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彼らのProof of Inspirationを聴いて②

①    の前置きがとても長くなってしまったけれど…
私はキム3兄弟寄りのナムペンなので、
今回も3兄弟について、彼らが表現した内容について感じた事を忘れないように記録する。
 
 
まず一人目は、キムテヒョン。
彼が選曲したのは“Singularity” そして”00:00“
“Singularity“はソンドゥク先生から授けられた表情の表現力に合わせて、彼のしなやかさと力強さがミックスされた振付がとにかく目を惹きつける曲であると思う。
SYSコンのセットリストはかなり激しい構成になっていたが、
そういった中でも緩急つけながら演じる事が出来たテヒョンを見て、
彼自身のこの曲を表現する為のこだわり、
そしてこの曲の世界観をすごく感じた。
 
テヒョンは、Proof of Inspirationの動画の中で、
キムテヒョン=人間
V=アーティスト
と表現していて、その当時は自分がどんな人間なのか、戸惑っていた時期と語っていた。
 
私自身、Singularityの歌詞を初めて見た時に、自身の中に落とし込むまでに少し時間が必要だった。
なぜか。
それはとても苦しく感じたから。
 
美しい、ハンサム、親切、きっとどれもこれもテヒョンだと思う。
家族や友人といる自分、アミといる自分。どれもこれもテヒョン。
どちらも本当の自分だけど、どちらが本当の自分…?
 
 
나는 날 잃은 걸까
아니 널 얻은 걸까

私を失ったのか
いや、あなたを得る事ができたのか
(※意訳あり)
 
 
自分の求める「キムテヒョン」なのか。
はたまた、ファンの望む「V」なのか。
彼の中のありたい姿とこうあるべき姿の葛藤を感じる曲であり、そしてきっとそれは、曲だけではなく、彼の本心なのではないかと。感じていたから。
 
だからこそ、このProofに“Singularity”を選んだテヒョンの想いを聴けて、
これまでの気持ちの答え合わせが出来たような、“Singularity”への想いだった。
 
Vとしてステージで生きる事、
キムテヒョンとして日常を生きる事
この2つを無理に1つであると考えずに、
2つの自我を分けて考えられるようになった。
 
どちらの自分も自分であり、
それが1つでなくてはならない理由はないのであると見つけられたのかもしれない。
 
“00:00”は次の日が来たらまたリセットされるという解釈を私はしているので、
メインは“Singularity”で“00:00”になると気持ちをリセットする事が出来て、
Vとしてもキムテヒョンとしても幸せになれる方法をまた探していく事が出来る。
(※ウルトラスーパー意訳あります)
という印象でした。
 
 
 
 
二人目は、キムソクジン。
以前にも記したけど、ソクジンを語る上で絶対的に必要な言葉、それは、
“ARMY”
ARMYとの関係を示した曲が“Moon”である事は、良く知られた事。
と表現したソクジン。
そして僕がARMY、ARMYが僕。
同化してきている…と。
 
同化…?
ソクジンの意味する同化って…?
と思い、すぐに意味を調べて、
これかな…と思ったものがこちら。
「同化とは…本来異なる性質や考え方が同じものになること。」
 
“Moon”の中に出てくる、月と地球。
月は、単体では自分が光り輝いていると知らないだろう。
地球は、月が居なければ夜を輝かせる事ができないだろう。
どちらかが欠ける事はもう今は考える事が出来ない。
 
でも、
月と地球は交わる事はない。
 
ソクジンは、それぞれ違う性質・考えである事は最初から承知だった。
 
でも僕とARMYは月日を経て、こうなってきたでしょ?
だから僕が言いたい事、わかるよね?
という事…?
 
 
ソクジンはとても聡明な人だと思う。
だからこそ、言葉で全ては語らない。
だからこそ、交わる事のない、月と地球。
そして…同化…。
 
聡明なソクジンだからこそ出来る、ソクジンとARMYの関係性だし、
そこには恋愛とかではなく、深い深い愛情があると感じるわけです。
(※意訳ありすぎのあり)
 
“Jamais Vu”については、疲れ果て辛くなった時に歌詞のように「癒し」や「休める場所」になってくれたメンバーやARMYであるという事を語るのに選曲したのかと思う。
彼はこれまで「苦しむ姿は見せない」「つらい事は一人が背負えばよい(海老剥きのやつです)」という精神でやってきたと思うのだけど、
そのソクジンが、疲れ果て辛くなった時にと語った事にほんの少し、
ソクジン自身がソクジンの気持ちを抱きしめてあげられるようになったのかな。
なんて考えた。
 
 
 
 
最後は、キムナムジュン。
まず、選曲についての前に、
彼がこうしてARMYに語りかける時の口語体がたまらなく好きである。という事。
「~じゃないですか」とか「~ですよね?」とか。
Vliveでも彼はこれを良く用いる。
チャット機能があるけれどVliveであっても、リアルタイムで対話しているようには進まない。
それでも彼が口語体を選ぶ理由とは。
相手に問いかける事で、相手は他人事ではなく自分事として認識をしやすくなる。
ナムジュンが感じた事を一緒に感じようとしているのかな。と思ったり。
Instagramで日常を共有してくれる事も、彼は、ARMYが共感したいと思っているだろうなという気持ちと、RMとキムナムジュン、どちらも僕である。と表現しているような気がしている。
 
これは、
“Intro:Persona”についての選曲理由に少し繋がるのかな。
なんて。
 
彼もテヒョン同様、複数の自我について悩んでいた。しかし、その悩んでいる自分も全て自分なのであると語っていた。
TwitterやWeverseのそこでの表現だけではやはり彼自身難しさがあったのだろう。
私の中では、Instagramはそんな彼が、
複数の自我をアウトプットして、他者に形として受け止めてもらった結果、自分で受け入れられるようになったのではと考えている。
 
そして共有する中で、これこそが自分が望んだ表現だったし、
そんな姿をARMYは望んでいたのではと気づいたような気がする。
 
そう考えると、
いつも与えてもらってばかりで…という気持ちも、
ARMYになった事で彼にとっての“何か”にはなれているのかもしれない。
なんて、
本当に少しだけど思う。。。
 
そんなナムジュンがナムジュンを表現し、これも僕である。と表現した“Intro:Persona”と
もう1曲“Stay”
 
これは、ここから新しいチャプターの扉を彼らは開いていくけれど、さらに大きく羽ばたいていたとしても
 
눈 감은 어느새 우린 함께인 걸
目を閉じると、一緒にいる事に気づける
 
という、
To.ARMYだと思っている。
 
2013年にデビューしてから、自分達の想像ははるかに超えた飛躍を感じていると思うが、
それらは“ARMYのおかげです”と彼らは語る。
ナムジュンも良く言ってくれるこの言葉は、きっと彼にとっての“本当”であり、
彼らが進んでいく先がどうであっても、
その景色を一緒に見ましょう。と言ってくれているような気がする。
 
彼らの歴史はこのアンソロジーアルバムだけでは勿論語れないけれど、
それでも出来る限りを盛り込み、
新しいチャプターに向けて“一緒に”と背中をそっと押してくれるような気がしている。
 
 
 
 
3人のどの曲も曲調や何よりステージが大好きなので、聴くだけでもたまらないのだけど、
こうして自分の頭の中で一つ一つのピースが合わさっていく感じがある事が、
(主観があり、意訳もありますが)
 
私がさらに彼らを愛する理由なのかもしれない。
カムバ期、情報が沢山ある事が幸せだけど、
追いつかない。
カムバ期あるある。ですね。
 
拙い文章ですが、
読んでくださりありがとうございました。

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