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#4 大島椿炭事業を構想する。(4)

平井雄之です。大島椿で備長炭を作る会社「株式会社東京備長」を立ち上げました。ここでは、株式会社東京備長の活動を通じて自分が何を経験し、何を学び、何を感じたか、今後何をするかを整理して書いてみようと思っています。第一回目は、炭焼きの事業を立ち上げるに至った経緯について書こうと思います。(前回からの続き)

4. 大島の炭焼きと出会う

大島で出会った炭焼きは、小柄で元気なおばさま(仮に、松山さんとしましょう)でした。私が炭焼きの可能性を探っていると伝えると、開口一番「やめなさい!きついし、儲からないよ、こんなもの。絶対にだめ」と。
 近年の大島では、土木工事で伐る事になった椿を、無駄にしないよう炭にしているというのが一般的なようです。そうしてできた炭は、その炭は農協などを通じて、島内で消費されます。松山さんも親戚が土建屋さんをやっており、農家をやりながら、工事で椿が出た時に炭を焼いているとのことでした。

大島で炭焼きをしている松山さん(仮)なんと今でも炭を焼かれていました!

 さて冒頭に戻りますが、「やめなさい!」と言う松山さん。当然こちらも引き下がりません。
松山さん 「やめなさい、本当に。」
平井   「大島の新しい事業になるんじゃないかと思ってまして。」
松山さん 「やめなさい、若い人がやることじゃないわよ。」
平井   「山で古くなってしまった椿を活用したいと思ってるんですよ。」
松山さん 「無理無理、儲からない。」
平井   「でも、松山さんはずっとやられていてすごいですね。」
松山さん 「私だっていつでもやめたいよ。」
平井   「何年くらいやられてるんですか?」
松山さん 「もう15年くらい経つかな、最初にやってから。」
平井   「きっかけはなんだったんですか?」
松山さん 「お兄さんがやってて、お兄さんが炭を習った人に私も習って。」
平井   「最初の炭を出したときのことは覚えてますか?」
松山さん 「それが、割といい炭が出てさ。」
平井   「へえすごい!その後も安定してできるものなんですか?」
松山さん 「いい時もあれば、悪い時もあって。」
平井   「へえ面白い。おんなじようにやっても?」
松山さん 「おんなじようにやってるつもりなのに、不思議だね。ちょっと、記録したノートがあるから見せてあげる。」

 そう言ってノートを取ってきてくださいました。そのノートには、窯の設計図から、最初に炭を作った時の煙突の温度などの情報、松山さんが疑問に思ったことなどが、丁寧に記されていました。

松山さん「そうそう、この時はいっくらやっても火がつかなくて。この日は風が強くて、心配で一晩中起きてなきゃならなくて。」
平井  「やってて楽しいなって思う時はありますか?」
松山さん「そりゃ、うまいこといって、いい炭が出てきた時は嬉しいよ。」

 なんかこの人楽しそうだな。冒頭の言葉とは裏腹に、炭の事を話している松山さんがとっても楽しそうだったのがとても印象的でした。
 
その他にも、生産量や炭の焼き方について教えていただきました。窯の大きさは何「俵」で表現され、1俵は15kgの炭を表します。松山さんの窯は8俵窯で、一回で120kgの炭ができる計算になります。
 大島で作られている炭は「黒炭」という分類で、家庭で一般的に使われるものです。それに対するのが「白炭」という分類で、白炭の最高峰が備長炭という分類になります(炭の分類についてはまたいつか書きます)。
 大島の炭の焼き方では、原木を窯にくべてから3日程度炙って乾燥させ、4日目に炭化をさせ、そのまた4日後に煙が止まって、そこから5日程度窯の中で冷まして取り出します。なので、1サイクルで半月くらいかかる事になります。
 確かにこの生産量では、仕事はきつくても儲からないという意味もわかります。1俵 6,000円程度で、月に2回、炭を出せるとすると、
  月の売上 6,000(円/俵)× 8(俵/サイクル)× 2(サイクル)
       = 96,000
となりますので、これで生活するというのは厳しい気がします。
 うーん、炭は難しいのかと思う半面、松山さんはなぜあんなにも楽しそうに話すんだろう。そのことが頭の中でぐるぐる巡っていました。炭焼きって一体なんなんだ、興味は深まるばかりです。続きは次の記事で。


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