出られそうもない」と言う。
 そこで、本当の意味で「じんのさんだから言うんだけどさ」と言う話が始まった。
「私はガンなんだ」と告げられた。
 だから『メトロ』には出られないと。
 でも、入院して手術すればきっと治るから、またその時に、その話をしようと。
「絶対に他の人に言わないで」
 ダリンは頑なにこの件が他の人に伝わることを拒んだ。
 入院した彼女を見舞いに行った。
 午後4時、ベッドの周りは本やらCDやらが、とっちらかっていて、いかにもダリンのベッドという感じだった。
 ダリンは私の顔を見るなり「蕎麦が食いたい」と言った。
 一緒にこれから食いに行こうと、上着を羽織った。
 勝手に病院を抜け出していいのか?と、聞いたら、いいんじゃないの別に、と吐き捨てて先に歩き始めた。
「病院の地下通路を通るのが近道なんだ、この地下道は遺体が通る地下道だからあんま人がいないんだよ」 蕎麦屋は5時からの営業で『準備中』の札がかかっていた。
 ダリンはその扉を押し開け「ダメですか?」と直接交渉していた。
 一事が万事、そういう人だった。
 「ダメです」と言われ、喫茶店で蕎麦屋の開店を待つことになった。
 そこまでして蕎麦が食いたかったのか?
 食いたかったのだ。
 「じんのさんのお茶代、出すからさ」
 仕方ないから「じゃあ、蕎麦はおごるよ」と私は言った。
 二人でうだうだとどうでもいい話をして、蕎麦屋が開くのを待った。
 おかしいと思った。
 この時間はなんなんだろうと思った。
 こんな時間があるわけがない。
 どうしてこんな時間が用意されているんだろう。
 ずっとそればかり考えていた。
 そして、二人で蕎麦を食った。
 病院の地下通路のところまでダリンを送った。
「ここまででいいよ、じゃあね」その時はそこで別れた。
 ダリンに「出て」と言った『メトロ』のVol.12を彼女は見に来た。
 終演後、ロビーでダリンを抱きしめた。
 愛しい人がいたら、なるべく抱きしめておくべきだ。
 抱きしめた時の記憶を刻みつけておくべきだ。
 それができてよかった。
 その1ヶ月後。
 
 2004年1月19日、彼女は先に逝った。

 なんのためにこの国に入るのか?
 入国管理官は訊いた。
 彼女は答えた。
 「To SING」
 歌うために。

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